NEVER ENDING TOUR 2 坂口恭平@NAVARO ーわが街の都市計画へ参加ー
「マンマぁ、いってらっしゃーい!」
夕方5時すぎの玄関先。娘たちにお土産はハイチューを買ってくると約束して出てきた。家族には音楽の勉強しに行くと言っている。夫は社会勉強という名のライブは大事といつも快く見送ってくれる。
今回は大好きなことに参加して、わが心も街も潤うという夢のような都市計画の一つ。
坂口番長に勝手に賛同し、大手を振ってライブ会場へ。先日ラッパーのOMSBが来たらしい。
傘を閉じ、地下への階段を降りると、奥からループ音に絡むサックスの音が聞こえてきた。もうそれだけで飲みたくなる。緑の瓶ビールをオーダーした。
※ドリンク制ではありません。
続いて駆け込んできたお客さんと一緒に席につくと、坂口さんはギターを爪弾きながら背中で気づいたかのようにじわじわと歌い出した。「牛深ハイヤ」だった。日本民謡でありながら南米的な匂いもある。かっこよかった。音響もちょうどよい。
整えられた音響のなか、楽器の音や声を浴びることができる時間は贅沢で有難い。DJタイムも次は楽しみにしている。
壁にもたれると、暗幕やフェルトの埃が電気の熱に浮かされるような匂いがしてくる。ライブハウスやスタジオのあの空間に居ると、日常と非日常のあいだを彷徨う感じで妙にワクワクするのだ。
坂口さんはたまにお客さんに話しかけながら、近況を挟み、曲は流れるように進んでゆく。新曲も披露。ブルースのようで情景が思い浮かぶ。
他の場所を含めてライブを観るのは3回目だが、殺伐とした俗世の雨宿りのようなシェルターだと感じている。しかしノスタルジックな甘さではなく、人間として繊細な感覚を呼び起こされたり、言葉って人を罵ったり喧嘩するためにあるんじゃないよねというような《詩》を思い出す。そう、詩である。クレーの絵本のページを素手でめくるような。繊細さのなかにある声の荒々しさの波がグッとくる。誰にも束縛されないさすらいのギター弾きは、淡々と音と言葉で、見えている世界を紡ぎだす。
「習い事なんで」
MCでそう話しながら、楽器(ギター、サックス、キーボード)やエフェクターなどの機材を扱う姿も、ひとり芝居の1シーンを観ているかのようで楽しい。こんな姿もサマになるのは、元々の人間的魅力があるのだろう。小劇場の役者にも見えたりした。日常の延長線上にある習い事という感覚でも、成立させてしまうスキルと芸人的な面。本番と楽器のチューニングのあいだにあるリラックス感や、音と戯れる姿は観ていてこちらもゆるっとリラックスする。ビールもすすむ。私のようなほろ酔いお花畑もいるなかで、命は大事だよねって肌なじみよく普段着感覚で思わせるのは至難の業ではないだろうか。それは本人にとって日常であたりまえすぎるから、嘘くさくなくてこちらもですよねってなる。詳しいことを調べたわけではないが、「命」ではなく「いのっち」であることについて、個人的に天才的だと思っている。私はヒップポップも好きだ。人間、人生、生と死というテーマがあって、罵詈雑言的な言葉、スラング、いなたい空気感も大好きである。坂口さんは《生き様》がヒップホップでめっちゃかっこいいと勝手に思っている。誰にでもできることではない。それも相まって番長って呼びたくなってしまう。才能という言葉で簡単に済ませたらいけないのだろうが、人間味と才能豊かな芸術家だ。しかも家族を大事にして、生活の営みに関することなんでもできて、悪霊さえも背負う。
ラストはミラーボールがゆっくり回る中で、「海底の修羅」を。あっという間なのだが、親密な空気感のなかで、演奏や弾き語りやトークに満たされた。笊に投げ銭タイムもざっくばらんで楽しかった。
近所で平日夕方ハッピーアワーだから通えるという気軽さ。県外からのお客さんもきっと楽しめるのではないかなと思った。終わったら『坂口恭平の生活地図』を参考にしたりして、すぐ飲みにも繰り出せる。平日なのでちょっと浮立つ裏通りの空気を味わえるのもいい。
梅雨の真ん中、しかも近所で、こんなに豊かで愉快な時間を過ごせるとは思わなかった。去年の今頃は全く想像できていない。人生何が起こるか分からない。
このネバーエンディングツアーは、始まったばかり。
【大まかなセットリスト】
・牛深ハイヤ
・休みの日
・スピード
・カレー屋
・雨の椅子
・飛行場
・街
・海底の修羅
長々となりましたが、最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。☺︎
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