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PTSDになった私の毎日

9月13日、私は大きな事故をしました。

それから何回もこの事について
書こうと思い、文字を打っては消しての
繰り返しでずっと書けずにいました。


やっと書く気力が出てきたのと、
私と同じように苦しんでる人を助けたくて
書きます。


PTSDとは?


PTSDとはなにか、私は自分がなるまで
言葉は聞いたことあったものの
何かは知りませんでした。


私の言葉でまとめて伝えます。

▼PTSD=心的外傷後ストレス障害
強いストレスや、ショック体験を経験した後に
何年もトラウマになり
その時の体験が蘇ってきたり、
怖さや不安が襲ってきてしまうものです。
事件、事故、災害、本当に様々な出来事の後に
すぐ発症するか、もしくは何ヶ月か経って
発症することもあるそうです。


私がなぜPTSDになったのか

冒頭で話したように、
私は大きな事故をしました。
いつも私は仕事で22時近いのですが
その日18時に終わり、父とは逆の生活だったので珍しくご飯に行こう!となりました。
ご飯食べるところで待ち合わせをし、
帰る時でした。夜運転したことない道。
いつも帰る時は車通りのない安全な道しかなく、夜の運転には慣れていませんでした。

私は事故直前の記憶が消えてしまったので
分からないのですが(運転が苦手でよそ見とスマホを見ていたことは無かったことだけ言いきれる)、
ぶつかる直前の映像だけ強烈な記憶として
頭に残っていて離れません。

人生で初めて
「あ、事故で死ぬ時ってこういう感覚なんだ」
「死ぬんだ」
目の前の車に気づいてからぶつかるまで
1秒もなかったはずなのに
これはすごく思いました。


そしてその後気を失って多分すぐに目が覚まし、「え、私生きてる、、」って思いました。目の前にエアバッグが出ていて
その影響で車の中が煙でいっぱいになってました。苦しくて外に出ようとしても
扉が歪んで開かなくなっていたし、
私自身 体がうまく動かないくらいになっていたので1人で出れなくなっていました。

幸いにもご飯を食べに行った後で
父と母が乗っている車が後ろにいました。
すぐ駆けつけて来てくれ私を
外から引っ張り出してくれてやっと出ることが出来ました。
周りの歩行者の方、ガソリンスタンドの方がすぐ救急車も呼んでくださり
色んな人の助けのお陰で無事その日が終わりました。

家に着いたのが0時近く。
家に着いてから涙が溢れて
事故のぶつかる直前の映像が
私の頭の中でエンドレスで流れ始めました。
泣き叫ぶほど辛くて、苦しくて、
死にたくなるような毎日の始まりでした。



事故後から徐々に強くなる
消えていなくなりたい毎日


その次の日、
心も身体ももっと酷くなっていました。

目を覚ましたら体が動かなかったのです。
1階にいた母に電話をして
起きれないことを伝えて来てもらい
母に起こしてもらわないと起きれないし
手伝って貰わないと歩けないくらいに
身体が酷くなっていました。

心の面も。事故当日よりも、もっと
事故直前の映像が強く出てきて
過呼吸になって泣いて、家から出れなくなりました。
母ももちろん生活があるので外に買い物に出かけることがあります。
その度家に一人でいると
心が耐えられなくて死にたくて
ずっとフラッシュバックして苦しくて
毎日ドン底を過ごしていました。


(この時は事故の事を考えたくなくて(死にたくなるから)必死に目を背けられるものを
探していました。秘書検定の勉強も始めたし、
本も5冊くらい買った。)


私は接客業をしていて、9月に新店長がきました。そんな2週間も経っていないのに
私が事故をして色んな大変なことに巻き込んでしまって申し訳なさで心がズーンとしていても
毎日電話をくれました。大泣きしても受け止めて聞いてくれて、心配してくれて。

