見出し画像

20231004 鈴木エイト氏に対する名誉毀損訴訟提訴報告会(徳永信一弁護士コメント抜粋)

【鈴木エイト氏に対する名誉毀損訴訟 提訴内容】

名誉毀損の裁判なんで、鈴木エイトさんがX(Twitter)等で公衆に向かって発言したこと、これが客観的にどういう意味で受け止められるかという、この客観的な意味を巡りその当否を問題にしていく訳なんです。
今いろんな言葉が出ているんですけれども、その中で「引きこもり」という言葉。
これが大変印象的な言葉で、その言葉というものが、一体何を人々に対して意味づけしているか。そこを考えていただきたいです。

今の後藤さんの話を聞いていただいてもお分かりのように、裁判所で客観的に認定された事実。これは民事の不法行為ですから、拉致監禁罪とかそういう刑法上の罪名はついてないことなんですけれども、その事実として書かれていることを、刑法の構成要件で評価すると、間違いなく「拉致監禁罪」に当たるものなんですね。
そういう事実が、裁判所が認定した事実としてあるにもかかわらず、「ただの引きこもり」という言い方をしている。
「引きこもり」という言葉は先ほども記者会見の中で、「それは論評じゃないのか」っていうことが言われました。その通り「引きこもり」っていうのは、そこから具体的な行為が一元的に導かれるような言葉じゃないんで、それはかなり論評的な意味を持ってます。
しかしこの裁判で重要な、エイトさんが言っている「引きこもり」という言葉は、裁判所が認めた拉致監禁、この事実。
刑法で言えば、拉致監禁罪に当たる構成要件に該当する事実を「ただの引きこもり」って言ってるわけです。
即ちこれは、「犯罪にあたるような事実ではない。監禁されたわけじゃないんだから、出て行けるのも自由だったにもかかわらず、本人がただ引きこもって外へ出て行かなかっただけじゃないか」という、そういう意味合いです。
これは完全に「裁判所で認められた拉致監禁の事実を否定する論評」な訳です。
そこで否定された事実というものが、一方で「事実の摘示」という形で生じる訳なんですけど、ここからはちょっと法的な話になってややこしくなるので端折りますが、要は「ただの引きこもり」ということで人々の頭に思い浮かべられるような事実の情景というものについて、「それは拉致監禁とはまったく違うものだ」「犯罪としての拉致監禁とは全く違うものである」暴力や厳しい罵声等々ですね、部屋を施錠されて、外に出て行けなくなって、暴力も振るわれて。そして見張られたり、あるいは食事の制限をされたり、そういうようなことを12年間やってきたっていうことと、この「引きこもり」というその言葉のニュアンスが意味するものとの違いっていうものの差は、あまりにも大きい。「これは単なる論評だから名誉毀損は生じない」っていう類のものじゃないんだよと、やはり「裁判所で認定された事実を否定する」という事実の主張を伴ったものなんだよっていうことを、一度聞いて頂いたら誰しもがそうだっていう風に言っていただけるというふうに私は自信を持っています。それが中心になっている裁判です。

すなわちエイトさんは「後藤さんたちが主張しているような、拉致監禁の事実はないんだ」っていうことを言ってる訳です。それは断固として否定しなきゃいけないし、さらに僕が頭に来るのは、家庭連合の教義あるいは信仰。これについてはいろんな考え方があると思います。私も信者じゃないんで、それを全面的に肯定してるわけじゃないですが、ただ、「これが一つの宗教的教義として成立していて、多くの人たちが世界中で信仰しているという事実は尊重したい」という風に思っています。
そういう教義を、人生をかけて選択して、自分の信仰にした人がいるんだということに対する敬意が全くないわけですよね。人間としてのリスペクトが無い。
彼が言うのは、統一教会の信仰をする人は「統一教会というカルトによって、思考の枠組みを変容・変更されちゃった人」と。
これが彼の言うところの、カルトっていうものの定義なんでしょう。
そして記憶すらも改変されてしまった、要するに、「教義でおかしくなった思考に基づいて自分の記憶まで改変して、そして拉致監禁だ強制棄教だという被害者面をして、社会的にアピールしている」「教会によって、そういう風な演技を仕込まれている」「全くの操り人形だ」という。
要するに、後藤さんっていう一つの人格に対して、自律的存在に対して、その人間としての尊厳を全く認めないで、それを無責任に「ジャーナリスト」だとかたりながら、公表していく。こんなことが許されていいのか。

