見出し画像

読書アウトプット「人はどう死ぬのか」


「苦しまずに安らかに死ぬには、どうすればいいですか?」「それは病院に行かないことです」講演会でよくある質問にこう答えると、会場では笑いが起きるそうです。それぐらい、最後は病院で迎えるのが当たり前だという固定観念が定着しています。


超高齢者や末期がんの患者が意識を失ったり、血を吐いたりした場合は、下手に救急車を呼んではいけません。病院側としては、連れてこられたからには、何かしらの延命措置をしなければいけません。自発呼吸ができなくなった患者に人工呼吸器をつけたが最後、後からそれを外す行為は殺人罪になります。

そうすると、もう回復して元気になる見込みはなかったとしても死ぬに死ねない。検査地獄のチューブ地獄で、嫌々生かされ続けることになります。

「回復するかどうか」ここの判断が難しいところで、早めに救急車を呼んだおかげで一命を取り留めて元気な生活に戻れた人もいれば、下手に救急車を呼んだおかげで、死ぬに死ねない苦しい時間が長引く人もいます。

「死に目に合うことを重視する」の問題についても指摘がありました。

死に目を重視するあまり、高齢者に対して無茶な蘇生を行なうこともあるようです。例えば会社の会議で、終わりの時間に立ち会えたかどうかは、たいして意味ありませんね。会議中に価値ある意見を言うことが大切なはずです。同じように故人の最期に立ち会うことを重視することより、普段からコミュニケーションをとって、後悔のないようにした方がいいです。

安楽死や尊厳死についての記述もあります。

作中で衝撃的だったエピソードとして、20代での末期がんの患者が一番苦しいそうです。骨にまで転移すると猛烈に痛いみたいです。でも下手に若くて健康だから、心臓も肺も丈夫で、どんだけ進行してもなかなか死ぬに死ねない。老人で体力なかったら死ぬところ、いつまでも苦しい時間が続くようです。自分の子供がこんな状況になった時に、それでも安楽死は良くないと言い切れるでしょうか?

結局、「遅かれ早かれみんな死ぬ」っていうのを忘れてる人も多いみたいです。

寿命と言うものがあって、死に対して医療は無力という限界があります。超高齢でだんだん食べる量が減ってきたら、それはもう死ぬ準備をしてるんです。自然な流れです。そんな時に点滴で栄養補給するのは、本人の意思に反しているように思います。

これは私個人の経験ですが、2021年に同世代の友達がガンで亡くなったので、どんな最後だったか説明します。

結局入院して最後まで治療を続けていたので、だんだんいろいろな臓器がダメになっていきます。特に肝臓が機能しなくなると、体の解毒が出来ないので、浮腫みはひどくなり顔はどんどん黄色くなっていきます。本人はさぞかし苦しかったでしょう。

最後は病院以外で迎えたいものです。

しみじみ思いました。いざ、自分や家族の死の場面を迎えた時に慌てないためにも、色んな人生最後のエピソードを読んで、備えをしていると慌てなくてすみそうです。

この記事が参加している募集

#読書感想文

191,797件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?