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坪売り8

春があっという間に過ぎ、夏になり、その夏も過ぎようとしている。岸部から案件を一緒にやろうと振ってもらえる機会も増えた。

岸部なりの親心なのだろうか?山本にとっては嬉しい瞬間である。

その分、山本は仕事に没頭せざるを得ない。岸部案件はその教えから物件調査が必須である・・・。日中はリストから電話をして夕方になれば現地調査をする生活である。足りない分は土日にも現地調査と休みなく活動していないと対応できない。

また、各課の担当者にもお願いをして【案件にならない顧客リスト】への電話も開始した。岸部のリストはアプローチが終わってしまったので他の部署でもそういったリストがあるだろうと予測しての働きだった。

新人で契約をすぐにとったというのが他の課でも好印象だった為リストを手に入れるのは容易だ。

山本にとって幸運だったのは最初の案件でIT系企業の移転をできたことがだ。この1件目がヒントになり山本にとっての突破口である。

『今の時代はIT系が伸びている、ITであれば人を増やしている。だからオフィス移転の可能性がある』

しかしオフィス仲介はアナログである。2005年に入ってもパソコンでメールが打てる営業は少なく物件管理している会社もFAXが主流である。

電話してアポを取るか飛び込むかチラシを巻く事が成果に繋がっていたので案外泥臭く非効率な構造なのだがITは違う。ITはメールで対応が主流だった。

山本の戦略はシンプルだがその隙をついたものだった。

それはまずは電話で連絡して、総務担当や移転担当のメールアドレスを聞き出しメールで連絡を取ることだった。テレアポや訪問に比べメールは目を通してもらえるチャンスが大きい事が利点である。

担当者が社長の場合はその企業に訪れて名刺交換のチャンスを探った。電話・ファックスのオフィス業界に対してメールを送るという差別化により案件の整理がしやすくなる。

時を同じくして2005年はIT企業にとっても追い風であった。ソフトバンクは東京汐留のオフィスに移転して話題を呼び、六本木ヒルズはライブドアをはじめとしてIT企業が話題性を呼び、いくつものベンチャー企業が連日テレビを賑わせている。

当然山本のもとに来る案件は規模が違えどこのIT企業と言われる業種や、若い企業の移転を促す活動に最も力を入れていた。楽天やライブドアの様な企業を自分も見つけるのだと信じて。

少しづつ信念が実を結び、5月・6月・7月と必ず1件は契約をしている順調な山本は同期の中でも注目される存在となっていた。しかし、あくまでも新卒として注目という話であって会社の中ではまだまだ課の先輩営業にも追い付かない。当然岸部とは天と地の差である。

しかし、注目とは良いものだ。リスト回収の際には他の課と直接接触する機会も増える。同期の石田とも久々に話ができる。最近は部署が異なると全く接点がなかったので同期と話せる機会だった

「俺は、最近やっと先輩から案件もらえるけど全然決まんねーの。山本は岸部さんトコだから運がいいよな!」

こっちの苦労も知らずに、相変わらずの軽口だ。しかし上司の運という点ではもっともだと感じた。

石田は石田なりの苦労があるらしい。

「先輩案件予算も厳しいし、会う人老人ばっかりだぜ。金属業界なんてわからないし、業界研究や新聞を読めだ、日経新聞だ、株価だと覚える事ばかりで土日なんもしないで寝て1日過ぎるわ。社会人厳しいよ!」

なるほど。

積極的に追う業種が違うとやるべき話や学ぶべき業界構造が違うのかと山本は頷く。幅広い知識の獲得が必要な業界もあり、石田はそれに向かっているのだと理解できた。

しかし同時に石田は土日寝るだけという過ごし方をしているが自分の場合そうはいかない。岸部の現地調査をしなくてはいけないからだ。自分の方が圧倒的に成長でき、経験を積めるし業界自体も変化するので充実した環境に身を置いているという自信にもなった。

「山本はどうなのよ?平日は仕事の鬼かもしれないけど、休日は彼女と遊んだり公私共に充実って感じか?」

「あぁ、まあそんな感じだよ」

「やっぱ、新卒で早く結果出すやつは違うよなぁ!」

石田は羨ましそうな、どこか皮肉めいた口調でそういった。天性のものなのかそう嫌味にも聞こえないのが石田の良い所だ。

・・・

そういえば、もう由美子とは1か月近く連絡を取っていないことに気づく。すれ違っているつもりはないが、社会人としての時間が経つスピードに驚きを隠しきれない。いや、今の自分にとっては仮に連絡をとっていても仕事以外に費やす時間は取りにくいだろう・・・とも思った。

仕事が楽しいかは、、わからない。しかし、オフィスを案内し自分の想定した物語や条件で決まっていくことに喜びを感じ始めている。

さて、明日は本命物件へ内見だ。山本は現地調査において抜かりは無い、貸主へのアポ取りも先手を打っておいた。

貸主は、老舗の和菓子屋三代目だが事前に味も歴史も確認済みである。すでにその情報は顧客にも伝達済みである。若干与信には厳しいらしいが、下調べをここまでしておけば内見時点で話に困る事は無い。

山本の頭の中は明日の内見を攻略する道筋が浮かび始めていた。

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主にオフィスに関する不動産知識や趣味で短文小説を書いています。第1作目のツボ売り、それ以外も不動産界隈の話を書いていければ良いなと思っています。 サポート貰えると記事を書いてる励みになります。いいねをしてくれるだけでも読者がいる実感が持ててやる気が出ます