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普通って何? 多様性社会を生きるには、まずは自分を好きになり、相手を「知ること」から

先日、LGBTQ+について学ぶ講座に参加しました。
周りや知り合いにもLGBTの人がいるし、
そのことに対して抵抗は一切なく
自分の中に差別の意識はないと思っています。

その講座の中で、アンコンシャスバイアスという
言葉が出てきました。
自覚なき差別、無意識の偏見という意味だそう。
これは脳の働きによって
誰にでも生じるものらしいのですが、
自分の中にあるアンコンシャスバイアスを知り、
普段から意識していることが
大事であるということでした。

自分の中にはどんな無意識の偏見があるか。
確かに性的マイノリティーの人に対しての
偏見は持っていないと思いますが、
講師の方の挙げた例を聞いていて
やはり自分にも無意識の偏見がありました。
私の場合、そんなにネガティブなものではありませんが
「社長だからお金持ち」
「北大生は英語ができる」など
勝手に決めつけている部分がありました。
そう、これもアンコンシャスバイアスなのだそう。
ちなみに講師の方の挙げていた例だと、
血液型でタイプを決める(A型の人は真面目とかね)、
お酒が飲めない人は付き合いが悪いなども
自覚なき偏見になるとのこと。

確かに一部分だけを見て
その人のことを咄嗟に判断してしまうことは
よくあるかもしれません。
あの人は●●●だから●●●な人だと…。
でも、決めつけてしまうことは
自分の視野も狭くしていると感じました。
特にそれがネガティブな方向へ向かうのは
よろしくないと思いました。

講師の方が
「これからの時代、偏見はリスクになる」と
おっしゃっていました。
●●に決まっている、
●●じゃなきゃダメ、
●●のはず、
●●なのだから…といった
これまで刷り込まれた(刷り込んでしまった)
思い込みからくる偏った見方や考え方を
見直す時代に入っていると。
そして、狭い価値観や視野で偏見を持っている子は
これからの時代、逆にハンデになると認識して
親は子育てをしたほうがいいとも…。
インターネットの普及で世界が近くなった今、
本当の意味での多様化、多様性の時代がやってくるからと。
これは確かにそうだなぁと思いました。

私たち日本人はすぐに「普通は…」と
口に出してしまう傾向にあります。
個よりも、みんなの和を重んじてきたので
「みんながやっていること」や
多数派、一般的、平均的と言われるものに
安心するのでしょう。
でも、自分の普通がみんなの普通ではないと
意識を切り替える時期に来ていると
あらためて感じました。

差別は、「知らない」が
引き起こしていると常々思っていました。
偏見のブロックを外して「知る」ことが大切。
「マイノリティーの権利擁護よりも
まずは知る努力をすることが大事」という
講師の方の意見にも大きく頷けました。
LGBTQ+だけでなく、
発達障がいと呼ばれる人や
高齢者の人などに対しても
「知ること」と「知るための努力」が大切だと思います。

そして、一人ひとりが違うから尊い。
それは自分自身も含めてです。
「多様性社会への第一歩は
自分を大切に思うことです」と
講師の方が最後におっしゃっていたことも
とても印象に残りました。

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