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信仰もそんなに悪いもんじゃないvol.5「アンビバレントな宗教2世━その先へ」

信仰3世で元宗教家という視点から、信仰についてのコラムを綴っています。

前回の中で「宗教団体の教祖とされる人物も外から見ればただの人」という主旨のことを書きました。
団体の内側にいる人からすれば不快にも思われる表現だったかも知れません。
あるいは外部にいる人からすると、宗教団体の教祖について語ること自体が特異なもの過ぎてピンとこないかも知れません。
宗教2世を語るのにわざわざ教祖という存在に触れなくても良いのでしょうが、私自身の実体験をお伝えする上では必要なことでした。

以下、個人的な私の心情の記録ですが、ひょっとすると宗教2世の皆さんを始め、色々な方にも通じるところがあるのかも知れないと思って綴るものです。


私の名前について

私は御木徳大と申します。
私の名前はパーフェクトリバティー教団教祖の命名によるものです。このこと自体はそんなに特別なことではなくて、PLの中の、特に布教に携わる教師家族の間ではむしろ一般的なことです。

PL教団の初代教祖は御木徳一、二代教祖は御木徳近。二代教祖が亡くなったのと時期を同じくして、私は産まれました。
名字が同じ”御木”ですが、近しい血縁関係には無くて遠縁といったところです。
先代の教祖たちと揃えたような名前ではありますが、特にそこに具体的な意味はありませんでした。が、教団の中で生まれ育った私にとっては意識せずにはおれない特別な名前です。

歴代教祖と同じような名前を持ちながら教団の中で生まれ育つ━━このちょっと特異なシチュエーションからくる意識の変遷を、私自身整理しておきたいということもあり、また一風変わったこの経験も案外色々な物事を語る上での普遍的な部分に通じている気がして、人に打ち明けて伝えてみたいと思い立ちました。

”名前”は個人にとって最もパーソナルな、当たり前のものです。歴代教祖にあやかったような名前ですが、私にとっては自分の名前ですし、私の両親を始め家族としても「ありがたい名前だねぇ」というぐらいのことで、そこに何か束縛的な意味合いは全くありませんでした。「名前に恥じない立派な信仰者になりなさい」というようなことは少しもなく、私はただの”トクヒロ”でした。そのことは私にとっては幸福なことで、もしそこに何か特別な意味を求められていたら、もうちょっと歪んだ人間性が育まれてしまったかも知れません。

具体的な意味合いは何も無かったとはいえ、成長とともに次第に意識せざるを得なくなっていきます。
自分と同じような名前をした先人たちが、信仰の対象とも言えるほどの偉人として語られる環境の中にあって、過剰な自意識が膨らんでいきます。

「名前に見合った人物になりたい」という、ポジティブなものであるうちは良いのでしょうが、次第に「そんな人間にはなり得ない」という強烈な劣等感に繋がっていきます。何をどう努力したところで、”教祖”とは並びようもない。
キリストやブッダ、弘法大師のような伝道者、ダライ・ラマみたいな世界的宗教指導者、そんな人間には遠く及ばないし、そんなものになりたいとも思ってはいないことも自覚されて、不必要なほどに大きく揺れ動く少年期を過ごしました。何もそんなに思い悩むこともないのにと、今なら思えるのですが、当時としては切実な悩みとして自分の名前と向き合っていました。

ただの名前 ただの私

やがて生まれ育った故郷を離れて社会に触れるようになった時、突如として自分の名前が何でもない、ただの名前になります。

「お名前は何と読んだらいいですか?」「御木徳大と申します。」「へぇちょっと珍しい字ですよね。立派なお名前ですね。」

それぐらいのこと。自分の名前が何ら特別な意味合いを持たない、ただの”御木徳大”であることを肌で感じることができて、重荷から解放されたような感覚がありました。
学生時代をきっかけにただの人になって、やがて社会人となってからは自然と教団から離れて過ごすようになりました。

