都倉セレネ

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最近の記事

私の夢

みなさんには夢はありますか? 「サッカー選手になりたい」 「お花屋さんになりたい」 子供のときってなんの制限もなしに将来なりたい夢をイメージしていたような気がする。それがいつからか、現実を知り、ただなりたいだけでは夢は叶えられないものだという厳しい現実を歳と共に痛感してきたなあと思う。 私はといえば、子供のときは歌うことが好きだった。歌手になりたいと漠然と夢物語のように思っていた。 バンドを始めたとき、本当はボーカルがやりたかったのに勇気が出なくて恥ずかしくて、吹奏楽

    • 心境の変化

      2024年2月17日 最近のこと。心境の変化とかもろもろ。 最近仕事に対しての姿勢がだいぶ変わった。 障害者雇用の事務員になってからもうすぐ3年が経つ。 こんなに一つの仕事が長く続いたのは初めてのことで。 今までは私が一番下っ端で上司や先輩に頼ってばかりだった。 というか、仕事に対してやり甲斐を求めたり、仕事で成果を上げるなんていうことにまるで関心が持てなかった。 言われたことをやっていたらそれでいい。 漠然とそう思っていた。 3年も働いていると私にも障害者

      • 大好きなおばあちゃん。

        2024年1月23日 私はおばあちゃん子だった。 おばあちゃんが大好きだった。 幼少期、両親が共働きだった私は学校から帰りランドセルを置くとすぐさまおばあちゃんの部屋に直行していた。 そしておばあちゃんが用意してくれたお菓子(さきいか、塩煎餅など)を食べながら、夕方にテレビでやっていた時代劇と刑事ドラマを一緒に観るのが日課だった。 父に酷く怒鳴られた夜も、部屋で独り泣いているといつもティッシュにさきいかを包んで持ってきてくれた。 おばあちゃんが死んだのは、16年前。

        • 「あなたの好きは軽すぎる。」

          2024年1月22日 「あなたの好きは軽すぎる。」 過去に他人から言われて、傷ついた言葉だ。 人を好きになるという行為や状態はどの程度いけば軽くなくなるのだろうか。 そもそも、人を好きになることに関して他人から軽いだの重いだのいちいち決めつけられたくもないわけで。 でも図星だったのかもしれない、と今は思っている。 軽いか重たいかという正解がない話ではない。 私は果たして人を本当に好きになったことがあるのだろうか。 依存だったり、勘違いだったり、目の前に現れた都

          私の青春

          2024年1月15日 朝起きて、仕事に行くのがどうしてもキツくて、行けなかった。 朝ごはんを食べて、昼前になると頭もスッキリ目覚めてくる。 ふと、今日1日をこのまま終えていいのだろうかと考えた。 最近バラ色の聖戦という漫画を読んだ。 主人公の真琴は私と同世代で、普通の主婦だった。 夫の不倫、自分への自信の喪失、不倫相手の仲人を勤めなければならない屈辱を乗り越え、勇気と挑戦したいという前向きさで普通の主婦からパリコレモデルにまで登りつめる。 夫の反対、失敗や挫折、ラ

          とあるノンバイナリーのもやもや

          私の性自認はノンバイナリージェンダーである。 女性の身体に産まれた。 33年間、この身体と共に生きてきた。 性自認というものに悩み、トランスジェンダーなのではないかと思い苦しんだ時期もあった。 私が10代、20代前半のときは今のようにいわゆる多様性と呼ばれる時代ではなかった。 非常に生きづらかった。 先人たちはもっと生きづらかったろう。 でも昨今は名のあるアーティストやクリエイターたちの尽力のおかげもあり、我々セクシュアルマイノリティも生きやすくはなった。多様性の時

          とあるノンバイナリーのもやもや

          バンド

          音楽が好きだ。 幼少期はピアノを習っていた。 中学生のときは吹奏楽部でアルトサックスを吹いていた。 悲しいかな、楽器との相性が悪すぎてちっとも上達しなかった。未だに譜面は読めないまま。 隙あらば、歌っていた。 お手洗いのときも お風呂にいるときも よくうるさい、と叱られていた。 歌は、自由だから好きだった。 上手いとか下手だとか、そんなことよりただただ楽しかった。 初めての、憧れのバンド。 担当したのはドラムだった。 吹奏楽部でかじっていたパーカッションの拙い経

          最近の変化。

          こんばんは。 9月ももうすぐ後半に差し掛かり、昼間はまだ暑いですね。でも空気は真夏とはだいぶ変わって、ほのかに秋を感じるようになってきた気がする、そんな今日この頃。 さて、私の最近のお話。 以前noteに書いたのですが、私はここ数年感ずっと文章を書く仕事がしたいと思っていました。 そんな中でwebライターとしていくつかの記事に携わることが出来ました。 文章を書くこと。 それは私の唯一の表現方法であり、唯一の術です。 今の本業の仕事をいずれは辞めて、フリーランスと

