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手帳やノート用オリジナル素材ができるまで

キッカケはSNSのプレゼント企画

instagramにて、何度かプレゼント企画をしています。
一番最近では、オリジナルで作った作品をプレゼントにしました。
その際、プレゼント企画用におまけで一つポストカードを用意していました。
ほんの軽い気持ちで、自分で撮った写真を少し加工して作ったものだったのですが、それをストーリーにあげたところ、とある方から反応がありました。

「こんなポストカードやシールがあったら買いたい」

とても手帳やノートの使い方、彩り方が上手な方だったので、
詳しくお話を聴いてみたい…!という気持ちになり、DMのやり取りが始まりました。

100%自分で撮影した写真を使うということ

今まで、ネットプリントでも自分で撮影した写真や、描いた絵を活用してきてはいたのですが、ネットプリントを作る回数を重ねるごとに、自分の中で生まれる言葉にできない複雑さみたいなものがありました。

色々なものを作るのは楽しいのですが、"自分らしさ"という部分において、オリジナルの要素をもう少し押し出していきたい気持ちが生まれてきているのを感じていました。

色々とご意見をうかがう代わりに、出来上がった作品をお送りします、というお約束の元、出来上がったシールとポストカードたち… ご意見をくださったフォロワーさんには、感謝の念に堪えません。

「メインになるような写真の素材があったら」ということで、大きめの5cmで作製。

「カメラマンは諦めた方がいいだろう」から12年

わたしが25歳の時、体に異変が起きました。

当時は引きこもりから脱却し、少しずつ経験を積んで、とある場所で接客業をしていました。

ある日、下着を付けることが『苦しい』と感じたことを皮切りに、体のあちこちで不調を感じるようになりました。
初めは太ったのか?や、偏頭痛のせいか?などと考えており、脳神経外科を訪ねるところから、わたしの体調不良の原因探しが始まります。

当初、生まれ持ったストレートネックのせいだろう、と言われていましたが、日々、身体中の痛みが増す一方。
その内、仕事を辞めざるを得なくなり、寝たきりのような生活になっていきました。
台所でキュウリ一本切ることが辛い、洗濯物を干すのに腕が上がらない。
それが25歳のわたしに起こった事実でした。
涙が枯れるほど泣き続け、夜は痛みで眠れない。。。ノイローゼのような日々が続きます。

ある時、父の友人であるお医者さんから、「カメラマンはやめた方がいいだろう」と言われました。重たいカメラを持つことは、体に負担がかかる、と。
わたしは接客業の傍、写真の活動をしていました。
写真は19歳から本格的に趣味として始め、写真展を開催したり、お仕事をいただくこともありました。
わたしにとって写真を撮るという趣味は、わたしを外に出させてくれた唯一無二のものだったのです。

プロを目指していたわけではありませんが、心の支えであった"写真を撮るということ" を奪われるということは、耐え難いものでありました。

親よりも先に寝たきりになるのか?
一生痛みと戦わなければいけないのか?

引きこもっていた時よりもずっと、将来に絶望を感じていました。

わたしが外で撮っていた写真の記録は、この25歳を境に止まりました。

悲しい出来事から12年、日々の楽しさと彩りに繋げるまで

長くなるので端折りますが、27歳でMRIを経験しても、痛みの原因が分からないと言われ、治療法を探し続ける日々でした。

そんな中でも、人と出会うということは諦めず、出会ったのが今の夫です。
わたしとは違いますが、体に不自由を抱える兄がいた彼にとって、わたしへの接し方は自然で、温かいものでした。
29歳の時に、彼と結婚をしましたが、わたしの30代は幸せいっぱいというわけにはいかったのが、正直なところです。

27歳の時に、カウンセラー養成学校に通い、卒業した後もずっと、心理学を勉強し続け、30代は自分の弱点と徹底的に見つめ合い、幸せに楽しく生きていくために、努力をし、成長という形で変化していくことを目指しました。

そんな時、始めたのが『ノートや手帳』です。

自己肯定感を上げるために、必死に書き続けました。
自分の書いた記録を残してみようと始めたのが、今のinstagramの手帳アカウントです。

自分の成長と自己肯定感を高めるために始めた"書くこと"は、いつしかデコレーションを楽しむことにも膨らんでいきました。
ノートや手帳にデコをする楽しさを知っていくと、今度はその素材作りにも興味を持ち始め、ネットプリントを作製することも経験しました。

シールとポストカードは、第二段まで作製することとなりました。

冒頭で書きました通り、ある方の声をキッカケに、25歳までに撮っていた写真と向き合える日が、ある日突然くることとなりました。
ちょうどいいタイミングで、夫が昔撮った写真をパソコンで見られるようにしてくれたのです。
一枚一枚見るたびに、涙がポロリと落ちていく感覚が頬に感じられました。

何日もかけて、写真を選び、作品にしていく日々。
ある日出来上がり、作品をまじまじと眺めていたら、気づくと涙が溢れて止まらなくなっていました。

世間的に、素晴らしいと言われるような写真を撮ってきたわけではありませんが、その頃の、フィルターを通して世界を見つめる時の気持ち・感覚などが蘇ってきたり、様々なことを諦めることになった時の絶望さ、でもそれらが今になって、一つの作品となったことへの感動で、心の中に、表現できないような湧き上がるものがありました。

過去と今が繋げていく"未来"のこと

わたしが作ったオリジナルの作品は、出来上がる前に、権利を調べたり、使うアイテムについてメーカーさんに問い合わせたりと、時間をかけたものですが、もし何かお気づきの点があれば、教えていただけると、幸いに思います。

現在は光栄なことに、購入したいと言ってくださる声があり、メルカリにてのみですが、販売を行っています。
一人の手作業なため、沢山の数をご用意するのは難しいのですが、そんな中、温かい言葉ばかりいただいていて、本当に恐縮する思いです。

最近はm5サイズの素材作りも。

つらいと思っていた過去が、こんな形で今に繋がったことを考えると、不思議な気持ちです。嬉しいような、切ないような。

わたしが見た景色、作った作品が、素敵と思ってくださった方々にとって、それぞれのノートや手帳を彩るアイテムになっていたり、誰かへの手紙になっていたとしたら、それほど幸せなことはありません。

そしてまたわたし自身、今回のことで、救われたのです。
25歳で止まっていた時間を、少しずつ動かしたいと、思えたのです。
30代は家でばかり写真を撮っていましたが、今後はまたもう一度、できる範囲で外の景色も残したいと思うようになりました。

誰かのちょっとした一言で、想像をしていなかった気持ちを味わい、新しい経験ができるということ。また、自分が一歩前進したということ。嬉しい気持ちで胸がいっぱいの数ヶ月でした。

世の中の人の数だけ、それぞれの辛いこと・悲しいこと・どうにもできないことなど… 抱えてらっしゃる方がいることでしょう。
前を向くことばかりが必要ではないと思うけれど、あなたの今のことを、今後何かに、誰かに繋がることはあるかもしれません。

わたしも、自分の"今"がまた"未来"に繋がると思い、過ごしていきたいと思います。

そんな思いがあり、今日は書かせていただきました。
長く、拙い文章ではありますが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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