しゅっ_

漫画家になる前の、一般企業で勤めてた頃の話


「とこりさんって、何かをやり遂げたことがないんだね」

そう言われたのは、社会人3年目、20歳の時でした。


小学校の頃から漫画家にはなりたいと思っていた10代のとこり少女は、親に負担をかけたくなかったので、広島から出たり専門学校に入ったりする気はありませんでした。


「一般の会社で働きながらでも漫画家はできるから、とりあえず親を助けるために就職しよう」と思い、商業高校に入学。

無事卒業し、一般の会社の事務経理職として働き始めました。

ところが。


18歳のとこりは、死ぬほど仕事ができなかった。

パソコンの操作が覚えられない。
半年経っても帳簿入力ができない。
書類を日付順に並べることもできない。
パンチでまっすぐ穴をあけることができない。
重要な書類を無くす。
時間の調整ができず、何度も締め切りを破る。
机の上の整理ができない。
10行に1回は入力ミス。

覚えていないけど、おそらくもっといろいろな失敗をしたと思います。


次第に渡される仕事が減っていき、最後の頃は1日中、財務諸表の本を読んで席に座ってるだけでした。
上司からは、「給料泥棒」と言われていました。


ただ、私自身は「おかしいな。なんでこんなにしんどいんだろう」と思っていたくらいで。
書類を日付順に並べることができず、パンチでまっすぐ穴をあけることもできない自分が、「なにかおかしい人間」だとは気づいておらず、周りからの対応に傷ついていただけだけでした。

仕事は1年で辞めました。


次のお仕事は、法宴の際のお食事を提供するウエイターです。バイトです。
お葬儀のあとの故人の方を偲ぶ席で、普通のウエイターとは違う心遣いが求められます。

そこでも、

備品が置かれている場所を覚えるのに1年かかる。
料理を出す順番を間違える。
ご遺影を落とす。
焼酎の割合を覚えられない。
言われたことをすぐ忘れて、同じ失敗を1日に3回繰り返す。

など、「普通ではありえないミス」を繰り返しました。


とはいえ人のいない職場だったので、辞めることができず続けているうちに、

備品の場所を覚え、料理の順番も完璧になり、焼酎の割合も覚えて、仕事の流れを覚えることができたので言われたことも忘れることが少なくなり。
1年半くらいこの仕事をしていたと思いますが、次の仕事が決まって辞める前くらいには、「ようやく頼りがいが出てきたのに残念だよ」と言われるくらいにはなれました。
漫画の方も、担当さんが付き受賞して、これから頑張ろうと思っていたので、仕事に対して前向きな気持ちが生まれていました。


その頃、中学の頃の先輩の紹介で入りびたるようになった美容サロンで、
とこりさんって、何かをやり遂げたことがないんだね
と言われました。

漫画家になれてない。
事務職をしても、うまくいかないまま途中で辞める。
接客業も、ようやく下地が整っただけの状態で辞める。

本当だ。と思いました。
その時の言葉がずっと心に引っかかっていて、次の仕事先は、絶対に「最後までやり遂げる」ぞ!と思いました。


次の就職先は、一般事務です。

高校の頃、事務職系の資格を片っ端から取ってたので、就職活動を始めたらすんなり決まりました。

その職場は、女性が各部署に一人しかいないような完全男性社会の職場で、「仕事」に加えて、「女性」としての立ち振る舞いも求められました。

女性が一人辞めるなら女性を一人補充する、という形の会社だったので、わたしは前任の先輩の仕事を丸々引き継ぐことになりました。

その方は、
本来引き継ぎは2か月だけなんだけど、私が前任の人から引継ぎしてもらった時、2か月じゃ足りなかったので、3か月にしてもらったの。
わからないことがあったら何回でも聞いていいから、頑張ろうね

と言ってくれる、優しい人でした。

そこでもうまく仕事ができませんでした。

1年経っても人の名前が覚えられない。
1年経ってもお茶出しができない。
1か月に一回は必ず大きなミスをする。
伝えなきゃいけないことを、メモしているのに忘れる。
掃除ができない。


