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【時間がない人の為の短編小説】 乾いたコーヒー

カランコロン。
 落ち着いた雰囲気の喫茶店に響いた入店の鐘は一際目立って聴こえた。
 店の入口から入ってきた俺の彼女の美崎は同じテーブルの席に着くとウエイターに俺と同じコーヒーを頼んだ。彼女と会えた嬉しい俺に美崎は険しい顔で一言告げた。

「私と別れて」
 
 その一言を聞いたとき口に含んだ俺のコーヒーはまだ暖かった。
 俺はコーヒーを味わうこともなく飲み込んだ。
 
「どうして」
 
「もしかして、わからないの?」
 
 俺は考えた。なぜ、美崎が別れを決めることになった理由を考えたが、何も思いつかない。前に喧嘩した事もあったが、あれはお互いに納得して終えたじゃないか。でも、もしかして、美崎は我慢していたところがあったかもしれない。
 
「前に喧嘩した時に……」
 
「そんなんじゃない‼️」
 
 美崎の顔は俺の好きだった優しさと可愛らしさは、どこにもなく悲しげで辛そうな顔だった。この難題は自分が答えを出さなければならないのに、どんな言葉も彼女には届かない気がした。
 
 口に含めた苦味しか感じないコーヒーだけが、俺の追い詰められた心を慰めてくれる。彼女のテーブルにコーヒーが運ばれるとコーヒーに手をつけることなく口を開いた。
 
「こうくんは、はじめに言ったこと覚えてないの?」
 
 美崎と会った時。もうそれは六年も前のことだ。お互いにまだ大学生で、先輩の飲み会で出会い。飲み会での周りの盛り上がりについていけなかった俺と美崎が、そこで初めて話した事をきっかけに付き合い始めた。あの時の美崎は今よりも髪が短く、可愛らしいかった事を覚えている。
  
「もういい」
 
 長くに続いた俺の沈黙に耐えきれなかったのか、その一言を告げると美崎はその場を去った。美崎の背中を眺めながら、彼女といた六年間が走馬灯のように思い出されていく。だが、美崎が欲しがっていた言葉だけが思い出せずにいた。
 
 カランコロン。
 
 店に響いた鐘は今の俺には環境音の一つにしか聴こえない。
 カップの底のコーヒーはいつの間にか乾いていた。
 

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