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毎日を走るために必要なもの

12月はなるほど師が走るといわれるだけあって大忙しの月だった。

といってももちろん私は師などではないただの一般社会人なのだが、それにしたってまあ忙しい。
単純に年内に片づけなければならない仕事が多いというのもそうだが、会社の忘年会や納会、友人との忘年会やクリスマスの準備、年末年始のための買い出し、あとは(正直年末はあまり関係ないかもしれないが)見たい特番やライブなどもあって大忙しである。

一応スケジュール帳のアプリを使って毎月の予定を私も確認してはいるのだが、12月は月の初めの時点であまりの時間のなさに「一分一秒でも時間の使い方を間違えると終わる……」と一人RTAになっていた。表情は完全にデスゲームに巻き込まれた人のそれだった。それぐらい年末のスケジュールの絶望感はヤバかった。ので、普通に体調を崩してインフルエンザになったりした。布団の上でポカリだけを飲み続けせき込みながら、昔はこのぐらい忙しくてもまだ何とかなっていたのにな……と己の老いを痛感するなどした。走っているのは師ではなく私の老化の方である。

しかも年末ラストに怒涛の弾丸旅行の予定を入れてしまった(これは単純に私のスケジュール管理能力がなかったため)ので最後まで予定ギッシリな月になってしまった。こうして書くと半分ぐらいは自業自得である。

ので、年越し前は本当に満身創痍の状態で家に帰ってきたのだが、帰り道に家の黄色いランプを見ると妙に安心した。やはり帰る場所があるというのはありがたいなと痛感した。

思えば、仕事でヘロヘロになった日も、飲み会で帰りが遅くなった日も、インフルエンザになって寝込むことになった日も、支えてくれたのはやはり自分の家、自分の部屋であった。帰る場所が整っていると、それだけで疲れがとれるような気がするし、「明日からも頑張ろう」という気持ちになれる。

家からすぐ近くのスーパーや病院も、普段使うことがあるからこそ大事だなとありがたみを痛感した。特に体調が悪い時は近くにすぐに食材を調達できるスーパーやすぐに行ける病院等があると全然違う。幸い、今自分が住んでいる街は近くにスーパーも病院もあり、非常時には事欠かない場所だったのでとてもありがたかった。「住みやすい街」とはこういう街を言うんだなと思った。

比べるようで悪いが、以前住んでいた家はほとんど寝に帰るだけだったので、こういった「安心感」や「安らぎ」のようなものは感じられなかった。そういった家の形もないわけではないが、疲れた日や癒しが欲しい日に心落ち着ける場所があるというのはそれだけでありがたい。

最寄り駅に着いたときのアナウンスを聞いて、見慣れた駅前の風景を見ると、「ああ帰ってきたんだな」とどこか安心した気持ちになれる。

フラフラになっても、玄関の扉を開けて、シャワーを浴びて、ご飯を食べて、あたたかい布団で寝る。それだけで日々の活力になるのだから「帰る場所」というのは案外大事だなあと年の瀬にしみじみと感じたりした。

改めて自分の生活の基盤となってくれている自分の家に感謝をしたい。そう思えた師走の月だったと思う。それはそれとして加速する老いを何とかしたいので今年はアンチエイジングなどに力を入れてみようと思います。

Written by yuuun

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