そういう義憤を後藤さんと共有して、我々この裁判をやっているっていうことです。この言葉は、後藤さんに対して向けられた言葉じゃありません。
旧統一教会をカルトだと。これは「異端」という意味と違うんですよね。
統一教会がキリスト教の異端か?って言われたら、僕の認識では異端です。
カソリックや伝統的なプロテスタントと違う。三位一体もどうも認めてない感じだし、とかね。そういう話。でも、それはカルトとはまた違う訳です。

「カルト」というのは、「異端の教義を持っている」という意味じゃなくて「反社会的な行為を、宗教の名のもとに行う。反社会的な行為、ひどい時にはオウム真理教のような無差別殺人までやってしまうようなそういう危険な存在」っていう意味合いを有しているものなんですよね。これはやっぱり無責任極まりない。
そしてこういう言論を放置している今の日本の世の中を見ると、さほど心理的抵抗のないままに、あるいはその心理的抵抗がないが故に、きちんとした調査、裏付け無しに「ちょっと変てこな奴ら」みたいに「こういう極端な統一教会はカルトだ」って軽い気持ちで言われる。

特にエイトが言った「思考の枠組みを変更された」とか「改変された」とか、そういう「普通じゃない」という言葉。
日頃「多様性の時代だ」とか「多元的な人達と共生しよう」とか「イスラムの人とも、LGBTとも共存しなきゃ」みたいなことを言ってる人たちが、「『家庭連合』という教義の枠組みを、自分の枠組みとして選択した人たち」に対して、投げつけていい言葉なのか?というのを考えてほしい。そのことができなければ、多様な社会とか多元的な価値観の共存なんてことができる訳がない。

そういう大きな問題も持った裁判だというつもりで、「基本的な、人間の広い意味での尊厳というものを大事にする社会を、日本において実現したい」。
そういう願いを込めて、この裁判をやってるんだっていうことも、皆さんと共有したいっていう風に思って、戦うことにして今日その火蓋が切られたということです。

【Q&A その1:解散請求の行方が、後藤さんの裁判に何か影響する可能性は】

Q.解散請求の行方が、後藤さんの裁判に何か影響する可能性があるのか。万が一、最高裁で決着して解散請求となる場合、この裁判に与える影響があるとしたらどのようなものがあるか教えてください。

A. 大きな全体状況として、全く影響がないというふうには言えないと思うんですけども、しかしながらこの裁判は、先ほど申し上げたように鈴木エイトの発言を問題にしています。そこで言われていることが、後藤さんに対する名誉毀損、社会的評価の毀損。
すなわち「人格的自立を持ってないただの操り人形だ」って言われてるようなこと自体については、統一教会が解散しようがしまいが「後藤さんに対する侮辱であり名誉毀損だ」っていう点は変わらないですよね。何よりも、判決は既に出て最高裁で確定しています。
これが例えば、解散請求の結果によって変わるなんていうことはない訳です。
世間の応援は多少厳しいことになるかも分からないし、裁判所はより慎重になるかもわからない。しかしながら、名誉毀損の裁判っていうのは進め方決まってますんで、鈴木エイトの方で、後藤さんに投げつけた言葉が「真実あるいは真実と信じる上で、相当な理由があったか」ということを証明しなければならないということになります。
それは何を意味するかというと、「本件では最高裁が認めた、この判決事実が間違っているということを、鈴木エイトが裁判の中で立証しなければならない」ということになります。

「頑張って証拠を探します」と言うかもしれないけども、まあ無理だろうなと思います。
その状況の中で、エイトがその証拠を探して実証するというのであれば、多少お待ちしましょうっていうことにはなるんでしょうけれども、それで裁判の進行が大きく変わるというふうには思わない。そういう意味で、この事件については特段の影響はないだろうというふうに私は考えています。

