ミッドナイト流星群
ネオンの眩しさで目がチカチカする
夜の渋谷駅は怪獣のようにその大きな口をぽっかりと空け乗客を飲み込んでは消化し、すれ違う人は皆行く先を急ぐようにせかせかと足を動かして誰も顔を上げようともしない
ブランドの鞄も、お揃いのアクセサリーも、誕生日に貰った合鍵も
全部、全部、置いてきた
あるのは充電の切れたスマホと170円しか入ってない財布
あ、さっきコンビニでコーヒー買ったから残り70円
「私ってスタバにすら行けないんだ…」
つぶやいてみたら無性に虚しくて悲しくて、じわりと滲んだ涙に気づかないようスクランブル交差点に目を向けた
ー 浮気を、されていた
正確に言えば彼氏が大学時代の先輩と不倫していた、それも一年以上
思い返せばおかしいなと思うことは少なくなくて、旅行に行くはずの予定を仕事だと急にキャンセルしたり、全然私の趣味じゃない大人っぽいプレゼントをくれたり
つまり出会った時から私はただのカモフラージュで、年下が好きなんだっていうのも不倫を円滑に進めるための嘘だった
それが今日決定的に発覚しただけのこと
それでもあまりの衝撃に耐えられず、私はとるもとりあえずスマホと財布だけ引っ掴んで逃げ出してきた
とはいえ所持金70円ではどうしようもない
こんなに寒いのにネットカフェには行けないし、スマホの充電も切れてしまったから友達にも連絡できない
そもそも今日は帰れるわけがない
帰りたくもない
これからどうしようかと考えることすら億劫で、波のように流れては引いていく人をぼーっと眺めながら佇んでいた
小一時間はそこにいただろうか
足元に影ができて顔をあげると、如何にも、といった感じのお兄さんたちが立っていて
「ねぇ〜君さっきからずっとそこにいるでしょ?暇なら俺らと遊ばない?寒いしいいとこ知ってるよ〜」
五月蝿いな
「ねぇ聞いてる〜?シカトはよくないんじゃない?」
しつこいんだって
「こっちがわざわざ声かけてやってんのに聞いてんのか…」
「うるっさいっつってんでしょ!」
やってしまった
ただでさえ情緒不安定になっているのに精神を逆撫でされたもんだから、イラついて男Aの顔面にコーヒーをぶちまけてしまった
せっかく買ったのに勿体ない、ごめんねコーヒー
「なにっすんだ…!このアマ!こっちが誘ってやってるからっていい気になりやがって…!」
やばい、殴られる
直感的にそう思った
でもいい、いっそ殴られて 嫌なことも、苦しい気持ちも、私の存在ごと消えてしまえばいい
途端、左腕を誰かに引かれ
『走って』
そう耳元でつぶやかれた声の主も確認しないうちに、引かれた力によって走り出す
スクランブル交差点を一瞬で渡り
ハチ公を越え
溢れる人の隙間を縫うように駆け抜けていく
ひたすら走って、とにかく走って
耳も鼻も冷たいのに繋いだこの手だけは温かかった
そうしてようやく止まったのは見たこともない雑居ビルの前
手を引かれるがまま外階段で上に上がっていく
冷たい空気と繋がれた手、カンカンカンと鳴る2人分の足音
『ここならバレない』
立ち止まった先には雑居ビルの屋上に置かれた小さなビニールハウスと、灰皿から溢れ出した煙草の吸い殻
「あの…ここ入っても大丈夫なんですか?」
さすがの私も不法侵入がヤバいことくらいは分かってる
いくら変な男に追われていたとはいえもしビルの人に見つかったら何も言い訳できない
『……たぶん?』
そう思って聞いた質問の応えはあまりにも気が抜けたもので
私の張りつめていた気持ちも全部全部抜けてしまって
その場にへたりと座り込んだ
男たちは上手く巻けたようだった
近づく足音も、街の喧騒さえこのビニールハウスには届かない
ようやくホッとしたら、途端にいろんな感情が押し寄せてきて涙が止まらなくなる
怖かった
どうして浮気なんかしたの
消えちゃいたい
好きだったのに
自分でも収拾がつかなくて、この感情をどこへ持っていけば楽になれるのか分からなくて、泣いたって変わらないのに
それでも一度溢れ出してしまった感情と涙は止まることを知らず、はらりはらりと頬を伝ってしゃがみこんだ足元にシミをつくる
どのくらいの間そうしていたのか
泣きすぎて鼻と胸が詰まって苦しいと思い始めた時だった
『…ねえ』
隣から発された声でハッと現実に戻る
急いで涙を拭おうと引っ張った袖口を目元にもっていこうとした時
あたたかいものが私の唇に触れた
『涙、綺麗だね』
そう言われてようやく、いまのやわらかさが彼女の唇だったのだと気づいた
名前さえも知らない
今日はじめて出会って
明日になればお互いを忘れて元の生活に戻る
たぶん、きっと、二度と会うことはない
分かっている 理解している
だからさっきのくちづけの意味を考える必要なんてどこにもない
身を任せて愛される温度を感じたい
満たされて、重なり合って、ただ今だけを見つめていたい
だっていまこの時は、この瞬間だけは、小さなビニールハウスの世界に私たちしかいないから
キラキラと輝くのだ 流星群のように
お互いの体温を確かめ合うように
触れた手が寄せた頬が証明するように
間違いなくここに存在しているのだと刻むように
夜に隠れて、そっと唇を合わせた
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