見出し画像

ツボ売り7

今月の新人売り上げは山本ただ一人だった。

もちろん結果としてインターセクション社に関しては、案件のほとんどを岸辺がまとめたあげた。今回は成約に到る経緯の中から山本も内見や条件交渉の会議には同席した功績を認められたからに他ならない。

当初は「俺の案件」といっていた岸辺も異論はなく最短売り上げ記録として大曲社長から期待の新人だと褒められるシーンまで用意されていた。

当初は調子の良かった石田は内見の数が多かったものの顧客側が煮えきらず次月への持ち越しと悔しい結果だったらしい。

「山本、この前の飲み会の時は全然言ってなかったのに独り先に抜けてズルいぜ!」と不満を漏らす石田だが、その言葉には羨望の眼差しが込められており山本も嫌な気持ちはしなかった。

山本にとって1ヶ月がこれほど長いと思ったのは初めての経験であった。物件の現地調査をして味は豆だらけ、休ませてももらえず追加の調査。内見前の岸辺からの指示はとにかく全ての質問や言動をメモして持ち帰れだった。慣れない案内をしながらメモ帳を片手に緊張の連続の1ヶ月が終わろうとしている。

全体での売り上げまとめも終わり営業課でのささやかな打ち上げが人形町の地下居酒屋で行われた。山本はこの案件で疑問であった点を岸辺に質問する機会が巡ってきた。

「インターセクション社に当初よりも高値で契約させたのは何故ですか?そもそも貸主が持っていた条件よりも高かったじゃないですか、お客さんにとって割高な条件だと僕は思いました」

「相手もそれを飲んで申込をしただろ。これがオフィス仲介のやり方さ。条件を他より引き上げて決める事」

「しかし、貸主が想定するよりも高値で交渉するのが本当に顧客にとって良いのでしょうか」

これは言いすぎたっと山本は後悔した。案件をまとめたのは岸辺である。何より新卒である自分が酒の席で意見して良い話ではないと。しかし不躾な質問に岸辺は店の天井を眺めながら

「オフィスビルっていうのはさ、替えが利かないんだよ。似てる物件は沢山あるけどお客が本当に気に入ったものを確実に用意するのは難しい。第一にあの物件には他の検討も入ってた、ベンチャー企業を選んで取ってもらうにはよほど条件が良くなきゃ競えない、そういうものさ」

「そもそも、俺らは何を商売に売ってるか山本くんはわかるか?」

山本は少し考えて

「オフィスビルいや、オフィスのスペース。でしょうか」自信なく答えた。

岸辺は一瞬酔いが覚めたかの様子で山本の眼を見てこう言った。

「ツボだよ」

「え?」

「坪。俺たちはオフィス仲介っていうのは【坪】を売ってるんだ。その価値は時期によっても変わる、同じ物件でも時期が違えば値段も変わる。同じ物件でも入居の時期が違えばもっと高い時があれば、安く値崩れする場合もある」

「俺らは顧客にとって入居させる為に努力して、貸主にとっては少しでも良い条件をとり物件の価値を上げる。そして俺らはその単価で売り上げが決まる」

「このツボをいかに広く高く売るかで俺たち仲介の価値が決まるんだ、【高く・確実に】契約を決めるやつが良い営業だよ」

いつになく饒舌な岸部の口調には彼なりの美学というものに酔いしれている様だ。

しかし、山本からすると顧客は無事に契約できた姿とオーナーには思いもよらない高単価で決まったという言葉はどちらにとっても価値のある事を成し遂げたのだろうと理解する。

岸部のこだわりは異常だと当初山本は思った。無茶なスケジュールでの現地調査、急な依頼。到底こなせない個人に振られた仕事は土日に出社してこなすしかない。この1ヶ月で休みだと思えたのは一日も無かった。

しかし、仲介という仕事の意味やこだわりを岸部の口から直接受けられたのはそれに勝る収穫となる。山本はこの1ヶ月で大きく成長を実感した。

社会人、とりわけオフィス仲介の意味について気づかされた事が山本にとって大きな意味を持てたのだった。いつか自分も岸部のような貸主と借主が共に満足できる仲介になろうと心の中で誓う。


主にオフィスに関する不動産知識や趣味で短文小説を書いています。第1作目のツボ売り、それ以外も不動産界隈の話を書いていければ良いなと思っています。 サポート貰えると記事を書いてる励みになります。いいねをしてくれるだけでも読者がいる実感が持ててやる気が出ます