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大丈夫!うつでも生きられる!①

今回から2回に分けて、うつ病でも生きられるというお話をしていきたいと思います。

まずは、唯物論者だった私が、先輩職員からのパワハラを受けて、うつ病を発症する経緯からお話していきたいと思います。

パワハラは、誰でも被害者になる可能性があります。

私の経験からもパワハラを受けやすいタイプの人と受けにくいタイプの人がいると思います。

その話も、おいおい書いて行きたいと思います。

それでは第1章から始めたいと思います。最後までお読み頂けると嬉しいです。

第1章唯物論者になる

☆家から出火する

私は、今でこそ魂・神の存在と輪廻転生を信じていますが、若い頃は無神論者でした。特にその思いを強くした事件があります。

それは18歳の時に自宅を含めた両隣3軒を全焼した火事でした。火元は自宅の風呂場でした。

当時(昭和56年)は、まだ、薪を使って風呂を沸かしており、薪の燃え残りが近くに積んであった薪の束に引火したのが原因でした。真夜中だった為気がつくのが遅れ、家族全員身一つで逃げるので精一杯でした。

燃え盛る炎の中脆くも崩れ落ちていく3軒を、物というのはこんなにも儚いものなのかと呆然と立たずんで見ていました。

私の父は、とても信心深い人で毎日の朝・夕に1時間づつ仏壇と神棚に手を合わせ、月に1度僧侶を自宅に招きお教をあげてもらっていました。
また、それとは別に日限地蔵の縁日には欠かさず、バスと電車を乗り継ぎ2時程かけて出かけるような人でした。

父は身体障がい者で外に働きに行けなかったため自宅で商売をして生計を立てていました。駄菓子屋をしており、父が仕入れの商談をし、祖母と母が店頭に立つていました。

子供は私を含め男ばかり3人いたため暮らしは楽ではありませんでした。ですから、生活費に占める信仰のための費用はかなりの部分を占めていたと思います。

そんな、信仰心の厚い父の家に、こんな災難が降りかかるとは・・・。それこそ神も仏も無いものかと思ったのです。火事の後、両隣には賠償金を請求されました。何も悪い事をしていないのに、いきなり家を焼かれた身にとっては当然のことと思います。

しかし、私たち家族にとっては幸いな事に、民法では火事の際の賠償金の支払いは免除されていました。だからと言って「ごめんなさい」で済む話しでもありません。弁護士に間に入ってもらい結局、我家の火災保険を3等分することで話しはまとまりました。

一時は、もうここには住めないと、父の兄弟達が相談をして、引越しをすることに決めました。

しかし、 町内会長と隣組の組長から「今までどうりここで商売をして欲しい」との話があったため、それならばと、同じ場所に家を再建しました。

しかし、それからの生活は針のむしろに座らされているようなているような日々でした。両隣からの嫌がらせは毎日の様にあり、そのストレスのため母は顔面神経痛になりました。

 私も、火事の当初は、物に執着しても仕方ないと思ったのも束の間、金が無いのはこんなにも惨めなものかと思い、やっぱり世の中金が1番大事と思い知らされました。

 幸い兄は地元の商工会議所に、私は市役所に就職していたため、それからの毎日は、いつか両隣の主人の頬を札束で叩いてやるとの思いでお金を貯める事に一所懸命に生きて来ました。

そんな私でしたから、仕事も一所懸命やりました。もちろん、早く出世して給料を上げたいとの思いでです。それと同時に、公務員の給料だけではたかが知れてる。これだけじゃダメだと、株や貴金属の先物取引など様々な投資に手を出しました。

そんな私が「いや違うぞ、お金も大事だが人生にはもっと大切なものがあるんだ」と気がついたのは33歳の時でした。


結婚もし、長男と長女を授かり仕事もバリバリこなして人生が充実し始めた時に、私の価値観を大きく変える出来事があったのです。


第2章うつ病になる

☆パワハラが始まった

私が33歳になったばかりの、春先の3月に職場の先輩によるパワハラが始まりました。

当時の職場は○○区画整理事務所という部署でした。

毎日、地権者に移転してもらうための交渉に明け暮れていました。1軒の移転で1千万以上のお金が動きます。

地権者は少しでも多くの補償金を得たいと思い、色々と駆け引きをしてきます。

こちらは、国から示されている基準に基づいて補償金を計算しているので、ごねられたかと言って、「はい、そうですか」と補償金額を上げることはできません。

それに、1軒の家にゴネ特を許すと、噂は確実に区画整理地内に広まります。

「あの家は、文句を言ったら補償金額が10万円増えた」こんな話があっという間に広まります。それも話に尾ひれがついて・・・。

ですから、1番初めに提示した補償金額は上げてはいけない。これが移転交渉の原則です。

移転交渉は、その家のご主人様が帰宅して夕御飯を済ませてから行うのが通例です。

もちろん、相手の時間に合わせるので、もっと早い時間を希望されれば、その時間に合わせることもします。

毎日、移転交渉に終われて、区画整理事務所を後にするのが午前0時を回ることもよくあり、ストレスで胃が痛む毎日が続いていました。

ちょうどその頃は、妻が長女を妊娠していて、出産予定日は3月の中頃でした。そのため、急な残業はできないことと、出産に立ち会いたため、急に仕事を休むこともある得ることを上司と係全員に伝えて了承を得てありました。

 そんな時に、パワハラ先輩Oさんから「今日、残業して行くか?」と声をかけられました。

その時は長女の出産予定日が過ぎており、何時陣痛が起こるか分からない状態だったので、「今日は残業はできません」と答えました。

その翌日からです。Oさんの私に対する態度が豹変したのは・・・。

元々、Oさんは私に目をかけてくれていて、その前年には「分からないことがあったら俺に何でも聞け」と言ってくれていました。

私もOさんもパチンコ好きだったので、区画整理事務所内の他の職員も誘って、3人でパチンコ屋に行ったこともありました。

3人の中で、私が1人負けをした時には、「お父さんが自分だけ遊んで来て、子供におみやげもなしじゃカッコつかんだろう」そう言って、自分の持ち玉を私の長男のお土産にする、ぬいぐるみに変えて私に渡してくれたこともありました。

Oさんは私よりも2歳年上です。以前から顔見知りでしたが、一癖ある人間という噂を聞いていたので距離をおこうと考えていたのですが、これらのことから次第にOさんを頼りにするようになって行きました。  

☆後から気づいたが

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