宗教的な束縛から離れて悠々自適の毎日、他の何者でもない、自分自身を生きることって素晴らしい!━━という結論に至って、一件落着、ハッピーエンド。というのが昨今良く語られている宗教2世たちの物語のように思うのですが、私の場合は違いました。

自分自身の名前からくる過剰な自意識から解放されてただの個人になった時、自由になった喜びは束の間のことで、次第に”何者でもない自分”を生きることの孤独感というか、虚無感が色濃くなっていきました。

私は祖父の代から宗教家として務める家庭に生まれて、祖父はその生涯を通じて教えを伝え広めてきました。父もそんな祖父が守ってきた信仰を大切に思い、生まれ育った故郷としての教団が好きで、祖父と同じ宗教家の道を選びました。そういう家庭に生まれたことに、私自身も真正面から向き合ってきたつもりでしたが、気付けば何者でもない自分になってしまっていました。
自分の名前について切実に悩んだことも、私にとっては必要な過程であり、自分の価値観・人生観を形作る上での糧になっているとは思いつつも、これまで家族が大事にしてきた信仰から切り離された”何でもない自分”とどう結びつけたものか分からなくなってしまいました。

今になって俯瞰してみれば、この時私が感じていた虚無感というか、自分がただの個人であることの恐怖というのは現代社会を生きる人が抱える病理のようなものだったのかも知れません。
皆が皆、誰でもない自分を生きています。どこに生まれ、どんな風に育ったのか、お互いに興味がありません。自分自身もそこから切り離された存在になっています。「何をするのも、何を選ぶのも自由。ただし、責任を取るのもあなた自身。私は関係ない。」お互いがお互いにそういうスタンスでいることが当たり前の世の中ですが、果たしてそれを”自由”と呼べるのでしょうか?

何か尊いものの存在を信じていて、それを他者と共有することで自らを縛ることも確かにあるけれども、支えにだってなる。何かしら自分自身を語る上で欠かせない文脈としての信仰がある。とりわけ家族と一緒に生きていく上での価値観、世界観を世代を越えて繋いでいけたらそれは素晴らしいことです。根無し草のようにふわついた人生観から得られる自由と、どちらを大事にしたいかと言ったら、本来私は地に根を張るような在り方を選びたい。

かつては自分がそういう場の中で育っていたことを思い返して、今の自分がそういう環境から閉ざされた個人であることに言い様のない寂しさを感じつつも、元には戻れない。なぜなら自分は”御木徳大”なんていう名前に見合うような立派な人間じゃないから━━そんな屈折した心情を抱え続けることが、言うなれば私の全くおかしな信仰でした。真に”誰でもない個人”になんか、なりようも無かったのです。

再び故郷へ

そんな鬱屈した青春を過ごす20代があっという間に過ぎていきました。信仰から離れるとともに、家族とも疎遠となって早十年という頃、突然の訃報により帰郷することになります。

母方の祖母が亡くなりました。

祖父が先に亡くなってからというもの次第に元気が無くなり、晩年は認知症が進んでしまったこともあって施設で過ごしていました。
この十数年、さぞ寂しい思いで過ごしていたのだろう間も、全く祖母を省みることのなかった自分のことを恥じ入るやら、情けないやら、馬鹿じゃなかろうかと━━自分の名前がどうだとか、一角の人物になるとか、なれないだとか、全然地に足が着かず。結果、本来最も身近な存在であるはずの家族のことをないがしろにしてしまった。結局のところ自分のことばかりに終始して、その言い訳として名前のことを引き合いにしていただけでした。

”誰でもない個人”なんていう所にいつまでも逃げ込んでいないで、ちゃんと自分の人生を生きようと思い直しました。名前に恥じないとかそんな下らないことではなくて、もっとシンプルな意味で自分に立ち返ろうと。つまり単純に、家族を大事にしようということです。

