(いったん、休憩します) 傷だらけの、文学 1.


芥川賞の候補作品をまともに読んで
批評している審査委員はひとりか2人しかいない、
作品と批評がチグハグだ
そう文芸評論家が嘆いていた
言いすぎかもしれないし、
単なる批判かもしれない
でもそんなことをいわれるのも、
そろそろ末期的かなと思われるふしがある
それにいろんな人たちの
思惑が見え隠れしている


社会的地位が上がり、
えらくなっていくのに反比例して、
中が空洞化していくのが世の常、
しようがないもの
政治の歴史ばかりではなく、芸術や文芸でも免れない

お母さんや子どもたちに憧れられる
存在の頃がそのフシメみたい
現在の、社会的地位や優雅に生活できるものを、
絶対視し肯定する人々の感情は
すなおで正直です
女性のタレント、人気アナウンサーが
もらわれていく先の旦那さんを見れば、
いま何が一番人気のお大尽様か、よーくわかって面白いです

しかもそのテレビでは政治家や経済人、官僚から
何かと便宜を図ってもらい
建物や社会的知名度ばかりが大きくなって
そのミカエリに肝心の報道が骨抜きにされ、
アイドルや芸人、スポーツ関係者だけに憧れられる御用達になっている始末


また絵画の分野でも
いまでは考えられないほど社会的地位が
低かったルネサンスの頃の画家だけでなく、
1800年代の半ばの
アンデパンダン展期でも変わりなく、
お金に余裕できたアメリカの成金たちが
印象派の画を買いしめた頃から変わり始めた


(オークションもでき、画家も収入も増え人気商売になっていった。美しい芸術の言葉が大学で、美術館で語られ、若くして認められ賞賛されていくのに一発屋の人も多く見られ始めた)



政治体制を新しく創るのは
虐げられた身分のものだし、
新しく会社を創るのは
学校にも行けない貧しい家庭の出身が
多いのはあたり前で、
人一倍ハングリーさがなければやっていけない
いっぽう芸術家やエリートも、
初めはいつも、社会の片隅から現われてきた

身分の高い者は現状の維持を保つのが普通だし、
学歴がある者がイチかバチかなんて、
せっかく一生懸命勉強してきたのに
危険なことをする訳がない
足利家や徳川家の初期ならまだしも、
海とも山ともわからないとき、
国家の庇護のもとにがんばった先輩のおかげで
現在いい思いしている東大や芸大の末裔から
どんなマイナスイオンやハングリーさを期待できるでしょう


新しい創造やクリエイティブな者は、
常に偏差値の低いところから
現われてくるというのは物の道理だ



いま成功していても明日がわからない
運よく素早くお金持ちになれたら、
他の人の参入も、新しい産業も
激しく絡んできて、素早く生き残りから外れることもある


だからビジネスに成功したからって、
イヤミじゃないけどほんとうに
芸術がわかってんのかな
絵画やクラッシック音楽を愛好して
いる人が多い重役の皆さん、
ゴルフとかお座敷遊びみたいな感じで
気晴らしや高尚な遊びだと思ってんじゃないのか
絵はいいな、
人間みたいに嘘をつかないから、
などとつぶやきながら
あるいはテレビの時代劇で発散するみたいな



(  彼らにとって世間にとって、現在の芸術家や作家が社会的地位があるというのは教科書に載っているからじゃなくて、お金が稼げるか経済力があるかどうかで逆でなく、価値は後からやってくる。

 生きてるとき有名であっても、お金が稼げなければ無視される資本主義社会。

 萩原朔太郎や中原中也は大変だった。親から勘当同然みたいにされ、親から見たら息子に好きことをやらせたい気持ちがあっても、結婚して子どもを養っていく経済力がなければ心配するのはあたり前だった。
 少し前、いまでも詩人で食っていける人は3人しかいない、と吉本隆明はいった。ひとりは忘れたけど、田村隆一と谷川俊太郎だけだ、といっていた。


 タレント、芸能人を見ればわかります。ほとんどの場合、ギャラが増え、お金がフトコロに入ってきて、社会的知名度が上がっていくのにつれて、芸の牙が取れてだんだんと大衆に媚びを売り、パトロンの太鼓持ちになっていくのはしようがないだろう。

 それこそ身の程知らないスキャンダルを起こしたりしたら、わあすごい、芸の肥やしになるね、なんていいはるでっしゃろか。羨望のかげに常に横たわる妬みを持っている大衆、パトロンやテレビ局は不利益をもたらされると、即刻見捨てます。

 いい時ばかりの芸能活動、明日がわからないから何事も当たりさわりなく世の中を渡っていかなければなりません。われわれも見ていて気の毒になる時があります。支持されて育てられる気持ちもどこへやら。でもたぶんに、本人のせいでもあるんだよ、という気もしますね。いろんな意味で。

 またわれわれも大衆という名に隠れて、いい加減なことをする奴がいるから大変だ。 )



政治家や経済人なしでは、
娯楽やスポーツが存在できないように、
彼らが文化保護の名のもとに
芸術家たちを囲いたがるのは
世の常だった
そんな囲われたがる芸術分野で、
唯一拒否反応を示す人たちが少なからず文学の世界にいた

その証拠に、
気晴らしを好む政治家や経済人の中には、
一般大衆と同じく、
前にいったようにお金や生産性のない
詩人とか文学人を疎んじる傾向がある

単なるクダを巻いているように思われていた















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