もう一つ補足させてもらいます。この裁判が例えば今、解散命令請求に対してどういう影響を与えるだろうかっていう観点も、考えてみていいことだというふうに思っています。で、この裁判。拉致監禁という事件でこのことの真実性が問題になっている。後藤さん個人の問題としてはもう既に決着のついた問題ですけれども、後藤さん先ほどの記者会見でもお話しされたように被害者は少なくても4300名名以上いるんだっていうことですね。
これにはそれなりの理由・根拠がある訳で、大きな人間の数です。

実際その、解散命令の根拠になっているだろう、文科省の方の聞き取り調査等のことが言われますけれども、その中の多くは脱会した信者の方々からの聞き取りといったこともあって、そこではそういう脱会工作を受けて信仰を捨てた、あるいは捨てずに戻ってきた後藤さんのような人がいるわけなんですけれども、日常的には考えられないような苛烈な体験というものはかなり大きな、記憶上・感情上の問題があり、そしてその拉致監禁っていうことを手段とする強制棄教という行為については、やはりそのことで脱会した人に対して、背教者意識といったようなものも芽生えさせるということは、間違いないことだと思うんですよね。
そして、そういうような背景の中で調べられて事実収集された事実をもとにした、解散請求ということであれば、やはりその元になったこの強制棄教・拉致監禁というような被害の全体性っていうものがどれほどあったのかということは、公平に、この解散請求の当否を考える上で重要になってくるはずです。

この裁判で勝つということはどういうことか。後藤さんが拉致監禁の被害者だということが改めて確認されるだけじゃなくて、拉致監禁が随分と広範になされていたんだっていう、全体的な拉致被害状況みたいなものも、ついでに正当性を持って浮かび上がる裁判だという風に考えています。

そして今までその被害だという風に言われていたものの多くは、そういう宗教的感情のもつれみたいなもの、あるいは宗教的感情の、いわば整理のできないドツボのようなものの中から出てきているものが随分とあるということについても、社会的に認知されるきっかけになるんじゃないかという期待を持っています。そういうことでこの裁判も含めて、あるいは…今日実は、もう一個別の裁判を提訴してるんですけどね、そういう個別の裁判というのは、個別の状況について触れるだけではなく、実は旧統一教会・家庭連合というものが担わされている「社会的状況の中での家庭連合のあり方」あるいは、見え方みたいなものも、少しずつ修正していくことができるんだ、という風に思ってやっています。
そういう意味で、先ほど中山先生の方からは「先に解散請求が認められてた時はどうなるか」っていう話をされましたけども、私の方からは「先にこの後藤・エイト裁判の決着をつけて、そして解散請求というのが万が一請求され、裁判になったとしたら、それに対して大きな影響を与えることのできる、一つの事例になるだろう」というふうに考えています。

【人権の尊重とは】

僕が一番信者の人たちにシンパシーを持ってるのは、世間の枠組みとは違う価値観っていうのを、自分の価値観として持って生きておられるっていうことに対する、ある種の敬意を持っているわけです。
僕は元々左翼の世界にいた人間ですけど、左翼は「レッド」というレッテルを貼られるわけです。僕は、赤というレッテルを貼られるほどの左翼ではなかったかもしれないけれども、要は、そういう一つの枠組み・価値観・体系・思想、そういったものを、自分のものとして大事にして生きている人たちっていう一つのタイプがあるわけですよね。
一つは、もうそんなことについてはめんどくさい事を言わずに、生活が大事だとかって言って世俗の世界で生きていくっていうことの方が大事だと、義理人情が大事だっていうのは、もしかしたらそういうことかも分かんないし、そういったものとはまたちょっと違った、革命だとか、世界や人類の未来だとか、神様だとか、みんなの幸せだとか、そういったことをやっぱり考えないと生きていけない人たちもいるわけです。「少なからず一般社会との軋轢を抱えながら生きていく」ということを、自分の生き方として選択しているわけです。
そういう人達に対して、自分はそういう人生を貫くことはできなかったという自戒の思いも込め、それなりの尊敬を持っているつもりなんです。
そういう人達に対して、そうではない人たち、つまり「自分が普通だ」と思ってる人たちの方から「変わった人。よくあんなこと信じられるな」と、しかも上から目線で言われる。これは左翼に対してもあるわけですよ。共産党のマルクス主義を今でも信じてる人たちがたくさんいる。「いまだにそんなことを信じてんの?あいつらバカじゃないか」っていう目で多くの人たちが見てるわけです。しかしながら、彼らはそういう差別の中を、それに耐えて生きているわけです。
僕も「共産主義やマルクス主義をいまだに信じるのはバカだ」っていうふうに思ってます。けれども、「それを大事にして生き続けることが人類の未来にとってプラスなんだ」と思って頑張ってる人たちがいる。そのことに対して、戦って生きている人に対してはそれなりに敬意を持たなければいかんという風に、僕は思っています。