          最近の変化。

          八月の陽炎

          朝、目が覚めた。 眠気まなこをこすりつつ枕元に置いてある煙草を探す。 蝉がミンミンと劈くように鳴いている。 ベランダに出て無造作に取り出した煙草を燻らせると、強烈な煙たさと鼻を抜けるメンソールが眠たさの微睡みから引っ張りあげてくれる。 煙を肺いっぱいに吸い込んでは吐き出し、早々に火を消した。 「あっつ、、」 八月。 早朝だというのにムンムンとした熱気が僕を支配する。 部屋の中でも吸えるからと思って電子タバコにしてからは、紙巻きの煙草は滅多に吸わなくなった。

          縁とは不思議なもので。

          私には有難いことに1ヶ月のうちに何度も会う友人がいる。 彼とは仲良くなって6年ほどになる。Twitterの共通の知人を介して出会ったご縁だ。 当日に今日会えませんか?と連絡をしても、空いていると会えますよ~と連絡が返ってくる。というか、ほぼほぼ会う時は前日か当日に決まる。 この気軽さ、フットワークの軽さが大変有難いし、居心地が良い。 彼とはLINEは交換しているけれど、連絡はTwitterのDMでしている。会う前以外は連絡はほとんどとらない。しかも仲良くなって6年も経

          縁とは不思議なもので。

          新宿三丁目のサンクチュアリ

          私は一度ハマるとそればかりになるタイプだ。 少し前は新宿三丁目の24時間営業の分煙の喫茶店によく入り浸っていた。 私は煙草を吸うので、この喫煙者に厳しい世の中になりながらも煙草が吸える喫茶店という存在は非常に有難いものがある。 ひとりで行くときは喫煙席に座る。友人はほとんど煙草を吸わないので友人と行くときは禁煙席に座り、時折階段にある喫煙所に煙草を吸いに出ていた。 喫煙可、WiFi、コンセント完備 最高の環境である。 クリエイターの方々がよく作業している中で私もよ

          新宿三丁目のサンクチュアリ

          シーシャと私。

          最近シーシャにハマっている。 以前から気になってはいたもののなかなか行く機会がなく友人に連れてきてもらい、シーシャデビューを果たした。 初めのうちは友人を誘い、持ち込みOKのお店だったのでお酒を飲みながら他愛のない話をするのが楽しかった。 それからひとりで来るようになり、おひとり様専用シートで足を伸ばし、読書をしながらゆったりとリラックスした時間を満喫している。 その時間がとても貴重で大切なものに思えた。 煙を吸って、吐く。 その一連の動作は深呼吸と同じで、とても

          シーシャと私。

          東京。

          東京と聞くとみなさんはどんなイメージを持つだろうか。 大都会、東京。 私の好きな音楽たちにも東京と名前のついた曲が数々ある。それは東京という街に対する反抗心だったり、憧れを歌ったものだったりする。 「東京という街」は地方から上京してきた人たちでつくられている、という一節を聞いたことがある。 私はと言うと、生まれも育ちも東京。 でも東京の片田舎出身だ。 高校生になるまで電車にもあまり乗ったことがない行動範囲の狭い人間だったため、東京の様々な街に出向いたり、住んだりし

          徒然その④

          自分が何者なのかよく考えるうちの中に性自認について、というものがある。 今に至るまで様々な身体や心の変化を経て、性自認もまた変わってきたし、また今後変わるかもしれない。 まず現在のことを書いていこう。 生まれ持った身体的な性別は女性。 これは紛うことなき事実。 毎月生理も来るし、女性らしい丸みを帯びた身体つきをしている。 性自認は女性でもなく男性でもない、という実に曖昧な感じになっている。 Xジェンダーかノンバイナリージェンダーが近いと思っているけど、正しいカテゴ

          徒然その③

          暑いですね。 まだ6月の半ばなのにこれじゃあ夏本番が不安すぎる。 毎年言っている気がするけれど、夏を乗り越えられる気がしない。 とか言いつつ、毎年乗り越えているからしぶとくこうして生きているわけだけど。 電車に揺られながら物思いにふける。 この時間がとても好きだ。 私には好きなバンドがいる。 最近バンド界隈に詳しくない方にも認知度が広がってきて、テレビにも頻繁に出演するようになった。 そんな大好きで堪らないバンドがアルバムをライブDVDつきで破格の3000円台でリリ

          徒然その②

          私は眼鏡をよくかける。 目が悪いのだけど、普段はコンタクトを入れているから本来眼鏡はかける必要がない。 何故私が眼鏡をかけるのかについてお話したいと思う。 ファッションのワンポイントとしてかけることが多い。 色々な形、色の眼鏡を持っているのでその日のコーディネートに合わせて眼鏡を選ぶ。 その時間が楽しくて好きだったりする。 この生きている世界を俯瞰して見れない時が多々ある。 眼鏡をかけることによって自分と外界の間にフィルターが生まれる。 ワンクッションおいた方