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ボケの夜明けはnoteから

noteが好きだ。

各々が好き勝手に自分の熱を発信し、お互いの熱をたとえ理解できなくとも尊重しあう。混沌としつつも暖かいnoteの空気感が好きだ。

noteをずっと眺めていると、人の熱を冷笑して揚げ足をとりあう文化にうんざりしたtwitter の住人が、noteの暖かさや柔らかさに惹かれてじわじわとnoteに別荘を建てていく様子をなんとなく感じる。
時代が変わりはじめているぞ、なんてことを考える。

『1億総ツッコミ時代』という本がある。

著者は作詞作曲モノマネでお馴染みのマキタスポーツこと槙田雄司氏。
彼はこの著書の中で、人間を二種類に分ける。
人目を気にせず好きなものに熱中・没頭することのできる"ボケ"と、その熱を笑ったり揚げ足をとったりすることで上に立ったつもりになる"ツッコミ"だ。
そのうえで、「今の日本にはツッコミが多すぎて息苦しい。みんなもっとボケに回った方が世の中おもしろいでしょ」というようなことを語った。始めて読んだときは頷き過ぎて首がとれたほどに共感した。

この「ツッコミの時代」が、もうすぐ終わるんだなと思う。

思えば、Twitter はツッコミが生きやすいSNSだ。
世界からボケを見つける。おかしな部分を切り取ってTwitterに持ち込む。別の誰かがそれをRTして壇上に晒しあげる。そこに文字数制限によって短く鋭く尖らされた言葉の石をみんなでぶつけて面白がる。
もちろん、そんな使い方をしてる人ばかりではないことは前提として、システム上それがしやすくできている。

対して、noteはボケが活きやすいSNSだ。
noteの中では、熱は嘲笑ではなく称賛の対象だ。
どんどんと温度をあげて自分の思いを形にすることが奨励されているし、実際それがしやすいように設計されている。
クリエイター同士が互いの熱をさらけ出し、称えあい、その熱が伝播することで新たなクリエイターの誕生が後押しされるという好循環がデザインされている。
ここでは、斜に構えて他人のnoteの揚げ足をとるだけの人なんて気にもとめられない。
だからこそ、みんなが安心してボケに回りやすい。

もちろんこれはtwitterが悪い、noteが良いという話ではなく、どちらにも得意不得意や良し悪しがあったうえで、棲み分けが出来るようになったということが重要なのだと思う。

いわば、noteは潜在的ボケのオアシスだ。
いままでツッコミを恐れて自分の熱を封じこめ、己の創作意欲から目をそらしていた多くの人たちにとっての。
そして、ここでボケに回る楽しさを手軽かつ安全に学んだ人は、どんな場面でも、きっと他人のボケを安易に嗤わなくなる。尊重できるようになる。
そういう人がこれから社会に少しずつ増えていく。
そしてある一定数を越えた時、全体の空気が変わる。価値観が逆転する。
その時、「ボケの時代」がはじまる。
きっと今よりもう少しやさしい世界になる。

*****

……こんなことを考えているうちに、「ぼくもボケたい」という思いが強くなりました。そして気づけば、noteの住人の多くが当たり前に意識しているだろうことを今さら、だらだらと気取って言葉にするというボケをかまし、スベっていました。

『だがそれでいい』

ということで、noteの投稿を始めます。よろしくお願いします。
ここまで読んでくださった方はありがとうございました。

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