自律失敗

生まれたときにたまたま持っていた僅かな貯金を、毎年毎年切り崩しながら生きてきたような感覚がある。

来週の日曜日に公認会計士試験がある。私が目標としているのは12月の試験で合格することだが、そのときに本領を発揮できるように今回は「お試し受験」としてテストを受ける。

お試しと言ってもそれなりの成果が求められる。大学と専門学校の高い授業料を払ってくれている親にも進捗を開示するためだ。

だが、おそらく1万5千人中で最下位をとっても全然おかしくないくらいには勉強していない。自らの不甲斐なさにもはや笑えてくる。

半年ほど前から専門学校のクラスにもついていけなくなり、それからはネットでちびちびと配信を見ている。受けなきゃいけない章末テストなどはもうずっと受けられずにいる。

専門学校で知り合った友達も二人いた。ふたりとも超名門の国立大に通っていた。性格も良かった。きっと12月には合格するだろう。下手したら5月に受かってしまうかもしれない。

のらりくらりと過ごしてきた10年間を断片的に振り返ってみる。

自分を律せていたのなら私も彼らと同じレベルに到達できていたのだろうか?

何度も自分に問いかけた。

その度になぜだか、もし真剣に自分と向き合っていたのなら絶対に彼らと同じ位置に立つことができていたであろう、と直感的に思うのだ。早稲田・慶應なんぞ余裕だったのではないか。

なんて愚かだ。
その根拠のない自信が私を凡人に仕立て上げた。

足が速かった。運動神経がよかった。やさしかった。思いやりがあった。真面目だった。かっこよかった。
何をしたわけでもないのに気づいたら人気者だった。

物心ついて、気づいたら私は他人よりずっと上にいた。

褒められるのが日常だから、先生に怒られたことなどは今でも鮮明に思い出せるほど印象深く記憶に残っている。

本気で勉強したことがない。高校受験も大学受験も、そしていま目の前にある会計士試験も。

高校は推薦で入った。内申点、小論文、面接、集団討論。
定期テストを中学3年間で15回みっちりと頑張り、部活に励み、小論文の書き方を学んだ……わけではない。

全部適当にやった。もちろん推薦のために努力をした人はたくさんいると思う。しかし生まれたときからの貯金で適当に受かってしまう人も一定数いるのは間違いない。私がそうだったから。

大学受験も似たようなものだった。いっちょ前に予備校にも通った挙句、そこそこしか努力できず、そこそこの大学に合格した。

予備校のカリスマ講師の言葉がいまでも甦る。
「この一年本気でやって、それでも受からないこともある。でも、それは良いんだよ。切り替えて次に進めば良い。だけどな、本気でやれなかった奴は一生引きずる。たとえ受かったとしても、”あのとき本気でできなかったこと”をずっと心の隅で感じながら生きていかなきゃいけなくなる。」

嗚呼、書くだけでもきつい。

小学生の頃サラサラだった天然の茶髪はいまやパサついて風にもほとんど反応しないほどになった。

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