阿波踊り有名連の歴史と魅力に迫る!(第1回)「娯茶平」
400年以上の歴史を持つ阿波踊りでは踊りのグループを「連」と呼ぶ。技術に優れ特色あふれる群舞を見せる「有名連」、大学生らの「学生連」、企業による「企業連」などがあり、毎年8月に徳島市中心部で開かれる阿波踊りには、最盛期は開催4日間で延べ約1000連もが繰り出した。特に、有名連には固定ファンも多い。徳島県阿波踊り協会と阿波おどり振興協会所属を中心に、7つの有名連をピックアップ。それぞれがたどってきた歴史と、築き上げた独自のスタイルを、徳島市の阿波踊り本番に向けた練習(2023年6~8月)に密着し紹介する。(徳島新聞メディア編集部・植田充輝)
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終戦から1年後の1946年、復興に向けて立ち上がろうとしていた県民を勇気づけようと、戦争で中断していた阿波踊りが徳島市で復活。その際、徳島市前川、助任地区の復員兵ら28人で、前身の「オール前川娯茶平倶楽部」が結成され、翌年に「娯茶平」と改名された。徳島の方言で「でたらめ」を意味する「ごじゃ」にちなみ、「でたらめな人」になって「ひとときでも日頃の憂さを忘れて踊りたい」との思いから命名された。
「正調保存」貫く風情ある踊り
結成当時、阿波踊りの名付け親とされる日本画家で郷土史家の故・林鼓浪氏の指導を受け、現在の踊りの原形を作ったと伝わっている。踊り方のテーマは、その時に林氏が残した言葉「正調保存」。阿波踊りの正調三大主流の一角「娯茶平調」の始まりだ。8代目連長の山名和男さんが率いる連員数は現在約300人を誇る。
娯茶平は現在も「正調保存」を連のテーマとして守っている。男踊りは、前傾姿勢で腰をグッと低く落とし、がに股で地をはうように「すり足」で少しずつ歩みを進めながら踊る。古典芸能「能」を思わせる「すり足」は、娯茶平ならではの足運び。集団美を競ってテンポが速くなった現代の阿波踊りにあっても、娯茶平はあくまでもゆっくりとしたリズムにこだわり、一人一人が個性に磨きをかけながら風情ある踊りを貫いてきた。黙々と踊る姿に派手さはないが、独特の渋みとすごみがそこにはある。