樋口円香コミュ【オイサラバエル】の感想
本日追加されたコミュをさっそく読んでみたけど、一言で感想を表すと凄いコミュだった…
途中までは「あーこういう感じの隠喩かな?」というような感じで見てて「やっぱり円香のコミュは表現が綺麗だなぁ~」と気軽に構えていたら、ラストのコミュで一気に持ってかれた…衝撃強すぎる…
歴代のコミュの中でも衝撃度で言えば結構上位に食い込んで来ると思う。千雪じゃないけど心がぐちゃぐちゃにこじ開けられちゃった気分。
●1つ目のコミュ『序』の感想
円香とシャニPが撮影の合間に話しているコミュ。いつも通り独特のイチャつき方をしてるなと思って見ていた。そこに挟まれるのが今回の重要なモチーフであるミロのヴィーナスである。
ミロのヴィーナスと言えば結構有名なので聞いたことがある人も多いだろう。歴史的な詳しい経緯は忘れたけどどこかの段階で腕が壊れてしまった彫像である。腕が壊れて未完成だからこそ元々あった腕がどんなものか想像の余地があるため、壊れる前の完全な状態よりも美しいというアレである。
前回のPコミュもピトスエルピスでギリシャ神話(パンドラの箱)持ってきたからその系譜だと思うけど、前回よりはわかりやすい象徴だと思う。
1つ目のコミュではそういった要素が振られるだけで特にこれと言った描写はないと思う。このあたりは読み取れていない部分もあるかもしれないけど、ネタ振りのコミュといった印象。
●2つ目のコミュ『廃墟、エントロピー』の感想
2つ目のコミュは廃墟となった場所に言って撮影をするといった内容。今回のコミュの冒頭には一連の仕事の監督という人物のセリフが出てくる。その台詞が重要だと思うので以下にその台詞を引用してみる。
【引用】
たとえばここにペンを捨てたら、
そのうち雨風でぼろぼろになるでしょう
当たり前のことですが
時間は、人が作ったものを壊すようにしかできていない
秩序が飲み込まれていく
ここはそういう場所です
正直このセリフだけだと何言ってるのか全然わからなかった。ただこのコミュを読んでいくとなんとなくこういってるんじゃないのかなぁということがわかってくる。
選択肢によるけど、コミュの最後に円香が今いる廃墟に対してかつての栄華を想像するシーンがある。この過去の栄華に対して思いを馳せるというのが監督のセリフとミロのヴィーナスに繋がってくるのだと思う。
廃墟という終わってしまったものを見るときにはミロのヴィーナスを見るときのように終わり欠けてしまったものを想像し補うという余地がある。そういった部分に美しさがあると監督は言いたいのだと思う。
そしてこの廃墟というモチーフを出してきたのにはおそらく意味があるんじゃないかと思う。それを説明するために以下に円香のセリフを引用してみる。
【引用】
終わるために始まったわけじゃない
それでも
―――――――……
私は未来を知っている
「―――――――……」の部分で円香が「終わる」ともの悲し気に言っている音声が流れる。廃墟の話と関連させて考えたときにどうしても円香はアイドルを終えたときのことを想像してるんじゃないだろうかと考えてしまいたくなる(絶頂期にアイドルが終わったら印象的みたいな話もしているのであながち間違ってないはず)。
ノクチルがいつかは終わってしまうという話は雛菜のコミュでも出てきた(確かTRICKだったと思う)。ここでは「廃墟=終わってしまった後のノクチルの象徴」としてその美しさともの悲しさを描いているんじゃないかと感じた。この象徴的に見せてくる感じはとても好き。
●3つ目のコミュ『ドライフラワー』の感想
3つ目のコミュは円香がライターにインタビューを受けるコミュ。花について語る円香が印象的なので以下にその台詞を引用してみようと思う。
【引用】
いままで、花って枯れてしまったら
終わりだと思っていたんです
というか、枯れてしまうから
咲いている時が余計に大切に思えるというか
さりげなく流れるけど、この部分もやはりアイドル活動のことを暗に語っているように思えてしまう。この後に出てくる美しいドライフラワーの作り方についてもしっかり水を与えもっとも鮮やかな瞬間に吊るすというのもアイドルの終わりを表現していると感じる。
こういう描き方って本当に円香のライターっぽいというか、ピトスエルピスのまだるっこしさを思い出す。個人的にこういう象徴的な描き方はとても好き。
ただ、自分の解釈があっているかはわからない。もしかしたら見当違いの解釈をしているのかもしれないし、他にも読み取れてない文脈があるかもしれない。そのあたりは他のコミュにも言えることだけど難しいところだと思う。
●4つ目のコミュ『ノンフィニート』の感想
山奥での撮影のため車で現場に向かう円香とシャニPが会話をするコミュ。表面上は何気ない会話をしているけど、円香の心情も挟まってくるのでとても心揺さぶられる。
その中でも印象的なのが以下の心情描写。
【引用】
ねえ
あなたの言葉は
一体、どこまで本当なの
この描写を見て「円香にとってはシャニPとはミロのヴィーナスみたいなものなのだろうか?」となんとなく感じた。誰の視点からでも他者の言動の総体は他者と完全に一致しない。
例えば円香はシャニPの振る舞いから勝手に作り出したシャニPの偶像を見ているに過ぎず、シャニPを完全に把握することができない。大袈裟に言えばそういうことを言っているのだろうと思う。
このコミュは他にも印象的なセリフが多いけど、正直読み取れなかった感じがする。読み直さねば…
●5つ目のコミュ『美しいもの』の感想
「最後にぶち込んできたな…!」という感じのコミュ。
ここで透の名前出してくるとは誰も思わないですやんか…ラストまで透の要素1個もなかったけど、ここで名前を出されることで今までの文脈が強烈に別の意味も醸し出してくる。
これは自分の印象に過ぎないかもしれないけど透って言われてみるとミロのヴィーナスだよなぁと思う。どれだけ考察しても掴み切れないし、考察記事を読んで「スゲー!」となることはあっても完全に透をとらえきれている人はいないと思う。
そういう意味で透の存在というのはものすごく多義的だと思う。透のコミュを読んでると色んな文脈が重なりまくってるように見えて本当にとらえどころがない。輪郭が描き切れないからこそ一向に形が定まらない。そういった部分はミロのヴィーナス的だと言えなくはないんじゃないだろうか。
あと面白いと思うのは2回目に透を意識して『美しいもの』というコミュを読み返してみると、文章からどことなく透GRADっぽい雰囲気を感じる。意図的にやってるのかはわからないけど土とか空気とか自然物を出して文章を構成している感じはとても透を意識させられる。
●まとめ
最初にも書いたけどすっごいコミュだった…描写は美しいし最後に「バチーン…!」と強烈な爆弾撃ち込まれるし凄いとしか言いようがない…w
円香のコミュだけど透Pも必修なコミュなんじゃないだろうか。『Untitled』以降とおまどのコミュはなかったと思うのでこの進展は大きな一歩だと思う。
後関係ないかもしれないけどシャニマスってミロのヴィーナスっぽいと思う。樹里ちゃんのバスケ部時代を描かないところや冬優子の専門学校描かないところなどそういった部分を描かないからこそ想像で補わせてくる手法がまさにミロのヴィーナス。こういう描かずに想像を喚起させる手法ってシャニマス内で多いんじゃないかと思う。
公式がミロのヴィーナス的なのにそのモチーフを作品内で出されるのがなんか面白いという話。とにかく凄いコミュだったとしか言えないのでまた読み返そうと思う。
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