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【エッセイ】桁違いの父のこと

18年前に亡くなった父には、10人以上の奥さんがいた。ご丁寧に、ほぼ全ての人と籍を入れている。時々、父にとって結婚とは、家族とは何だったんだろうと思うことがある。父は一体何を追い求めていたのか、今となっては知る由もない。父自身がどう思っていたかは分からない。ただ、「俺は自分の人生を生き切ったぞ」と最期に思って亡くなったと娘としては信じたい。だから、これを読んだ人には笑ってほしいと思うし、「面白いお父さんだね」と言ってほしいと思う。

父は京都生まれで、幼少期に戦争も経験している。裕福な家庭ではなかったそうで、お腹が空きすぎて自転車の後ろに積んであった箱からあんぱんを盗んで食べたとか、誰かの畑の大根を抜いて食べたとか、そんな話をしてくれたことがあった。電車賃がなく、京都から広島まで歩いたとか、そんなことも言っていた。そんな父が、大きな財を成すことができたのは、もともとあった商才と昭和のバブルという時代のおかげだった。

父との思い出はいくつかあるのだが、実際のところ父が家へ帰ってくるのは年に数回で、トータルすると父と一緒に暮らした期間は1年にも満たないと思う。それでも、父に対して強い不平不満がなかったのは、単純に父が好きだったのと、子供の頃は経済的に恵まれていたからかもしれない。

父が離婚、再婚を繰り返していること、私の母が4番目に結婚した女性だという真実を知ったのは、24か25歳の夏だった。そのころ、札幌の生活情報誌の編集者として会社勤めをしていた私は、ビアガーデンで行っていた会社主催のイベント担当者として会場にいた。イベント終盤に、父から携帯に電話があり、仕事が終わったら食事をしようと誘われた。

父から教えられた店は、繁華街・すすきのにあった。当時はまだスマホがなく、聞いた住所をもとにビルの看板を確認しながら店にたどり着いた私は、ビルの入り口で目を疑った。そこはキレイなお姉さんがたくさんいるような高級クラブだった。表から父に電話すると、「合ってるから入ってこい」という。私は思わず自分の服装を悔やんだ。その日は裏方仕事だったので、デニムにピンクのTシャツ、さらに若干金髪気味のフワフワ頭というヘアスタイル。しかも砂ぼこりで顔も若干汚れている。なぜこんなところで食事をするのだろう…。私はとりあえず恐る恐るクラブのドアを開けた。すると、「いらっしゃいませ。お待ちしていましたよ」とおそらく同じくらいの年齢の、美しいドレスをまとったホステスさんたちが待っていた。薄暗い廊下をいざなわれ、まるで竜宮城に来た浦島太郎のようだった。スナックには何度か行ったことはあったが、高級クラブなんて入ったことがなく、とにかく落ち着かない気分だった。ホステスさんが奥の方にある個室の扉をノックし、「娘さん、いらっしゃいましたよ」と扉を開けた。目の前のソファに、お腹が風船のように膨らんだTシャツ姿の父がいて、その横には見たことのある髪の短い女性が品の良いジャケットを着て座っていた。
「おぉ、入り入り。なぁ、お腹空いてるやろから、そば寿司取ったって」
父はホステスさんに言った。少し広めのVIPルームには、父とその女性、ホステスさんが数名、そして見知らぬ男性が2人いた。私はとりあえず勧められるまま、父の並びに座った。何を話せばいいか分からず、うつむき加減で渡されたおしぼりで手をひたすら拭いていた。おしぼりはうっすら黒くなっていた。
「飲み物、何飲まれますか?」
隣にいたホステスさんが声をかけてくれた。
「あ、ジュースかお茶でいいです」
ホステスさんは、ニッコリステキな笑顔でグラスにお茶を注いでくれた。ゴクゴクとお茶を飲みながら、チラッと見知らぬ男性たちのほうを見た。決して柄がいい感じではない。2人は離れて座っていて、私から向かって左に座っている人は少し小太りで、どこかしら父に雰囲気が似ていた。そして、もう1人、向かって右に座っている人は、細面で私にそっくりな顔をしていた。私が男だったらこんな感じに違いない。ふと、「腹違い?」と考えてしまった。

