拝啓、さよなら夜の君


「サボテンが似合いそうですね」

それが初めての会話だった

正直意味不明すぎる                              

突如現れて「サボテンが似合いそう」などと抜かすような男など怪しい以外のなにものでもない

現に彼女は僕の発言に対してひどく不快そうな表情を浮かべて 「は?」 とだけつぶやいた


例えばどうだろう

歩道橋の手すりに手をかけて下を覗き込んでいる人がいたとしたら、見なかったフリをして素通りできるだろうか

結論から言えばできなかった   

いまにも飛び降りんとする彼女を手すりから引き剥がし、なにか言わなくてはと思考を巡らせた結果出てきた言葉が 「サボテンが似合いそうですね」 だった

混乱していたとはいえ、もう少しマシなことが言えなかったのかと思う

目の前彼女もいかにも不快かつ怪訝そうな表情を浮かべたあと、がしかし思い出したかのように

「でも私サボテンすら枯らすよ」

と八重歯を見せて笑った

暑い夏の夜の最悪で最高なファーストコンタクトだった


それからときどき彼女と会うようになり、知ったことはサボテンなんかよりも煙草が似合う人だったということ

赤マルを吸いながらニッと笑う彼女はとても綺麗で、吸い込まれるようにその口元を見ていた


会うのは決まって夜の歩道橋

これだけたくさんの車が通るのに誰も僕たちに気づいていない、秘密の時間だった


そんなある日 「預かっていて欲しいんだ」 と渡してきた、小さなサボテンと吸いかけの煙草、ライター、そしてたばこ味の少し苦いキス

  「枯れてないサボテンは私の存在証明なんだから」と、やっぱり八重歯を見せて綺麗に笑った

口元と頬に痣の痕を残して


冬の足音が聞こえ始めた肌寒い日の夜のこと

それから彼女は二度と歩道橋には現れなかった


預かったサボテンはもうどこにもない

たくさん水をあげてたくさん愛していればきっと綺麗に育つのだと、勘違い、していた                  

  愛には加減が必要なのだ

彼女もきっとそれを知らなかった

愛されたかった

愛されなかった

サボテンの棘のチクリとした痛みも

少し苦くて寂しいキスの味も

僕はもう思い出せないから



拝啓、さよなら夜の君



    






 





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