引継ぎ期間の3か月を終えても、全体の5割も引継ぎができていなかったので
先輩の在籍期間を1か月延ばしてもらい、5か月目以降は

1か月のうちに3日間だけ、私に仕事を教えるために会社に通う

っていう特殊な状況でした。


この状況は、先輩が寿退社して、しばらくして妊娠して、
さらに出産安定期に至るまで、約1年半続きました。

だんだんとお腹が大きくなっていく先輩が、いまだに制服着て会社の中にいることを
不思議に思っていた人も多いと思います。

私のその、あまりに仕事ができない様子を見かねたお局さんから、
ありがたい言葉を何度もいただきました。


具体的には、女子トイレに呼ばれてマンツーで1時間以上叱咤激励を受けたりですね。

大体週2くらいのランダムイベントでした。



この時間が始まると、頭が真っ白になって、
お局さんの言うことを聞こうと思っても何を言っているのかわからない、理解ができない。
聞こえてるのに聞こえないっていう状態でした。


「聞いてる?」と言われて、「聞いてはいます」と答えて、
「じゃあ内容をまとめてみて」と言われて、


必死に思い出そうとするけど全然覚えていないので、
直前に言っていたと思う言葉をオウム返しみたいになんとかひねり出して、
「はあ!?何を聞いてたの?」って言われてさらに怒られる。
そういうイベントでした。


私は仕事ができないので、せめて他のところはしっかりしよう!と思って

常に笑顔を気を付けてみたら、仕事もできないくせにニヤニヤするな。と言われたり

朝早く出勤して掃除を終わらせて、みんなが出勤してくる頃には仕事を始められるようにしていたら、掃除も仕事のうちだからちゃんと掃除してね、と釘を刺されたり

自主的に休日出勤して平日に余裕を持って仕事をやろうとしたら、現金が足りない犯人にされかけたり

頑張ろうと思ってやったことがすべて裏目に出てしまって、でもそれらを全部弁解するのも面倒くさくて、全部無言でお叱りを受けていました。

現金が足りない件については、さすがに「やってない」と言いましたが信じてもらえず、のちに担当者の机の中から出てきたときに

今回は違ったけど、でもまあ、あなたの日頃の行いのせいだから」と言われて

そっか、全部自分のせいなんだなって思うようになりました。

一時期声が出せなくなったり、
特定の人物を見るだけで動悸息切れが激しくなったりしていましたが、

今回の仕事は、最後までやり遂げるんだ!」と思って、仕事を続けていました。


ある日、いつも通りに仕事をしていたら、部長に呼ばれました。

とこりさんの、異動が決まりました」とのこと。頭が真っ白になりました。

事実上の左遷です。


前任の先輩もいよいよ出産に近い段階に入り、もうこれ以上私の成長を見守ることはできないという判断でした。
当たり前です。1年以上も引継ぎが完了しないなんてありえないですから。

ただ、「左遷」と思って異動するのは、異動先の部署に失礼です。

なので、「恩返しできないままこちらを異動することになって申し訳ありません」と、「異動」を、請けました。


部署の人には迷惑をかけてばかりだったけど、私は本気で仕事をしていたし、はやく仕事ができるようになりたい。

はやく仕事で恩返ししたい、と、日々試行錯誤していました。


実際、亀の歩みではあるけど少しずつ失敗の頻度も減り、
周りへの気配りができる余裕も少しだけ生まれてきていました。

ので、このタイミングでその部署を離れるのは、悔しくてたまらなかったです。


日後から引継ぎの女性がやってくるとのことで、
あわてて引継ぎ資料を作り、その方に仕事を教えつつ怒涛の期間を過ごし、
新しい部署に異動しました。



異動先は、天国でした。

前の部署の仕事量の半分くらいしか仕事がないし、
部屋が狭いのですぐに来客に気づけてお茶出しができます。
時間があるので、入力したデータチェックも2度3度とすることができて、ミスも減りました。

