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どっちがエースだ!?③ 西崎幸広vs松浦宏明(1988年)

プロ野球ではライバル関係にあると言われる選手が数多くいるが、1987年からプロ野球を本格的に見始めた私にとって印象深いのが87年にハイレベルな新人王争いをした近鉄の阿波野秀幸と日本ハムの西崎幸広でした。

2人の87年の成績はこちら。

■阿波野秀幸 15勝12敗 249.2回 201奪三振 防御率2.88
西崎幸広  15勝7敗  221.1回 176奪三振 防御率2.89

どちらも例年ならば文句なしで新人王に選ばれる位の新人離れをした成績を残している。西崎の方が阿波野よりも負けが5つも少なく勝率では圧倒しているが、阿波野は奪三振数と投球回数がリーグ1位だった。どちらが選ばれてもおかしくないが投票結果は阿波野141票、西崎51票で阿波野の受賞となった。奪三振のタイトル獲得というのが大きかったのかも知れない。
しかし投票では大差が付いたものの西崎の功績を称えてパリーグ会長特別賞が贈られている。

ここからメディアは2人をライバルとしてフィーチャーして何かと2人をセットで取り上げる事になり、成績だけで無く2人のルックスの良さも相まってトレンディエースと呼ばれ多くの女性ファンから指示される様になり、当時の地味で不人気だったパリーグに新しい空気を送り込んでいた。

阿波野と西崎が凄かったのは活躍したのが新人の年だけでなく、翌88年以降もそれぞれエースとして活躍を続けたからなのだが、今回の主役はこの2人では無いので阿波野についてはここまでとする。機会があったら「新人王はどっちだ?」という別規格でもやって、いつかこの2人の検証もしてみたいと思う。


インタビュー等で西崎には事あるごとに「阿波野をライバルとして意識していますか?」という質問が出るが、西崎自身は「阿波野をライバルとは見ていなかった」と語っている。これは西崎が阿波野とは所属球団が違うので、打線から守備から条件が違うから単純に比較は出来ないとの事で、それよりも同じ条件下で競い合う同僚の全先発投手の事をライバルとして見ていて、同僚よりも多く勝つ事を意識していたと語っている。

そのライバルとなったのが年齢は1歳下だが、プロでは3年先輩で西崎の入団前まで開幕投手を務めていた津野浩であり、西崎の2歳下だがプロでは2年先輩の松浦宏明で、特に松浦西崎の入団2年目の88年に共に15勝で最多勝を分け合った仲だからかよくライバルとして名前が出てくる。
(もっとも2015年発行の『ファイターズ全史』に記載されている津野との対談の中では「同僚に対してライバルという気持ちよりは「みんな頑張れよ」みたいな感じだった」と語っているので、時期によってや媒体によって発言が異なっている可能性がある)

今回のエース対決は1988年の西崎幸広松浦宏明の検証を行う。


まずは2人の簡単な経歴とキャリアが重なっていた時代の成績から紹介する。

これ等を元に簡単な検証から行っていく。


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