折りしも父方の祖母が骨折して入院していましたので、祖母を元気付けるために見舞いに行ったところ、予想だにせず元気ハツラツとしている祖母は開口一番私を怒鳴りつけました。

「どあほう!ロクに顔も見せんで何しとったか!!どれだけ心配したか…」

私が”ただの孫”に戻った瞬間でした(笑)
すでに齢90を越えていた祖母、私もいい歳したおじさんでしたが、あんなに恐ろしい祖母を初めて見て震え上がりました。

それから祖母は私に、祖父と過ごした宗教家夫婦としての人生について、一番はじめから丁寧に、包み隠さず語ってくれました。
祖父も始めから宗教家だった訳じゃなく、最初は自信がなくて人と向き合うのが怖かったこと。でも己を空しくして人を尊み、自分がするのではない、神様にさせていただくものとして懸命に務める中で、いつしか自分自身が変わらせていただけたのだと。
「どんなことになるのかなんて分からないけど、有り難いことだったよ。アンタもやってみたらどうか。」
そうして私に宗教家になることを勧めてくれた時、不思議と泣けて泣けてしょうがなかったのです。

本心のところでは私はずっと宗教家をやってみたかったのだと思います。祖父や父のような生き方への憧れを抱きつつも、そうすることで自分の名前と向き合うことが恐ろしかった。”御木徳大”なんて教祖みたいな名前をして、卑小な凡人でしか無い自分自身と向き合いたく無かったのです。
「でもそれで良いじゃない」と祖母は言います。「だってお勤めするのは自分じゃない、神様にさせていただくものだから、自分は精一杯の誠を尽くすだけ。出来る出来ないは神の御心だから、どっちでも良いのよ。」
こんな自分でも宗教家をやってみて良いんだと思えた時、泣けてしまいました。名前に相応しい働きができるかどうか、そんなことはどうでも良いから、立派な宗教者として祖父のように生きてみたいと思っても良いんだと。分不相応で全く構わない。何故ならそれも含めて神慮なのだからという考え方に、これまでの胸のつかえが下りる思いがしました。

たどり着いた結論

私はこのちょっと特異な名前を持っていることで、信仰と分かちがたく結びついているのですが、考えようによってはそれはとても幸せなことです。
仏教においては自身もまた衆生を救う菩薩たり得る存在であることを悟る、菩提心の発露が全ての始まりとされています。私は仏教徒ではありませんが、この名前によってそれに恥じない生き方をしようという動機付けを得ることができています。
実際に名前通りの人物になれるかどうかは問題じゃないことです。そんな人物を目指すことが人から冷ややかに見られたとしても、それも関係が無いことです。それらを含めて全部が神の慮りだと思って、自分はひたすら自分のできることをやるだけだと。事実、そんな風にして人生を全うした祖父はとても幸せそうでした。

ただの人でしか無い自分でも、何か尊いものを信じて人世のために奉仕しても良いのだと気付けたことが、私に付けてもらった名前がもたらした”おかげ”です。

内側から見れば聖人。外側から見ればただの人。

それで良い。どちらかが真実というものじゃなくて、物事には表裏がある。どちらも私。

他ならない教祖ご自身がそういう心境で生きておられたことも、短いながらも得難い宗教家としての経験の中から読み取ることもできました。

聖人のようにはなれないことを思い煩うことは無いし、凡人でしかないことに甘んじている必要もない。

信じることも信じないことも、二律背反するように見える価値観も全部ひっくるめて自分たちが生きる世界なんだと、信仰と無宗教の間を何度も往復したような信仰2世であればこそ言えることだと思います。

そんな結論にたどり着いた私ですが、紆余曲折を経て現在は宗教家を辞して還俗?しています。
何でまた?というところはまたの機会に綴らせていただくかも知れませんが、まだまだ信仰と無宗教の狭間の往復は続きます。

それを楽しめるようになったのは、まさに祖父の教えの賜物ですね。

「人生は楽しかるべき」

有り難し。合掌。

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