評価査定も上がり、お給料も増えました。

定時出勤定時退社なので漫画を描く余裕も生まれ、
この部署にいたときに描いた読切漫画を雑誌に載せてもらうこともできました。


3年くらい勤めたころかな。

8年付き合って結婚も考えていた元カレと別れて、
交通事故に遭って、むちうちで椅子に座れなくなるという、不運のタイミングが被りました。


仕事にミスが増えて怒られる機会が増えていき、怒られる機会が増えるうち
なんか変だな?」と思うようになりました。


仕事でパソコンの前に座るだけで涙がでてきたり、
目の前にやらなきゃいけない仕事があるのに
他のことが気になるとすぐにそっちに意識がいってやってしまって、集中力が続かなかったり、
涼しい部屋にいるのに微熱っぽくて体がだるいのがずっと続いたり、
半日で出来てたことが丸2日かけても出来なくなったり。


ちょっと前に友人がうつ病と診断されたときの話を聞いていたこともあり、
「もしかして鬱なのでは!?」と思って、病院を受診しました。


結果は、「軽いうつ病

だけど、それとは別に、

ADHDの症状が強い」と言われました。


お医者さんいわく、

とこりさんは、元々発達障害を持っていて、
普段はその症状を強靭な精神力で抑えていた。
けど、うつになり、抑えられなくなった症状が出てきている
のではないか。

とのことでした。

「まずはうつを治そうね」と言われて、その日はうつの方の薬をもらって帰り、
上司に診断結果の報告をし、
ADHDについてもらった冊子を読んで、ネットでも調べて。

そうしているうちに、とても悲しくなりました。


私は、本当に本気で仕事をしていました。


「なんでみんなが簡単にできることが私にはできないんだろう?」

「何回もやってる仕事なのに、ある日突然できなくなったりするのはだろう?」

「たくさんメモして、何度もメモを見返してるのに、うっかりミスをしてしまうのはなんでなんだろう?」

「スケジュール通りにやればOKの仕事で、スケジュール自体を勘違いしてしまうのはなんでだろう?」


それらを全部、「頑張ればいつかできるようになるはず」と思って、
色んな対策をして、目線を変えた二重三重のチェックをして、
自動化できるところは全部自動化するシステムを作って
周りが信じてくれなくても、自分だけは自分を信じようと思って


それらが全部、「障害のせい」で片づけられてしまうなんて。


今までいろんなことに耐えながら頑張っていたことが、すべて無意味だったように感じてしまって、それ以来仕事のやる気が出なくなってしまいました。


「このままずっと迷惑をかけるのは嫌なので」と言って辞めることを伝え、引継ぎをして退職しました。


ここでも私は、最後までやり遂げることができませんでした。



その後、アシスタントを始めて現在に至ります。

ADHDは、結局治療してません。

一度薬を飲んだときに、なんか脳みそに霧がかかったような感じがして、すごく気持ち悪くて。
調べてみたら、ADHDの薬って、「脳の思考速度を下げる薬」らしくて。

私は漫画を描くためにたくさんものを考えなきゃいけないのに、
こんなに思考速度が遅くなるのは嫌だ!と思って、
それ以来薬を飲まなくなりました。
(※絶対にマネしないでください!)

元々精神力で抑えられる部分が多かったので、
心が落ち着いてさえいれば、普通の人と同じような生活は送れるし、
うつの方も軽いものだったため、会社辞めたらすぐに落ち着きました。


正直、女子トイレにマンツーのトラウマはまだ残っていて。

ちょっと強い口調で長い時間なにか言われると頭真っ白になって聞き取りにくくなることはあるものの、現在はそもそもそんな機会がほとんどないのでさほど支障はありません。

何か問題があった時に、「ADHDだから」と言い訳じみたことを思うこともありません。

いままで人に言ったこともほとんどありませんし、
この記事を最後に、私が自分から「ADHDだ」と明かすことはないと思います。


今回この記事を書いたのは、いまの私をちょっと落ち着けたかったのと、
いろんな人の話を聞いて、
もしかしてこういう恥ずかしい過去を公開することが、
誰かの救いになることもあるのかもしれない
」と思ったからです。



まだ何かを成し遂げることのできてない人生だけど

ずっと一緒に歩いてきた「漫画」だけは、どうしても成し遂げたいので。


自分自身とちゃんと向き合いつつ、
苦手な部分は人に頼ったりして、
歩みだけは止めないように。


これからも頑張っていきます。

作業時の紅茶代にさせていただきます。