私の1番仲の良い友達も心配して
毎日家に来てくれました。
笑うことなんて辛くてできなかったのに
自然と笑えている自分がいて
私は事故でろっ骨にヒビが入っていたので
笑う度に痛すぎて苦しかったけど
有難くて、嬉しくて、


私は一旦仕事を1週間ちょっと休ませて頂いて
その途中くらいにやっと家を出て
職場にお菓子を持っていきました。
皆に抱きしめながら「生きてて良かった」
と言っていただいて
大泣きする私をずっと見守って暖かく受け入れてくれて。


親も。とんでもなく迷惑をかけっているにも関わらず、ずっと優しい言葉をかけて私を落ち着かせてくれる。


私はその、優しさと暖かさと愛に包まれて
事故後のメンタルは割と、保たれていた。

しかし段々と強まる恐怖と不安。

①親の車の助手席に乗って普通に運転していても前の車と車間距離が普通の3倍くらい
離れていないとぶつかるシナリオが
私の頭で出てきて怖い。
でもそのくらい離れてると急に
車が入ってくる事もあって、それも怖い。

②前の車のブレーキランプがつくと怖い

③自車でもブレーキを感じると怖い

④目を瞑って怖くないようにしても
目を瞑るとスピードを余計に感じて怖いし、
ブレーキがかかるとぶつかる!と感じてしまう。

⑤眠れなくて毎日朝の5時くらいに就寝
(普段寝るのが早いだけに辛かった)

もちろん自分の運転も怖いのですが、
誰かの助手席が何故か1番辛くて、死にたくなります。

こうもなると生きていたくなります。
消えたくなります。事故直後は「生きてる、、」って生きてることに感動したのに。

当時、この辛さは私は誰にも言えずに我慢してました。

そんな中友達が 遊び行こ!って連れ出してくれました。運転が怖くて、怖くて、ずっと泣きそうで過呼吸になりそうになって。
でも運転してくれてるのにこんなんになっちゃダメだっていう気持ちを強く持っていたら
我慢できました。
やっと家に着き、抑えていたものが
全部とけて、自分でも制御できないくらいに
体が暴れて、涙も過呼吸も止まらなくて
お母さんに取り押さえられて。
それが長く続いてもう限界だった。

母がその時に "ちょっとやばい"と感じて
調べてくれました。
そして私が落ち着いた時に
「PTSDっていうのがね、あるらしいよ、
もしかしたらそれかもよ?病院いかない?」
って言ってくれました。


私は事故からただただ、
「自分がおかしい」
「自分が弱いだけ」
そう思ってずっと自分を責め続けました。
母からそう聞いた時に1番は安心しました。
"自分がおかしいんじゃないんだ"
って思えたから。
自分で自分を苦しめて、消えたくなっていたんだ。ってことに気づきました。


苦しくなる時以外は元気だし、
私は笑い上戸なので笑、めちゃくちゃ笑うし
周りから見たら「平気なんだろうな」
としか思わないと思います。


だから余計に苦しいんです。
誰にもわかってもらえない
たくさん助けてもらっている友達や家族からの何気ない一言でめちゃくちゃ傷つくし涙が出るし、信用出来なくなりました。

そんな自分も嫌になるから負の連鎖ですよね、ほんと。でもPTSDの特徴としてそれもあるみたいで。
周りの人を信用できなくなることが。

今もまだPTSDに苦しめられていて
闘っている途中です。

何年経ったら心が健康になるのか
分からないからお先真っ暗に感じて
不安になるし、
車に乗る度に「もう普通に車は乗れないんだ」
と思い悲しくもなります。


もしPTSDと闘っている方がいたら
私は全力で支えたいと思って
この記事を書きました。

書いてる途中 辛くなって
書くのを諦めた内容もあったり、
雑になったところもあったり、
文章ぐちゃぐちゃかもしれませんが

見てくださり本当にありがとうございます。

心を強く持って生きていきたい

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