そういう意味合いでの「戦い」っていうのは、家庭連合の信者の方々は自分で引き受けてやっている。これは特に一世について言えることだろうし、二世についても。
最近二世の方々と色んな形で触れ合う訳ですけれども、二世として、信仰を選んだという方々がおられるわけです。
その人たちはなおさらのこと、そういう信仰を持ちながら生きていくということは大変なことだということを自覚しながら、それを生きている。そのことを尊重するのが大事。
僕は憲法を専攻してきたんですけれども、立憲主義という大層な言葉、あるいは「人権尊重社会」「多様性を尊重する社会」とかそういったものが、大事にすべきことじゃないのかという風に思っている訳なんだけども、去年から始まった日本の有り様、風景を見ていると、とてもじゃないけどそんな風ではない。

僕は、ご存じの方はおられるでしょうけれども、いわば社会の嫌われ者であった在特会の人たち。要するに「朝鮮人や中国人に対する排外的な思想を持っている」という風に言われている人たちの側に立って、弁護もしてきました。

それは彼らを、他人を攻撃しているただの差別主義者だと僕は思ってないからなんだよね。「差別者というレッテルを引き受けながらも、自分たちが言わなきゃいけないことは言わなきゃいけないんだ」っていう彼らなりの使命感があるのだと気付いて、そこの部分については、やっぱり弁護してやらねばいかんという風に考えて、彼らの主張する表現の自由だとか、そういったものを守ってきたつもりです。
とにもかくにも、そうやって良き社会のために戦ってる人達、良き社会や良き未来、そしてその子供達のために頑張っている人たちに対する敬意が、あまりにも少ない。

我々はやっぱり、自分のためだけに生きてるんじゃないよと。世界平和のために、あるいは、これから生まれてくる子どもたちのために、今虐げられている人たちのためにといって心の中のどこかで、そういうものを持ちながら生きてるし、それが人間だっていう風に思ってるし、思いたいじゃないですか。
そういうことで戦ってる人たちを、そんなに簡単に非人間的に扱っていいのか。
共存の社会っていうのは、ある種の我慢だとか、自己反省だとか、そういうものにしか裏打ちされないはずなのに、今のマスコミの報道の仕方を見ていたら、あまりにも節操がないし、その節操がないということに対してもっと強硬に怒る声が出てきていいという風に思っています。
そんな流れの中の一つとして、一つの戦いとして、まあエイトさんはエイトさんなりの戦いをやってるんだろうけど、戦う者にとって大事なのはやっぱり「仁義」ですよね。
仁義っていうのは要するに、「他者に対する筋をきちんと通す」という話です。
自分たちのその世界の中での価値観を通して、そこに対抗する人たちの仁義、今回の場合は人権、そういうものを認めないっていう話じゃなくて、「どこまでもフェアプレーをやろうよ」っていう、そういう気持ちが「人権主義」とか「人権擁護」だとか「多様性の中の共存」を言うときには大事なのに、その一番大事なところが欠けているということに対する、僕なりの怒りや義憤があるわけです。
そういったことを直していくには、僕は弁護士だから、一つ一つの戦いの中から
そういうものに対する異議申し立てをしていって、裁判所の判断というものを通じて社会に訴えることができたらなという風に思いながら仕事をしているわけです。
今回はエイトさんに対する裁判で、まさに良い題材をもらったなと思ってる訳です。
こんなに人間をばかにしたような言論を、正義の味方のふりをして行い、それをそのまま放っておくような社会ではいけないんだという思いがあるわけです。

