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インターミッション(休憩)  旅の言葉 1.

むかし作家の辻邦生さんが
ヨーロッパを列車で旅をしていた頃、
車内で行商のおばさんがふたり仲よく
談笑しているのを見かけました。
それをなにげなく、ほほ笑みながら
黙って見つめていたそうです。

次の駅で
一人が降りて代わりの馴染みの友達が
立ち代わりでとなりの席につき、
またワハハと
おばちゃんたちの会話が始まりました。
それをなにげなく聞いていました。
ところがしばらく聞いていると、
あれっ、言葉が変わっている。
順番は少し忘れましたけど
ドイツ語で話している、
さっきまではイタリア語で話していたのに、
ふーんと思ったそうです。

そしてしばらくして
いくつかの停車駅を過ぎて、
ある駅に着くと
また新しくおばちゃんが乗り込んできて、
ふたりのそばに座り、談笑が始まりました。
とても楽しそうです。
それを見て聞いていて、
辻さんはびっくり。
辻さんが驚いたのは話の内容でなく、
話している言葉でした。
三人とも、今度はフランス語で話していて、
流暢に、それも何も違和感なく話している。
驚いちゃった、
とエッセイのなかで述べていました。



たぶん列車はスイス辺りを通っていたらしく
じっさいスイスはイタリア、ドイツ、
フランスの三ヶ国語が公用語で、
それにロマンシュ語を加えて、四つあるらしく
何の不思議もなかったのです。

他の国から遮断されている
日本では考えられないし、
ヨーロッパみたいに陸続きでないのも手伝って、
外国語に対して、少しばかり距離感があります。
小さい頃から、ネイティブ感に欠けます。
読み書きは江戸時代から
寺子屋などで多少できても、
日本語が流暢に話せても、
同じ漢字を使っている中国語を
話せるのは皆無でしょう。
行き来している人は別だけど、
関係ない人は必要ありません。



他人が気になってしようがない日本人は
翻訳部があるというぐらい
外国語の翻訳でいっぱい。
最近は学問や専門書はヨーロッパ勢で、
ノウハウビジネスや娯楽はアメリカ中心に
翻訳されるけれど、
外国人の出入りチェックは厳しい。

反対にアメリカでは
密国者以外はひんぱんに
外国人を引き入れたのにもかかわらず
翻訳などで外国の考えや思いに行かないで、
自我自尊。
国際の世界知らずで、世間知らず。

まあ日本人もアメリカのことを言えない
世間知らずで、
外国に行ったときのマナーはアメリカ人同様、
エチケットはどうかなと思うときがあります。

でもじっさいは
どこの国でもあまり変わらず、
国が強いときはわがままで自分勝手。
中華思想の中国、
植民地主義時代のヨーロッパなど
よその国のこと深く考えないで、
横暴、侵略なんてしまくりちゃいます。
歴史が古いといっても現在の中国、
新しい国家体制になって
数十年しかたっていないのか、
最近の国際秩序を乱している模様だし、
出来たばっかりはどうも、
外に対して横暴になるようで
中味が伴っていかない。



じっさい古代ローマは帝政になって
領土を広げていったのに
以前のように文学に精彩がなく、
ゲルマン民族の文化文学、
巨大なモンゴルの世界帝国など見ても、
いまのアメリカは刹那的な大衆娯楽中心の
文化で大丈夫かなと思ってしまう。
出来てまだ200年ばかり、
さっきの強いだけのモンゴル帝国に
なってしまうおそれがあります。

こんなことを言えるのも、
万葉集とか平家物語、松尾芭蕉の
文学古典を持っているからこそで、
軍事力がなくても
文化面でも他国に勝っていなくても
けっして、負けていないという
自信があるからです。
その点でも、先輩たちに感謝したいですね。
だから最近
お隣の中国はさすが歴史文化の伝統、
地力があるのか、新しい文学が
芽生え始めたようです。



これは国外関係ばかりではなく、
国内でも言えて、力がある者が他人に対して
偉そうに振るまっています。
しょうがないもの。
でも少しばかり社会的地位が上がって
他人が見え、
じぶんにないものを持っている人に
敬意をはらえるほどに、
じぶんに才能が身につく頃まで
しようがないかもしれない。


だから一流会社の若い社員とか、
一流大学出身の若い連中が、
何かというと代紋を
ちらつかせているのはしょうがないかな。
驕れる者は久しからず、とかいいます。
注意してね。
先輩たちが苦労して築き上げたものを、
あまり恥ずかしめないで
がんばってもらいたい(と思う)。



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 セピア色につつまれて、初めてのイタリア旅行。「揺れますから、お気をつけてください」



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