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憲法裁判所という構想

憲法裁判所という構想が誤った立法を排除してくれることを期待する人たちがいます。維新もそのようですが、彼らが深く考えていないことの証明です。 

彼らは、憲法裁判所のエリート裁判官(選挙の洗礼のない賢者)が自分たちの味方だと信じているようですが、そうでなかったらどうするのかという想像力にかけているようです。リベラルが裁判所に期待するのは、知的選良であるエリートなら自分たちの味方になるはずだと考えているからです。理性的ならサヨクと同じ結論に至るという信仰が彼らにあるのです。 

裁判所が憲法裁判所のような抽象的な正義を決定する権限をもったとき、そのときに、生じる事態が、モンテスキューが著した「法の精神」に描かれた「裁判所」というエリートによる権力です。裁判所が権力を握るということが最悪の恐怖であるとモンテスキューは回答しています。

彼が、想定する三権分立は、裁判所が強大な権力を握るという恐怖を回避するための思考実験です。 

憲法裁判所を設けるという発想は、無学なヒトラーではなく教養ある東大出のエリートに正義を任せようという発想ですが、エリートの間でも正義が割れるという事を知らない純朴なお人よしの発想なのです。 

ドイツでは憲法裁判所の違憲判決と、議会における憲法改正のいたちごっこが続いています。ドイツでは毎年のように憲法を改正しているのは憲法裁判所の存在を抜きに考えられません。日本における憲法観と全く違う、そうした政治がお望みなのか、と僕なら質問します。

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