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【先行公開】法月綸太郎の解説全文!/2021年2月10日発売『旗師・冬狐堂【四】瑠璃の契り』(北森鴻)


瑠璃の契り3



   解 説
                        法月綸太郎

『瑠璃の契り』は、北森鴻の古美術ミステリ「旗師・冬狐堂」シリーズの第二短編集にして、最終巻である。二〇〇三年から翌年にかけて「オール讀物」に発表された作品をまとめたもので、二〇〇五年一月に文藝春秋から刊行された。
 この時、北森鴻四十三歳。亡くなる五年前の本である。

 シリーズ第一作『狐罠』の解説で、阿津川辰海氏は「今回の復刊では、出版社がバラバラになっていたこの〈旗師・冬狐堂〉シリーズが、遂に徳間文庫でまとまることが、一つの目玉になっている」と記している。これは何よりも作品にとって望ましいあり方だが、版元の統一がもたらす最大のメリットは、『緋友禅』『瑠璃の契り』という二冊の短編集にあらためてスポットライトが当たることではないだろうか。
 これまで「冬狐堂」シリーズの評価は、二大長編『狐罠』『狐闇』に偏っていて、連作短編としての趣向や面白さは見過ごされがちだったように思う。こうした傾向に対して、大倉崇裕氏は前巻『緋友禅』の解説で「作家北森鴻の神髄は、短編にこそある」と(あえて)異を唱えているけれど、私もこの意見に強く賛同したい。
 というのも、北森鴻の長編はサービス精神が旺盛なあまり、時として話を面白くしすぎてしまうきらいがあるからだ。骨董や古美術の世界が舞台だと、扱う題材によってはその派手さが徒になることもある。物語のスケールが大きくなるのと引き換えに、素材の味を殺してしまったら元も子もない。逆にモチーフやテーマを絞り込み、モノとヒトとの交情を仮借なく、鮮やかに切り取った短編の方が心にしみるのだ。
 手練れの作者はそのことをよく知っていたからこそ、満を持して「冬狐堂」シリーズの短編連作に着手したにちがいない。二〇〇三年刊の『緋友禅』に続いて、順調なペースで連作の第二期を書き継いでいったのは、前巻の時点から手応えを感じていたからだろう。
 むろん「短編の名手」として名高い北森鴻のことである。二期目だからといって、マンネリの弊に陥ることはない。同じ短編集でも、骨董・古美術に関わる魑魅魍魎の欲や業を浮き彫りにする『緋友禅』では、冬狐堂の冷徹な「孤」の面が強調されていたように思う。一方、本書では全体として、陶子とその仲間たち(横尾硝子、越名集治、プロフェッサーD)の協力関係を問い直すような作品集になっている。
 陶子自身、汚い手も辞さないドライな言動は影をひそめ、これまで以上に弱さや迷いを隠さない、生身のキャラクターとしての足場を固める描写が増えている。本書に収められた四編には、技巧の洗練を深めていくのとは別の角度から、宇佐見陶子というシリーズ・キャラクターに秘められた魅力と可能性を作者が再発見しているような雰囲気がある。
 目次に沿って、一編ずつ見ていこう。

●「倣雛心中」(「オール讀物」二〇〇四年三月号)
 眼病に襲われた陶子に付け入ろうとする同業者から、何度売っても返品されてしまうわけありの和人形を持ち込まれる話。「冬狐堂」シリーズでは、しばしば「女狐と古狸」の化かし合いが繰り広げられるが、本編もその典型である。目の不調でつい弱気になりがちな陶子をカメラマンで友人の横尾硝子と雅蘭堂の越名集治がサポートするのも、シリーズの基本パターンを踏んだ、巻頭にふさわしい仕立てになっている。
 網膜剥離の先駆症状とされる飛蚊症は、旗師の「目利き」にとってのっぴきならない病だが、この症状は物書きにとっても他人事ではない(視覚を失うことへの具体的な恐怖の描写には、作者の肉声も混じっているようだ)。骨董ミステリとしての謎解きに連城三紀彦作品の影響が感じられる一方、いわく付きの人形の仕掛けが「目」にまつわるもので、そこから陶子と硝子の「視線」の違いを浮かび上がらせるのはこのシリーズならでは。
 富貴庵の店主・芦辺は『狐闇』の導入部で、陶子の目利きを認めて「眼が開きやがったか」と洩らし、「もしかしたら無間地獄の入り口に、われ知らずのうちに立っちまったのかもしれねえ」と予言めいたことを口にした人物だ。『狐罠』『狐闇』の敵とは違って、お互いに一目置く愛すべきヒール役にほかならない。北森鴻が健在で「冬狐堂」シリーズを書き続けていたら、きっと何度も再登場していただろう。

