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【Last Season Essay 2023 #10】MKG 渡辺楓冬

引退が近づくとこういう心境になるのかと思って、去年先輩方のラストシーズンエッセイを読んでいた。自分が引退する時はどんな気持ちでいるのだろうか、自分は本当にそこまでやりきれているのだろうか。いや自分にはきっとできない。部活のことを考える時、なぜだかいつの間にかそういうふうにネガティブな方向に考える習性がついていた。小学校中学校高校、浪人時代を含めても、元々そんな性格ではなかったのに。3年生の後半と4年生になってからしばらくは、特にネガティブ思考がある時があったと思う。四六時中そうではないが、自分は、これでいいのだろうかと、帰り道の長い電車の中などでふと考えてしまう。良いわけはないのだが、だからといって何か行動に踏み出せていたのかと言われると、おそらくそうではなかった。特に自分のことについてはただただ暗く、自己嫌悪に陥っていた。ありたい自分から遠ざかっていく。できない自分の部分だけが、部活に取り組むごとに露わになっていった感覚があった。それでも4年生になってからは、確固として自分の役割や4年生として存在することの価値を自分なりに見つけて行動してきたつもりだった。でも結局それは、その規範の中でしか自分を大きくさせることができない限られた思考の枠組みだと、途中で気づいた。違う部分でもできるところはある、もしくはさらに伸ばせる部分がある。何人かの同期と話しているうちにほんのり自分の中に浮き上がってきた、そんな自分なりのポジティブ思考がようやく落ち着いてきている。もっと早くこうなっていればと思わなくもないが、振り返ってみるとこういう機会は初めてではなかった。特に部活に入りたての頃は、できることがたくさん増えていって、「なんかわかった気がする」という感覚はしばしば得られていた。でも当たり前にできることも増え、自分がそういうところで成長できた、新たな気づきを得られたと思う機会は減っていく。でもしばらくしてまた別の気づきを得たりもする。要はそれが積み上げていくということだった。そうやって、最後までいろいろ積み上げていきたい。マーケティングスタッフとして勝利に貢献できること、応援してくれているたくさんの人たちの声やもしくはその存在自体を部員に伝えること。その他のことでも。自分自身あんな自己嫌悪があってもここまでやろうと思えたのには自分の力なんて微々たるもの。部活で出会った尊敬できる、個人的に恩を感じている人たち、それに、一人ひとり顔も浮かんでくるいつも応援してくれていた方たちといまからでも少しでも良い結果を分かち合うために。ここからまた新たな気づきまで至れるかはわからないけれど、最後まで。(MKG 渡辺楓冬)

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