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言葉は時に人を傷つける

 励ます言葉もあれば、人を傷つける言葉もある。言葉とは人を傷つけるためにあるわけではなく、励ましたり、コミュニケーションをとったりと、そうゆうためにあるものだと思う。

 私は今でも覚えている。それは小学生の時。

 友達の何気ない一言が今でも頭の片隅から離れない。
 私は髪の毛が細く地肌が見えてしまうことがある。これは小学5年生ぐらいからの悩みだ。

 そして、小学校6年生の頃「髪の毛薄いよね」と言われた。思春期に入る手前の私にとって、その言葉は大きな棘であり、心をえぐられたことを今でも覚えている。

 友達は悪気があっていったわけではないだろう。素直な気持ちを言っただけ。
 しかし、その何気ない一言が今でも私の中で生き続けている。

 中学生の頃も幼馴染に髪の毛の事でいじられたり、高校生の頃に至っては坊主だったので、もう最悪だった。

 坊主頭にすれば薄いのも紛れるかな、と思ったが逆によく目立つようになってしまった。

 高校生の頃はそれでもって、たまーに髪の毛薄いねと言われたことがあった。
もはや、高校に通うことすら嫌になったが、辞められないの一心で3年間通い続けた。その為、高校時代は全く友達もできず、退屈な3年間を過ごした。勿論、楽しい時もあったが、そんなの指で数えるぐらいだ。

 高校生の頃は人目ばかりを気にして、写真を撮るときは必ずと言っていいほど帽子をかぶっていた。帽子をかぶっていれば自分のコンプレックスが隠せるからだ。誰からも薄いと言われることはない。

 髪を伸ばしてからは逆に散髪に行くのが少し怖くて、若くして髪の毛が薄いな、と美容師さんに思われないかなとか思っていた。

 小学生の頃に言われた何気ない一言が私の心をえぐった。えぐる、という表現はなかなか強い言葉だろう。だが、それぐらい辛い言葉だった。

 今でもたまに言われる時がある。その髪型どうしたの?と。

 でも私は20代前半からこう思うようにした。

無いものはない、しかたないじゃないか、と。

 私だって髪の毛がフサフサでもっとかっこいい髪型にしたい、と何度思ったことか。でも無いものはない。これが事実だ。無いものを追い求めても仕方がない。

 最後に1つ言いたいことは、あなたの何気ない一言は相手を傷つける事になるかもしれない、ということだ。

 私も、自身の言葉で人を傷つけてしまっているかもしれない。言葉を発するときは気を付けていこうと、今日も思いながら生活している。

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