見出し画像

坪売り20 -FINALE-

エピローグーーーー

あれからいくつもの春が過ぎただろうか。山本は東京にいる。住みづらいと感じた街がいつしか自分の街となっていた。

東京は変わる。数年で街は開発され新しいビルやニューシンボルがたくさん登場した。オフィスビルも数年で売買され今では元々の名前がなんであったかを思い出せないビルの方が多くなってしまった。

山本は岸部へのメール送付後に、推薦効果もあるのか3度にわたる面接を潜り抜けて見事に内定を勝ち取り転職するに至った。

新しい勤め先であるCDR社は今までの小伝馬町から、浜松町へと通勤場所が変わり山本にとっては新鮮に感じられるものだった。部署が多く、4つのフロアに会社がまたがっている、急に自分まで大きくなった様な気がした。

実際業務についてわかったのだが仲介業としての仕事はまったく変わらないものなのだと転職してからよくわかった。

グランドオフィスに比べて、当時のアットホームさや目に見える熱意というものは無いが結果を上げる事に対しては貪欲な集団であった。更にオフィス業界に詳しい先輩だらけである。

会社の体質は完全な成果主義ではあった。しかしほぼ業界新人である山本に対してはどの社員も親切に接してくれ、プロジェクトごとに共同で案件を持たせてくれる等、グランドオフィスとは違う環境を体験できることが山本にとっては良かった。


しかしそれから2年後、同企業の仲介部門は突如として解体される事となる。

いわゆる『リーマンショック』だった。

低迷する経済の懸念から外資系企業ならではのドライな選択であった。2009年以降、山本の席はないと通告されたのだった。

運良く、当時付き合いがあった不動産オーナー会社が物件取得による事業拡大で、仲介経験のある中堅層の募集をしていた。

今度は一転して貸主側へと転職することになった。

山本をCDRB社へと誘った岸部は2009年時点で解雇対象とならず、未だにCDRB社に在籍している。最近は大型の電機メーカー買収案件とやらで数千坪の移転と統合プロジェクトを手掛けているそうだ。やはり岸部は生粋の『ツボ売り』なのだなと山本は思った。

古巣グランドオフィスは、2010年に10名程度の会社にまで縮小してしまい小伝馬町の60坪から今では蔵前の15坪のオフィスに移転した。このエリアで細々と事業物件の仲介をしているようである。

一時期は御三家と並ぶと言われた急成長企業であったが、いまではその影も形も無い。あの2006年が原因だったのか、それともリーマンショック後のあおりを受けたのか、当時の新卒は誰一人として残っていないので真実は闇の中である。

あれ以来大曲社長や当時のグランドオフィスの社員とも顔を合わせることはない。

奇妙な縁といえば同期の石田との関係は続いており、年に一回ほど彼が東京に出てきた際に会うような間柄になっていた。石田は、無事に福島で中学教師になって生徒指導に燃えているらしい。

2011年の震災以降は中々東京に出てくることも難しいようで少し疎遠になってしまった。最近ではもっぱら年賀状のやり取りだけになってしまって残念だが、相変わらず元気そうだ。律儀に年賀状を送ってくるあたり根が真面目なのだろう。出会った頃には想像もしない姿である。

新卒で入社してから結局連絡をとっているのは石田のみである。他の面子とは会うことも連絡を取ることすらない。

東京に出て何を得て、何を失いそして何が残ったか、、、

東京という街は変わる。たくさんの経営者に出会った。多くの会社が生まれ、いくつかの会社はなくなった。

月島の隅田川沿い、スカイツリーをギリギリ望むことができるリバーサイドマンションの自宅から、タバコをふかすとふとあの頃の思い出が脳裏をかすめる

あの時てわは考えられないほど自分は東京に染まってしまった。10年、15年で街は変わる。あの頃の情熱やひたむきさ、そして純真さも今の山本には持ち合わせていない。

しかし15年経った今でも、仕事上での立ち位置が変化しても尚変わらないものもある。

それはオフィスビルだ。紹介、案内して空室を埋める。その繰り返しが彼の日常となり日課となったのだ。

今日も山本は街に出るだろうそして明日も、街に出る。

自分と顧客の為に『ツボ』を売りに街へと向かう。大都会東京は無数のツボたちで溢れている、まだ見ぬ新たなツボを求めて山本は今日も行く

Fin


主にオフィスに関する不動産知識や趣味で短文小説を書いています。第1作目のツボ売り、それ以外も不動産界隈の話を書いていければ良いなと思っています。 サポート貰えると記事を書いてる励みになります。いいねをしてくれるだけでも読者がいる実感が持ててやる気が出ます