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上原正稔はなぜ琉球新報を訴えたか

沖縄集団自決冤罪訴訟の判決は、自決命令が真実だと証明できないこと、大江健三郎や岩波書店のリテラシーのご都合主義の2つを明らかにできたことが成果です(ただし、後者についてはこれを成果だというのは公式声明では控えています。品がないので)。 確定した高裁判決の評価については、添付の声明文をご高覧下さい。
沖縄集団自決冤罪訴訟弁護団声明(最高裁決定を受けて)

敗訴の理由は、高裁判決が採用した判断枠組みにあります。発刊当時に真実性ないし真実相当性があり、長く出版され続けた場合、たとえ真実性が揺らいでも、それが真実でないことが明白にならない限り出版は違法とならないというものです。わたしたち弁護団は、『沖縄ノート』が今も増刷され販売されている以上、現時点での「加害行為」が認められるのだから、現時点での「真実相当性」が必要だという論理を主張していたのですが、高裁判決は、発刊当時(それは昭和40年代)の真実相当性があればよいとした点が結論の分かれ目になりました。一審判決は、そもそも「真実相当性」の理解を間違えていましたが、高裁判決は、「真実相当性」の中味は正しく理解しています。それが具備されるべき時点について、わたしたちとの主張とすれちがったのです。
その理由としてあげられている表現の自由の保護に関する論理は、なかなか含蓄のあるものです。事件を離れてみてみると、中々説得力はあると思います。 

反日サヨクは、例の高裁判決をその趣旨を枉げて勝利宣言していますが、その欺瞞性を世間に暴き、集団自決命令が真実性を欠いたものであることが判示されたことを広くアピールすることの大切さは感じています。これからの戦いについて言及して戴きましたが、この高裁判決の論理によると、この裁判中に「両隊長の集団自決命令」に言及した書籍の発刊については、名誉毀損を理由に出版停止にできるということになります。そうした観点から新たな目標を探すことを考えています。
琉球新報の連載戦記物『パンドラの箱を開ける時』で「自決命令はなかった、沖縄県民は梅澤さん赤松さんに謝罪すべきだ」と書いた沖縄のドキュメンタリー作家・上原正稔氏の原稿を掲載しなかった琉球新報に対する損害賠償請求訴訟は、その意味においても重要な意味をもっていると考えています。 

マッカーサー証言のリテラシーについても、大江健三郎的なご都合主義と証言のつまみ食いがないかということが、どうしても気になってしまう(あいつらと同じような卑劣なことは絶対したくないという心情にあるという)ことをどうかご理解ください。身内に厳しい読み方をして相互に批判する精神が失われたとき、大江健三郎が漂わす腐臭が漂いはじめるのですから。大江健三郎は、もう精神のゾンビです。あれは。かつてのファンとしては正視に耐えません。

●動画「パンドラの箱掲載拒否訴訟」 記者会見 6-1 6-2  6-3  6-4  6-5  6-6



(H23/5/31  MLへの投稿から)

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