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【Last Season Essay 2022 #3】 TR 山田真帆

引退を前にして自分が何を思うのか、思ったよりも全然整理できなかった。流石にこの時期になると寂しさが込み上げてきて、この人たちと部活をするのもあと少しか、とか、終わらないでほしいなあとか、感傷に浸る時間も増えてきた。辛かったことも美化されてしまって、今感じていることは本当に当時も感じていたのだろうか、嘘にならないだろうか、などとウダウダ考えていたら、締め切りも3日過ぎてしまった。ごめんなさい。

この部活に4年間を捧げることがどれだけ素晴らしいかということは、前回・前々回で同期2人が書いてくれたエッセイを読んでいただけたらと思う。が、自分も少しだけ。

私は「直感」で入部して、1年次のイヤーブックに「直感を正解にする4年間に」なんて一丁前なことを書いていた。そして今、その直感は正解だったと思っている。フィールドでプレーすることのできないスタッフのもどかしさ、アマチュアである学生トレーナーとしての存在意義、選手との向き合い方...壁にぶつかることはたくさんあったし、今もこれらの問いに完全な答えを見つけられているわけではない。それでも自分の直感を正解だと思えていること、これこそまさに過去を正当化しているだけなのかもしれないが、この部に所属し続けることを疑ったことは、4年間で本当に一度もないのだ。
ここで夢を見たいと思えるチームだった。普段は腹が立つこともたくさんあるのに、好き嫌いとかそういう次元を超えて、フィールド上で戦い続ける選手の姿に、サイドラインから声を出し続ける選手の姿に、変わり続けるチームメイトの姿に勇気をもらい、奮起させられていた。このチームで勝ちたいと心から思えた。

自分は、“チーム“からたくさんのものをもらった。

だから、ここであえて、後悔について書こうと思う。“チーム“に所属するものとしての甘さについての後悔だ。

「4年は、常にチームのためになるかどうかを判断基準にする」
これはOLの先輩の言葉で、ほとんど2人で話したことのない先輩だったのだが、1年間自分の道標になっていた。話を聞かせてくださいとLINEを送ったこのときの自分の勇気を褒めたい。もちろん突然の申し出を快諾して4時間くらい話に付き合っていただいた先輩ご本人には大感謝である。常にこの言葉に立ち返って、「自分の今のこの選択は、TRチームとしてのこの現状は、本当にチームのためになっているのだろうか。エゴではないのだろうか。」という問いと向き合ってきたつもりだ。

だけど、今になって、もう少し自分勝手になるべきだったのではないかと思う。

自分勝手な感情が優先されてはいけないと思っていた。エゴが、TRとしての取り組み方に支障をきたすようなことがあってはならないと思っていた。でもそれは、自分が感情の赴くままに下す選択がチームの勝利に繋がっているという自信がなかったからだろう。つまり、本当の意味でチームのことを考えてはいなかったのではないか。自分の中に引け目があるからそう思えなかったのではないか。

自分とチームが完全に一緒にはなっていなかったということを自覚し、5戦終わって2勝3敗という戦績を見て、大きな後悔に襲われる。

しかし、実はこのことは、春に森さんから言われていたことなのだ。
「エゴかどうか考えている時点で4年として未熟」
この言葉をふと思い出して(正確には、ずっと覚えていたがふとした時に急に腹落ちして)、敵わないなと思ってしまった。言われていたのに、どうして早く気づかなかったのだろうと後悔した。自分の未熟さを二重に目の当たりにした。

ここでまた森さんのお言葉を借りることになってしまうのだが、
「勝ちたいと思うか思わないかではない、どこまで勝ちたいと思うかだ」
自分がチームのことを考えていなかったとは思わない。まさに、この部分が甘かったのだと思う。チームが勝つためには、これを追求し基準を上げていくしかないのだということを、文字通り痛感している。

これがラストシーズンエッセイとして書くべき内容なのかわからない。ただ、日本一になるという目標を掲げて、日本一を成し遂げられなかった代の1人の後悔として知っておいてもらいたいと思う。

こんな気持ちに対しての罪滅ぼしで、ただの自己満足にしかならないのかもしれないが、自分自身をもう少しだけ認めてあげられるように、残り少し、もう一度チームと向き合い、最後まで駆け抜けたい。(4年 TR 山田真帆)

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