マネの絵に見られるティツィアーノからの影響について個人的に思うことを語る
現在以下の本を読んでいる。
元々マネの絵が好きで気になって読んでみた本である。読んでいると1つの絵に対して、どういったところから影響を受けているか、もしくはその時代の雰囲気等を説明してくれるので面白いと思う。
ただ1つ記述として異論を唱えたいものがあった。以下の記述である
素人の所感なので学説として異論を唱えるというわけではないが(そもそもできないが)、個人的にはマネの絵におけるティツィアーノからの影響は初期だけでなく晩年になってもあると思う。
おそらく本で「影響がある」と学者が書くには明確に影響があると根拠が示せる場合以外は書けないのではないかと思う。なのでざっくりした印象的な話をする場合であればこの自分の所感もそれなりに共感してくれる人もいるんじゃないかと勝手に思っている。
明確に影響を感じるのが『フォリー=ベルジェ―ルのバー』である。一見してこの絵は明らかに異質に見える。単によくわからないというだけではなく文脈が多いという感じがあって味わい深い。ただそれらの文脈を組み合わせていっても1つの主題が明確に浮かび上がってくるわけではなく謎は謎のまま残るという感じがする。
この絵に限らずマネの絵は異質なものが多い。それらの絵の掴みどころのなさが自分としてはティツィアーノっぽさを感じる。『聖愛と俗愛』と同種の何かがマネの絵にもあるような気がしている。
ただ自分としてはそこまで美術の知識がないので実はベラスケスやその他の芸術家の影響の方が大きい可能性は普通にあると思う(ジョルジョーネも近いと思うのでヴェネツィア派系列の文脈なのかも)。ただその場合においてもそれらの芸術家の絵にティツィアーノと同種のつかみどころのなさが含まれているということなので、マネもそういった総体に影響を受けているのだと個人的には思う。
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