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【自己紹介】5:「うつ病ですね」(頑張るのをやめた)

うちの畑で初挑戦のかぼちゃが芽を出しました。
このまま順調に育ってほしいなぁ。

前回までに不安障害になった経緯をお話しました。
今日はいよいようつ病と診断されるまでのいきさつをお話したいと思います。

いずれ振り返ろうと思いますので、起こったことのままに綴っていきます。これまた長文です。


【異動と孤独】引き継ぎの引き継ぎの…

その後は中止となった機能を別の方式で成立させる業務に携わる事になり、負荷は減りました。

ただ、不安は尽きません。
物理法則上そんなことができるのか?
別の観点で代用できるのか?
何より得意先や上層部と方針が一致しているのか?

そんな折に会社方針として部署異動の公募を
積極的に行い、活性化させる取り組みが
始まりました。
その第一弾に乗ったのが仲のいい同期でした。
40代になり、新しいチャレンジをするなら
最後だと考え、第二弾の公募に応募しました。

書類審査はパスし、オンライン面談。
緊張しながらも和やかに進みました…が
異動できる確証の持てないまま終了。
結果は…落選。異動は今までOJTで面倒を
見てきた職場の後輩でした。
心中複雑ながらも、快く背中を押すのみ。

この制度のデメリットは元部署から
出ていくだけで人員補充はされないこと。
一部の業務は引き継ぐ事になりました。

しかし、これだけに留まりません。
①同じチームの先輩が部内異動、トレードで入る先輩が後を継ぐ
②トレードで入った先輩が1ヶ月で別のチームへ異動、別の先輩が後を継ぐ
③第三段の公募で②の先輩が異動、担当できる人員が自分だけになり引き継ぐことになる

いずれの先輩、後輩もここ数年仲良くやらせてもらった心の支えでした。

結局、③がうつ病の引き金を95%引いた形となりました。
チームで仕事を進めるべきなのになぜか一人担当にさせる上司。(他のプロジェクトは数人の体制を敷いている)
型手配後でほぼ手直しできない中、複数項目で試験不合格となる型試作品。
関係部署からの問い合わせ対応しながら最小限の設計変更で済むよう残業休出で検討…。
しまいにはそんな重要部品じゃないのに何悩んでるの?と言われる始末。
さすがに見かねた上司が応援をつけてくれて何とか乗り切りましたが、評価は「上司のサポートを受けて対応した平凡な業務」とされました。

本当に何やってるんだろう。

さらに派生機種もそのまま担当することとなり、仕入先が海外という難しさも出てこれも大苦戦。

そんなある日の海外仕入先とのウェブ打ち合わせ。臨時の打ち合わせまでセッティングして数時間かけてお願いした内容が1ヶ月経っても進捗のないことがわかりました。

ここで自分の中の何かが切れました。

その数日後、一番お世話になった元上司、現課長に書類の承認をもらいに行ったときにそれに気づいたようです。
ちょっと話そうかと言われ、話を聞いてもらいましたが涙が止まりません。

「少し休め、業務も引き継ぎなさい」
温かい一言でした。

何とか数日で進捗と必要事項をまとめ、10日ほど休みました。
ここでの後悔は、心療内科の先生にその状況をうまく伝えられなかったこと。痛恨でした。
その為、この時点ではうつ病ではないとの診断、先生から休んでも改善するものではないと言われました。

【悪い流れは続く】引き継ぎなし?父の死、部内異動

復帰して唖然としました。

突発対応に引き継いだ先輩が当てられた為、業務が1mmも進んでない状況で自分に返ってきたのです。
その後は周りのフォローもなく、関係部署からは対応の遅さからの苦言の嵐。

体に明らかな異変、特に片頭痛が出てきたのはこのタイミングでした。
フルストックだった有休は3ヶ月で底を尽きました。

年が明けても状況は変わらず。
もう仕事で何かを成し遂げたいとは思えなくなり、
せめて頑張った証として某資格を取ろうと勉強を始めます。

そんな2月中旬。
勉強中に知らない番号からの着信。
普段なら出ないのにふと出てみると、父方の伯父さんでした。
知らされた父の危篤。
もう結婚報告も娘誕生も年賀状でしかしていない音信不通ぶりでした。
15年前の仕打ちの心の傷から、会うこともないと思っていたほど。

でも、本当にそれで悔いは残らないのか?

取るべき行動はふたつ。
会って、生み育ててくれた感謝を伝えること。
奥さんと子ども(唯一の孫)に会わせること。

急遽帰省して妹と合流し、病院へ。
コロナ禍で面会制限の中、特別に自分だけ直接会う機会をいただきました。
残りは別室のオンライン。

病室に横たわっていた父は感染症で顔を真っ赤にし、意識朦朧の状態。
それでも、自分の思いを伝え、奥さんと孫、妹達の顔を見せることはできました。
その数日後、父は息を引き取りました。

家族葬としましたが、今までお世話になった伯父さん伯母さんに失礼のないよう喪主として精一杯を尽くしました。
その後も手続きに追われ、怒涛の2週間が過ぎました。

その後の出社で課長から衝撃の通達。
新年度からの部内異動。
部長の意向でした。
同じ部にあっても全く違う製品。
望んでいたとはいえ、このタイミングで?

相変わらず片頭痛は治らず、脳神経外科で
人体実験のように薬を試されては合わないを
繰り返し、休みがちな自分にとって
ショックだったのです。

【やっぱりうつ病だった】頑張らないで下さい

新年度からの部署異動。

フロアは同じ。
知り合いは①の先輩のみ。
製品の仕組みや工法はさっぱり。

新上司含め、メンバーにも自分の体の状況は
伝えました。
それでも温かく迎え入れてもらいました。
今までの部署とは明らかに異なる柔らかい空気。
これならやれそうかな。

が、甘かった。
やはり片頭痛は治らず、なかなか業務を
回すことのできない焦りからまた体調不良に
よる休みが増えていきました。

そしてついに夏の終わり。
有休も尽き、起きられない症状も
出るようになり、心療内科の先生に
うつ病を宣告されました。
もう無理だ。
休もう。

休職前の最終日に前部署含めた面々に
休むことを伝えました。
その中に重病と闘う先輩がいました。

先輩からのアドバイス。

うつ病は治ります。
これからは頑張らないで下さい。
ちゃんと治して戻って来て下さい。

この言葉を胸に、昨年秋から休職を始めました。


ここまでがうつ病に至るお話でした。
読み返し、整理をしながらうつ病に至ったターニングポイントをまとめていけたらと思っています。

長文に目を通していただき、ありがとうございました。

by とことこてー


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