【安倍元首相の名誉回復のための裁判について】

そして同じようなことで、今日はその後藤さんの裁判だけじゃなくUPFが、エイトが言っている「安倍さんに対してUPFが五千万円払った」っていう非常に無責任な発言、その発言は自民党の腐敗っていうものを基礎づける発言だっていうことで、あちら側の世界では重宝されて、あちこちで講演とかしておられるんですけれども、「五千万円の謝礼を貰った」「しかもそれは裏取り引きだ」「脱税はしてないのか」「社会政治資金規正法上の処理はやってるのか」あるいは「賄賂じゃないのか」「その引き換えに警察の捜査を抑えてるんじゃないか」とか様々な疑念。金銭については非常に清廉な方だったという評価のあった、安倍さんに対してそういうような憶測を投げかけるような、五千万円の授受。アメリカではこれ普通なんですよね。トランプが一億円もらったとか言うけど、クリントンだって、ちょっと講演したら一億ぐらいの金をもらうわけですよ。
それがアメリカという社会ですよ。で、日本ではどんなに活躍したって、野球の選手が百億をもらったりとかってありえないけれども、アメリカでは現実に起こるわけです。それは単に資金力があるということじゃなくて、報酬というものに対する考え方が違うんだっていうこと。要するに、一流企業の社長であっても、日本の社長が取れる給料っていうのはたかだかしれている。だけどゴーンが、べらぼうな金額をもらってたっていうのは、日本人からしたら「同じ日産の社長をやってて、なんでこんなにもらうねん」って思うけれども、外国の優秀な経営者連れていこうと思ったら、それぐらいはやっぱりいるんだろうと。同じように、元大統領のトランプに演説をしてもらおうと思ったら、一億ぐらいはいるんですよ。だけどそれは向こうの社会の話。日本の社会でそんなこと許されないわけでしょう。
そしてそんな中で、「トランプが一億だったら、五千万円もらってるはずだ」っていう、単なる推測で、何の証拠もないのにそういったことを言って、それを誰も文句つけないもんだから良いのかなと思ったのか、あちこちで、最初は遠慮しながら「半額...」とか言ってたのを最近は「五千万だ」ってあちこちで言うようになってる訳ですよね。
これは、でたらめです。ありそうな話で、でたらめな話です。
そしてそういうことをジャーナリストたる彼が、あちこちで書いているということに対して、非常に疑問を感じるし、そのことについて今まで何でUPFが裁判しなかったのかなって本当に思ってたんですけれども、「すべきじゃないか」っていう話をしたら「やっぱりそうだと思う」っていうことになったので、後藤さんの事件と一緒に「エイトの無責任な発言はジャーナリストとしてどうなのか」という意味を込めて、裁判をしました。

【鈴木エイト・子ども食堂裁判について】

そして今、もう一つ準備している裁判があります。子ども食堂。
家に帰って、ご飯を食べられない子供達がいます。そういう子たちのために子ども食堂をやって、子供達に腹いっぱい食べてもらおうって思って、一生懸命頑張っている善意の人がいる。その人がたまたま統一教会、家庭連合の信者だっていうことでね、鈴木エイトは板橋区が主催する講演会に出ていって、その人の実名を明らかにして「こんな所でこんな風にやってるんだ」って言ってた。一体何の恨みがあったのか。要は「家庭連合を信仰しているような人たちは、社会からあぶり出して排除せよ」っていう。もうこれは、究極的な思想統制じゃないですかね。
昔、赤狩りっていうのがありました。「こいつはこういう信条を持ってるんじゃないのか」「共産主義者じゃないか」「共産主義のスパイじゃないか」ということで、その疑いを持たれた人については、リストを公開して公開処刑するようなことをやってた訳ですよ。今やられてることはそれでしょう。少なくとも「人権擁護」っていうものを掲げて活動をやっている鈴木エイトは、それを掲げるんだったら、自分のやっていることが、人権擁護という問題に対して矛盾しないのかと、自問自答しながらやってほしい。