●「苦い狐」(「オール讀物」二〇〇三年七月号)
「二十一歳の陶子がいた。/デニムのオーバーオールが絵の具で汚れるのを気にもせず、いや、むしろその汚さを誇るように上野のキャンパスを闊歩する画学生だった」
 画学生時代の陶子の親友であり、大学四年の夏、自宅兼アトリエの火災で命を落とした画家の卵・杉本深苗。非業の死から二十年近い時を経て、復刻された彼女の追悼画集が新たな火種となる。焼失したはずの秀作《夜の点と線》に隠された秘密とは? 絵が火を呼ぶという伝説の画家アーシル・ゴーキーの作品をモチーフに、若き陶子の知られざる夢と挫折が描かれる。短い枚数に贋作絵画の手口と歪んだ男女の愛を盛り込み、作中テキストにもテクニカルな仕掛けを施した職人技の光る一編。
 前巻『緋友禅』に収録された「『永久笑み』の少女」と対になるような作品だが、技巧的な構成とトリッキーな解決以上に、陶子の絶望と再生を写し取ったラストの「炎の色」が心に残る。短編連作の第二期で最初に発表されたエピソードで、「冬狐堂」シリーズの新たな方向性を決めた重要な作品と思われる。

●「瑠璃の契り」(「オール讀物」二〇〇三年十一月号・「瑠璃の契」改題)
 北九州市小倉の酒屋で手に入れた瑠璃の切り子碗をきっかけに、横尾硝子の知られざる横顔が明らかになる作品。骨董ミステリとしての謎解きが控えめな分、泡坂妻夫『蔭桔梗』のような職人小説を思わせる余情の深い仕上がりになっている。書き出しの文章と結末の照応など、実に芸が細かい。
「瑠璃」はガラスの古名であり、「陶子と硝子の壊れ物コンビ」の友情を再確認するエピソードにふさわしいタイトルだと思う。「倣雛心中」との対比も含めて、これを表題作に選ぶところがまた北森鴻らしい。

●「黒髪のクピド」(「オール讀物」二〇〇四年八月号・九月号)
 陶子の恩師であり、かつての夫でもあるプロフェッサーDが失踪、その行方を捜す中編である。Dの依頼で競り落とした禍々しい生き人形「黒髪のクピド」とその作者・辻本伊作にまつわる謎を追って、陶子は北九州へ飛ぶ。
 トラブルの噂が多い骨董業者やうさん臭い《セドリ》など、陶子の前には次々と怪しい人物が現れる。博多で陶子が調査を依頼する根岸は、『親不孝通りディテクティブ』のカモネギ・コンビの片割れキュータである。「信仰の憑代として、あるいは呪術の対象として作られた人形。そう教えてくれたのは、知り合いの民俗学者である」というのは、言わずと知れた蓮丈那智のことだろう。横尾硝子と越名集治も顔を出し、レギュラー陣総動員の重厚な謎解きが繰り広げられる。
 焼き物と人形の関わり、幕末から明治期という混迷の時代に翻弄された職人(アルチザン)の悲劇というのは、北森鴻がもっとも得意とするテーマだ。人形に隠された秘密を解き明かしていくプロットは先行する長編ほど複雑ではないけれど、古美術ミステリとしての骨格がしっかりしていて、満足度が高い。前巻の「奇縁円空」といい、この「黒髪のクピド」といい、本格ミステリとしての「冬狐堂」シリーズは、中編の長さがふさわしいことに作者も気づいていたのではないか。

 発表順だと「苦い狐」→「瑠璃の契り」→「倣雛心中」→「黒髪のクピド」で、陶子の成長を立体的に描く、という作者の意図がはっきり見て取れよう。男女関係を揃いの品に投影した「瑠璃の契り」と「倣雛心中」、後者を引き継いで人形というモチーフにさらに踏み込んだ「黒髪のクピド」という流れも、テーマの深化を感じさせる。
 短編集としての配列の妙にも注目したい。三番目に発表された「倣雛心中」をトップに持ってくることで、陶子の過去と現在のコントラストがより鮮明に浮かび上がる。本書は『緋友禅』以上に、ミステリ連作としての構成に意が注がれているということだ。どちらが好みかは人それぞれだとしても、私は騙し合いと駆け引きに主眼を置いた『緋友禅』の陶子より、弱さを隠さない『瑠璃の契り』の陶子の方が好きである。
 もうひとつ、連作としてのポイントは「倣雛心中」の北崎濤声が「人形作家」、「黒髪のクピド」の辻本伊作が「人形師」と書き分けられていることだろう。「苦い狐」の杉本深苗はいかに無名であっても「芸術家」であり、その運命と対比されるように「瑠璃の契り」の佐貫皓一は「職人」の人生を全うした。
 陶子の目利きはアーティストとアルチザンの違いを可視化しつつ、両者のあわいのグレーゾーン(泥沼といってもいい)に踏み込んでいく。「当たり前のことだが、旗師は販売業であって制作業ではない」(「黒髪のクピド」)。その当たり前のことを思い知らされたのが「苦い狐」で描かれる陶子の過去であり、そういう意味でもこの短編は「冬狐堂」シリーズのターニング・ポイントに当たる作品だったと思う。

