右野さんと左野くんは離ればなれ【前編】
「右野さーん!右野さーん!どこー?」
「ココよ!ココ~!」
玄関の端の方から声がした。
オレがいるのは壁のフックにぶら下がった傘の下。
たぶん右野さんは反対側の靴を入れる棚の方にいる。
オレたちは青い靴。
サイズは18.5センチ。
ふたりで6歳の男の子の足を守るのが仕事だ。
毎日、保育園へいく男の子に一緒についていくのだが、帰ってきたとたん、男の子は足をぶんぶんと振って、オレたちを玄関のあっちこっちに飛ばすのだ。
「だいたいさ~お母さんも雑なんだよな、男の子の代わりにオレたち並べてくれてもよくない??」
オレがひっくり返ったままブツブツ言ったのを、お父さんの足を担当している草履姉妹に聞かれてしまった。
「そうだよね~、左野はいつも右野さんと一緒がいいもんね~」
ヒソヒソと妹が言うと姉がクスクス笑う。
そしてふたりとも、こっちを見てニヤニヤしている。
たぶん、バレてる。
オレの右野さんへの気持ち。
◇◇◇
右野さんとは生まれ故郷の工場で出会った。
見た目は自分とそっくりだし、いつも隣にいて、それが当たり前だった。
なんとも思ってなかった。
だけど、工場を出て、コンビを組んで一緒に働くようになって、彼女はオレと全然違うってことが分かった。
彼女とオレは実は正反対の形をしているし、男の子が歩くときも彼女が前に行けばオレは後ろに行くし、オレが前に行くときは彼女が後ろへ行く。
男の子がオレたちのかかとを踏んだまま履いたとき、オレはその猛烈な痛みに悲鳴をあげた。
だけど、彼女は口をへの字にして黙って耐えていた。
夏場に靴下を履かない男の子の汗で、ひどいにおいに襲われたときも、「もうこの仕事やめたい」と愚痴るオレを、彼女は「もうすぐ男の子のお母さんが洗ってくれるって!」と励まし続けた。
水たまりを見ると入らずにはいられない男の子のせいで、びしょ濡れになったときも、彼女は怒ることなく、ドロ水のかかったオレの顔をみて、大ウケしていた。
あんまり、楽しそうに笑ってたから、つられてオレも笑ってしまった。
彼女がいると、ヤなことがなんか変わってく。
笑えるようになるんだ。
◇◇◇
男の子とお母さんが一緒にでかけたとき、訪ねた家の玄関でオレたちはまた離ればなれになった。
男の子は「お母さんが好きだから」と言って、揃えられたお母さんのパンプスの両側にオレたちをバラバラに置いたのだ。
男の子なりに並べたのだろう。
お母さんがでかけるときに活躍するパンプスさんたちはそんな男の子に微笑む、素敵な夫婦だ。
そして高齢のふたりは玄関での待機時間があると分かると、体力を温存するかのように眠ってしまった。
右野さんはパンプスさんたちを挟んで向こう側にいる。
どうしてオレたちは隣に並べないのだろう。
「左野くん、わたしたちは来年には男の子の足も大きくなってサイズアウトしちゃうかもしれないね」
右野さんが静かに話しかけてきた。
「うん、そうだね」
オレたちは子ども用の靴だ。
パンプスさんたちのように何年も履いてもらえない。
工場を出るときにそういう運命だって誰かが言っていた。
「そしたらわたしたちどうなっちゃうのかな…」
捨てられる。
たぶん、右野さんも分かってる。
「オレたち、一緒にいっぱい走ろう。来週の保育園の運動会のかけっこも一番になろう!」
オレたちにできることはそれしかない。
ボロボロになるまで、たくさん歩いて、走って、男の子の足を元気にするんだ。
「わたしはもう、がんばれないかも…」
右野さん…?
男の子とお母さんが玄関に戻ってきて、男の子がオレたちを履いた。
外は雨が降っていた。
隣で右野さんが泣いている。
たぶん、雨のせいじゃない。
いつも笑ってオレを励ましてくれた右野さんが、泣いている。
〈後編へつづく〉
ことばと広告さんの書く部のみんなで書こう企画(テーマ「なりきって書いてみよう」)で、息子の靴(左)で書いてみました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?