どう考えたって「子ども食堂をやっているこの人は旧統一教会の信者です!」ってみんなの前で晒して業務妨害をして、その人は社会にそれまで根付いてやってきたのに、「あの人は本当は統一教会だったんだ…怖いね。スパイとかされて、子供が誘拐されるかもしれない」みたいな、訳の分からない憶測の中で非常に厳しい状況に置かれてしまうと、子どもたちはそこに行きたくても親から「あそこは統一教会だから、そんなとこに行ったら何が起こるか分からない。行かないように」とか言って、これは僕の想像だけで言ったんですが、きっとそんなことが起こってるかもしれないなということについて、ジャーナリストだったら自分の頭の中でそういう想像力を働かせて、どこまでが良くどこまでが駄目なのかっていうことについて、まず判断できるはずじゃないか。そういう人でなかったら、ジャーナリストを名乗る資格はないと思っています。
そういうことをやった鈴木エイトについてはやはり、立憲主義における人権の名において、鉄槌を下さなきゃいけないという風に思ってるんで、この裁判も喫緊に起こして、エイト三部作をこの東京地裁でやって、いずれも勝訴判決を取って、令和の始めの時期に、安倍さんのこんな暗殺事件があったと同時に、こんな恐ろしい言論が流布したということの記録を、ぜひ歴史的に残していきたいという風に考えています。長々と演説しましたけれども、そういう中の一つの裁判だっていう位置づけを今、申し上げたいと思いました。

【Q&A その2:紀藤弁護士や全国弁連に対するアクションは?】

Q. 紀藤弁護士、それから全国弁連に対してはなんらかのアクションを取らないのでしょうか?

A.紀藤弁護士と、全国弁連の世話人に対しては女性連合の方から裁判を起こしてます。
相変わらずその女性連合に対しても、反社会的団体の隠れ蓑とか、ダミーだとか、ボランティア活動を偽装してるとか声明で言ったものだから、女性連合の会長が怒ってしまって、その声明を出した全国弁連の三人の弁護士、それと紀藤弁護士を加えて提訴しています。第一回が10月23日に、東京地裁であります。是非そこを傍聴しに来ていただければと思います。

ただ、今のところ女性連合の方が傍聴希望者160名と言ってきたんで、紀藤弁護士の方も弁護団立てて、それで第一回の時に被告の方から意見陳述をしたいということを言ってきてるんで、当然原告の側も意見陳述するわけなんですけれども、双方が意見陳述する以上、紀藤くん側も動員をかけてくるんだろうなと。そうするとこっちは160名、向こうもそれぐらいだったら300名で100もない席を奪い合いになるので、抽選になります。でもその抽選で、やはり向こうに負けたくないからたくさん来て、抽選で席を取りたいと言って、女性連合頑張ってますので、是非来ていただければ。終わった後、今日と同じような形で裁判の流れや今後の展望を僕の方からご説明申し上げるつもりですので、10月23日東京地裁に是非足をお運びください。

それとは別に紀藤弁護士に対しては、名誉毀損の裁判が1件、もう大詰めですよね。ミヤネ屋か何かで言った「家庭連合は信者に売春させて献金させてる」っていう発言をして、その裁判が12月5日かな、次回で結審します。
名誉毀損の裁判では、名誉を毀損することを言ったことについては言った側が、それは真実だということを立証しなきゃいけないんです。けれどもさすがに紀藤弁護士も「統一教会が売春させていた」ということの立証はできないようですね。
見ていると、「ソロモンっていう分派があって、そこの話なんだ」っていうことを言ったみたいですけども、そうであったとしても「ソロモン会の中で私は売春をやって、献金しました」という証人を持って来れるのかっていう話があるし、そもそもソロモン会というものはあるのか?っていう根本的な疑問がある。それを言った段階で、多分あの裁判については敗訴を覚悟してるんだなっていう風には思います。まあそんなことで、おそらくこの12月5日までの間に新しい決定的な証拠を見つけてくることが、できないだろうなと思いますけれども、無ければ12月の5日に結審して、判決は大体それから3カ月ぐらいで出るんだという風には思っています。今僕が聞いている統一教会・家庭連合関係の裁判で、一番スピードが速いのは、それじゃないかなと思います。

もし何か、全国弁連の発言や声明、そういったものでけしからんというものがあれば、是非言っていただければ、果たしてそれを裁判として取り上げるか、勝てるのかどうか吟味して取り組みたいと思いますので、よろしくお願いします。
以上

★動画リンク(20231004 鈴木エイト氏に対する名誉毀損訴訟提訴報告会)







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?