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ノクチルの復刻コミュ『天塵』を読んでシャニマスにハマった話

8月の下旬あたりからなんとなくシャニマスをやり始めたところ、すっかりシャニマスの虜となった。

いやシャニマスというよりも8月下旬時点ではノクチルの虜になったという方が正しい(現時点だとシャニマスのほとんどに対して虜)。

なぜここまでノクチルに惹かれたかというと8月下旬にたまたま復刻していたイベントコミュの『天塵』という話がとてつもなく心に刺さったからである。

ちなみに自分はアイマスについてはそれほど詳しくはない。
特に意識的に敬遠していたコンテンツというわけではないけど、それなりに歴史のあるコンテンツなので今更始めるのもなぁと思ってなかなか手が出なかった。

シャニマスを始める前のアイマスのイメージとしては「アイドルが努力して成長して成功をするというサクセスストーリー」を見て楽しむコンテンツだと思っていた。

そういう思い込みがあったため、ノクチルの話を読んだときはとても衝撃を受けた。

というのもノクチルのメンバーは上記で提唱したようなアイドル像からは完全に逸脱しているからである。『天塵』の時点だとアイドルで成功しようという気概が全くない。

これは「二次元アイドルの王道ブランドのアイマスでこれやるの?」と思えるくらいトガっている。ノクチルのメンバーはアイドル活動で名を上げ有名になるという社会的な成功にまったく興味がない。どこまでも自分たちの幸せだとかやりたいことが優先される。

その傾向が顕著なのが『天塵』のラストの花火の海のライブのシーンである。規模の小さいイベントでさらには客もノクチルの舞台を見ていない。普通だったらこれは失敗として扱われると思うが、本人たちは幼なじみ4人で海に来たということだけで満足なのでむしろ楽しそうに見える。

そしてプレイしている自分としては最後に4人で海に入るシーンがとても尊いもののように見える。

ノクチルのように友人同士で目先の目標や楽しさを追いかける方を重視するという視点は従来のアイドルコンテンツのテーマに対するアンチテーゼとはいかないまでも、ちょっとした問題提起に見えなくもない。

従来のアイドルキャラクターのようにアイドルをやるということが自身の幸せと直結しているのであればまったく問題はない。ただし「努力し成長しアイドル活動で成功すること」が自身の幸せと直結しない場合、それは不幸につながる場合があるのではないかと思う。

これはアイドルに限った話ではなく、現実でも結構起こっている話のように感じる。「幸せになる」という最高目標のために手段として夢を追う人は多い。しかしその手段に固執しすぎてしまい幸福から遠ざかっている人が結構いるんじゃないだろうか。

夢を追うことで疲弊し不幸になってしまうのであればそれは本末転倒である。それに対してノクチルのように仲間と目先の幸せを一つずつ追っていくということはあまり着目されないけど1つの幸せとして非常に尊いものなんじゃないかなぁと思う。

とにかく上記のような理由から『天塵』にとても衝撃を受けた。そしてそこからシャニマスにハマりまくりノクチルメンバーのWINGやGRAD、三峰のシナリオ、複数のイベントコミュ(アルバムの鍵で開けた)などを経てすっかり虜となってしまった2021年9月上旬現在というわけである。

ここまで『天塵』の感想を書いてきたが正直良さをすべて描き切れていないと感じているのでむず痒い気持ちがある。他にもあえてぼやかす表現とか、何気ないセリフに意味が込められているところとか書きたいことがたくさんある(どちらかというとこういう多義的な文脈が多いというのがシャニマスの魅力の本質かも)。

こういう感じで感想をまとめるのは難しいなぁと感じる。こういった部分は今後『シャニマスで好きな意味深セリフ選(ノクチル編)』みたいな記事とかで書いてみると面白いかも。今書いてて思いついたけどそういう形式だとめっちゃ書きやすそうでいい。

というわけでこれからシャニマスの記事を定期的(せめて月1~2)に上げていこうと思うので興味があるシャニマスPの人はフォローしてくれると嬉しいっす!(CV:芹沢あさひ)

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