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写真歴8年目 鳥の撮りかたにも変化? ー表現の自由ー

ということで、
恥ずかしげもなく
タイトルにオヤジギャグを盛り込んでしまうトーコです( ̄ー ̄)ナニカ?

今日は、趣味の写真の話。

私がカメラを始めたのは2012年。

それ以後
撮影自体に対する盛り上がりの波はありこそすれ
現在まで「趣味」という範囲でどうにか続いております。

「どうにか続いている」という
歯にものが挟まったような言い方になってますが
写真を撮ることの意義みたいなものが
最近は薄れつつあるといったところでしょうか。

まぁ、ややこしくなりそうな話はさておき

写真を撮り始めて8年ともなると
だいぶ撮りかたに変化が出てきているなぁと感じるわけで。

まず、パチリ。

画像1

これは、当然撮影始めて間もない頃です。
なぜそれが分かるかというと
なんとなくですが
構図とか、ピントを真剣に考えているような情熱を感じますねぇ。
自分自信の根気(この瞬間を撮るぞ!という意気込み)とか
そういった、情熱ですよねぇ。。

ちなみに、タイトル画像で使用した写真も
初期作品ですね。。
これも、この瞬間を撮るぞ!という意気込みを感じる作品です(自分でいうな)


それから月が立つと・・・
こうなります。

画像2

これは引きで撮った写真の中にいた鳥が
なんとなく「イイ感じだなぁ」と思い
不要な部分を切り取った写真です。

そのため、画像が荒くなってしまってますが、
「それが味なのだ」
と言わんばかりに、普通に作品という立ち位置に持って行ってしまっている自分・・・(-ω-;)ウーン

画像3

これも同じ立ち位置ですねぇ。
何を表現したいのかというよりか、
この頃「墨画」というジャンルに無性に惹かれ
水面に映っている模様が
「墨画」のそれのようで、妙に興奮してしまった。。。
ということから、作品の立ち位置death

画像4

瞬間を切り撮るという点でいうと
これもそんな風に見えなくもないが
みよ、この粒子の荒さを。

もちろん、切り取った後、引き伸ばしdeath (-ω-)ワルイ?

画像5

これも、当然切り取り後の引き伸ばし。

そうなんです。
最近は鳥あえ・・・もとい
取り敢えず撮って
欲しい部分だけを切り取って、引き伸ばす
という、一部の人から言わせると

「邪道」

と言われても仕方ない作法を取っております。

でも
「それは邪道だ」とか
「それはどうなの?」とか
正直、どうでもいいかなぁとも思うわけです。

何でって
これは私個人の趣味であり
あくまでも自分のために撮っているのだから。

カメラを始めたとき
学校に通ったこともあったのだが
その時の宿題で提出した写真に対し

先生「これは、やっちゃいけない構図だな」

という好評を受けたことがあります。

私「何それ(-_-;)」

と、心の中でツッコミました。

そんな制限、つまらなくね?
そんなこと言ってたら、全部同じ構造、同じ撮り方、
つまりは、同じ作品=個性がない
ということに成り兼ねなくね?
何のために写真を撮るのかがわからなくね??

そもそも、自分を表現するのに
そんな制限こそが邪道なんじゃーーっ!!!(☆ω☆*)ギラーン

と、学校を一年でやめたことを思い出しましたw
まぁ、そんな荒れ狂う感じにはなっていませんが
心で、ひっそりと

「これ以上、ここで学ぶことはなさそう」

と、見切りをつけたという感じでしょうか。

それ以後、学校を離れ独自で撮り続けてはいますが
特に問題は感じておりません。

本当、表現の世界って
ある程度は自由でいいと思います。

自分が何を表現したいのか

それを追い求めることが
心の渇きを満たせることだったりするし
自分自信を理解できることになるので

表現って、自由でいいっすよね。

というダジャレから始まり
自己満足で終わるというお話。


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