「ナマコやろ? 俺らのこと知ってる?」
小太りの男性がニコニコしながら話かけてきた。
「さ、さぁ…。すみません」
「俺らはナマコのこと知ってるで。なぁ、〇〇」
「俺はなんとなくやけどな」
「俺ら、お前の兄貴。腹違いの兄弟や。俺と〇〇も腹違い」
最後の言葉に驚いて私は顔を上げた。この細面と小太りが私の兄で、しかもこの2人も母親が違うとは。腹違いが3人同席しているこの場所は一体なんなのだ? 私はさらに困惑した。父は年に数回しか帰ってこないし、おそらくあちこちに愛人や彼女はいるだろうと感じていたが、何か規模感がおかしい気がした。私は完全に自分の中の常識を大きくひっくり返されていた。
「もしかして、ナマコは何も知らんの?」
困惑が顔に出ていたのだと思う。小太りの兄が体を乗り出して聞いてきた。「はぁ…」としか言えなかった。
「親父、ナマコんちには言うてへんのか?」
小太りの兄がそう言うと同時に、私は父のほうを見た。父が一瞬、「しまった」という顔をしたのを見逃さなかった。父は返事をせず、自分の左上に置いてあるテレビの画面を見ながら素知らぬ顔をしていた。
「なるほどなぁ、そうか、親父は言うてへんかったんや。ほな、ナマコは何も知らんにゃな」
小太りの兄がニヤニヤしているのが分かった。嫌な雰囲気になってきたと感じていた。
「あの、教えてもらっていいですか?」
そう言ったものの怖かった。高級クラブの個室にいる柄の悪い男性たち(父も含む)と、どう見ても場違いな格好の自分。拉致監禁されているような気分だった上に、これから真実を聞かされることに対しての「怖さ」がまとわりついていた。

小太りの兄は楽しそうに、父の前で、父のことを、父の代わりに私に説明してくれた。父にはたくさんの奥さんがいること。それは愛人や妾という立場ではなく、皆、1度籍に入っているということ(中には彼女止まりの人もいたそうだが)。父はバツ10以上であるということ。ほとんどの家にきちんと仕送りをしていること。父の戸籍謄本は、辞書並みに分厚いということ。細面の腹違いの兄は2番目の奥さんのところの息子で、小太りの兄は3番目の奥さんの息子だということ。1番から3番の奥さんたちは互いのことを知っていたし、各家庭の子どもたちも同じ小学校や中学校に通っていて、互いのことは知っていたということ。うちは4番目の家で、なぜか他の家庭との接点がなかったようだということ(これについてはのちのちその理由が分かる)。それでも、1から3番目の家の方たちは私や母の存在、住んでいた家は知っていたこと。父が籍に入れたり、認知をした子どもの数は10人以上いるということ。そして、今日、父はまた新しい奥さんと籍を入れたということ…。父の隣に座っていた見覚えのある女性は、たまに父が連れて行ってくれたフグ屋の仲居さんだった。そう、その女性が新しい奥さんだったのだ。

頭の中がパンッと弾けた。宇宙が急に広がったようなイメージ。私という名の惑星を中心に、その周りに母や父がいると思っていた。しかし、宇宙というスクリーンがいきなり大きく広がり、そこの中心には父という名の大きな星があり、私はその星の周りに散らばっている小さな小さな星の一つだったと気付かされた。

そして、母のことが頭を過った。母はきっと何も知らない。いつも「年取って、リタイアしたら、お父さんも帰ってくるだろうし、ずっと一緒に暮らせるだろうね」と話していた。帰りのタクシーの中で、母のことを考えると涙があふれてきた。この事実を母に伝えるべきか否か、家に着くまでずっと考えていた。

このとき母はまだ50代。事実を知らないまま、帰ってくるはずのない父を待つ日々を送るより、本当のことを知った上で自分の人生を歩んだほうがいいのではないか。最終的に、私はこの日あった出来事、知った事実を母に伝えた。人前で泣くことのない母が、初めて少しだけ涙を浮かべていた。なんと言葉をかければいいか分からず、「前向きに、次の人生をさ、楽しもう」とか、そんなことを絞り出すように言った記憶がある。

もし、この事実を子どもの頃に知っていたら、私はやさぐれていたかもしれない。母だって、このことを知っていたら、まっすぐな気持ちで子育てなんてできなかったかもしれない。今となっては、社会人になってから聞かされて良かったと思う。高級クラブでの出来事から数日で、「お父さん、そんなに何回も結婚してすごいなぁ。しかもほぼ全部の家に仕送りするなんて、やるなぁ」と、父のスケールの大きさに感心するようになっていた。1人や2人の腹違いの兄弟だったら、どんよりした気持ちだったかもしれないが、現代の日本で10人越えで腹違いがいるなんて、すごいことじゃないか?と思う。事実は小説より奇なり。まさにその通りだった。考えれば考えるほど、面白くなってきて、私は周りの人に父のことを話した。恥ずかしいより、「面白いでしょ? すごいでしょ?」といった気分だった。仲の良い先輩は、「お父さん、モテモテの伊達男だ」と笑い、友達は「甲斐性のある男だねぇ、あっぱれだ」と褒めてくれた。

いつか書こう、いつか書かなきゃと思っていた父のこと。たまたま「書く」ということを仕事にしている私にとって、スケールが桁違いの父のことは面白いネタの一つだった。何かしら記しておかなければならないような気がずっとしていた。そして今回、初めて父のことを書いてみた。まだまだこの話には続きがあるのだが、とりあえずこの辺で…。


#家族の物語

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