     *

 さて、冒頭にも述べたように「旗師・冬狐堂」シリーズは、本書が最終巻である。とはいえ、宇佐見陶子の物語はこれで終わりではない。
 よく知られているように、北森ワールドでは複数のシリーズをまたいでキャラクターが交差する。陶子ファンにはまだまだ楽しめる外伝が存在するのだ。本来の意味から外れるが、宇佐見陶子がゲスト出演する作品群を「客師・冬狐堂」シリーズと呼んでみよう。
 真っ先に触れなければならないのは、異端の民俗学者・蓮丈那智との共演作だろう。陶子と那智のタッグこそ、北森ワールド最強の二枚看板なのである。とりわけ『狐闇』の解説で千街晶之氏が「北森史観」と命名した「双死神」→『狐闇』→『暁の密使』→『邪馬台』と続く作品系列は、冬狐堂の存在抜きには語れない。
 さらに陶子と那智は『写楽・考 蓮丈那智フィールドファイルⅢ』の表題作と、三軒茶屋のビアバー「香菜里屋」シリーズのエピローグ「香菜里屋を知っていますか」でも顔をそろえている(後者には越名集治も登場)。
 ここで押さえておきたいのは「写楽・考」だろう。「小説新潮」二〇〇四年十二月号に掲載された中編「黒絵師」を改題した作品で、「黒髪のクピド」の直後に発表された本格民俗学ミステリだ。那智から得体の知れない絡繰箱の再現を依頼された陶子は、怪しい画商と古物商のからむ殺人事件の真相解明に力を貸すことになる。
 那智の助手を務める内藤三國は、陶子と相対して「以前と較べてずいぶんと雰囲気が変わったな」と思い、かつて「冬狐堂に感じた迸るような強さは鳴りを潜め、成熟した、けれどしたたかな女性旗師が、ここにいる」と考える。内藤の反応は、『瑠璃の契り』を書き終えた作者が陶子に向けるまなざしと遠くないはずである。繰り返しになるが「奇縁円空」「黒髪のクピド」と同様、本格ミステリとしても充実した作品で、冬狐堂の謎解きと中編の相性のよさがうかがえる。

 それでも足りない読者には、佐月恭壱シリーズ『深淵のガランス』『虚栄の肖像』をお勧めしたい。銀座の花師と凄腕の絵画修復師、二つの顔を持つ佐月恭壱が活躍する連作中短編集だが、準レギュラーとして「冬の狐」と呼ばれる旗師が登場するからだ。
 シリーズ第二作「血色夢」には、恭壱のマネージャーと自称する「女狐」について、次のような説明がある。「どうやら美学校に通っていたらしい。だから絵について一家言あっても不思議ではない。なぜ画家にならなかったのかは不明だが、それでもまったく興味を失ったわけではないようだ。自らを仲介人として、佐月に絵画修復仕事を依頼しているのが、なによりの証拠だ」
 佐月恭壱シリーズの冬狐堂は、本家シリーズに比べるとよりダークで、謎めいた印象を強めている。シリーズ第一作「深淵のガランス」(「別冊文藝春秋」二〇〇四年五・七月号)は、「倣雛心中」と「黒髪のクピド」の間に発表された中編で、この年は主演・客演あわせて、冬狐堂は出ずっぱりだったことになる。「苦い狐」で陶子が画家になる夢を断念するエピソードも、この連作への布石になっているようだ。
 トラブルを呼ぶ「冬の狐」は続く「血色夢」(「別冊文藝春秋」二〇〇五年三・五・七・九月号)と「虚栄の肖像」(「別冊文藝春秋」二〇〇七年五・七・九月号)にも登場。特に「血色夢」では、表に出てこないにもかかわらず、往年のダークヒロインぶりを垣間見せてくれるので、陶子ファンは必読だろう。
 こうして本書以降の「客師・冬狐堂」の活躍ぶりを見ていくと、作者がさらに成熟し、したたかさを増した老獪なヒロインを描こうとしていたことが推察できる。あるいは、北森ワールドの新たなハブ的存在になっていたかもしれない。
 一九六一年生まれの北森鴻は、早逝していなければ今年還暦を迎えていたはずだ。長生きして円熟の域に達していたら、いずれ「妖狐」と化した宇佐見陶子の新境地を見せてくれたのではないか。あまりにも急な死によってその可能性が失われたことを、一読者として心から惜しむ。

   二〇二一年 一月



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