noteを始めた訳


 
母から、実家の町内文化祭に2枚の絵が飾られたよとのメールが来ました。

「娘」 母が書いた私の絵。
「娘の恩師」母が書いた私の中学時代の担任の先生。

私の中学時代の担任の先生は、私が大学生の頃、中学の部活のランニング中に心肺停止になりそのまま天国に旅立たれました。
恩師の御家族から、是非、絵を描いて欲しいと頼まれ、母は書いたといいます。

母は胃の手術を私の勤務先で受けました。その時に仕事をしているスクラブ姿の私を書きたいと入院しながら書いてくれました。

そんな2枚が並べられました。

小さな頃から医療の道に進みたかった私を、恩師は応援してくれていました。だから、今、町の体育館に恩師と一緒にこの絵が並べられていると思うと嬉しく、母が手術後元気に過ごせていて、この絵を完成させてくれたことに感謝しています。

ふと、この絵をみながら、恩師は私の生活記録や作文をよく褒めてくれた事を思い出しました。

生活記録という、毎日の出来事を書いて、先生がコメントをくれる宿題があり、私は先生からのコメントが楽しみで毎日書いていました。
いつも、前向きで情熱的なコメントを書いてくださっていました。

小さい頃、転校生を繰り返した私は、友達とよく文通をしたり、交換日記をしたりしていました。
交換日記には、絵を描いたり、空想のキャラクターの絵やお話を書いたり、日常の悩み事、好きな男の子の話を書いたりしました。
毎日何かを書いていました。
鉛筆、消しゴム、ペンといったお気に入りの文房具を、新学期に新調するために、おこずかいを少しずつ貯めていました。
それが、毎日の楽しみであり、勉強よりも好きな事でした。

この絵をみて、久しぶりに生活日記が読みたくなり、両親に頼み取り寄せた段ボールが、ありました。
その中身である子供の頃の生活日記や作文をみると、あまりに大人びていて、何故こんな文章がまだ幼い私はかけたのだろう、今の私にはこんな文章はかけないと、ショックを受けました。

メールやスマホがあり、友達に手紙を書くことも今や友達の誕生日くらいでほぼ無くなり、長文を書く機会がなくなりました。
本を読む機会も減りました。

小さな頃はあんなに感受性豊かだったのに、今はこんな事を書きたい!それを文章にしたい!人に伝えたい!読んで欲しい!と思う事が無くなりました。

そんなわたしがどこかに文章を書きたいふとと思ったのです。

日々の自分を癒すために。
過去の自分を癒すために。
読んでくれる人が癒されたら。
明日へ生きていくパワーを与えられたら。

そんなことから、noteを始めました。

日常のささやかな事から文章が書けるときめきをまた思い出せたらと思います。
きっと書きたい事を書きたいように書くことがコツなのでしょう

毎日投稿をしている皆さんを見ると、本当にすごいなと思います。

投稿できるような毎日のささやかな出来事を汲み取れる力がすごいと思います。

思い起こせば書く材料はあるはずなのに、書けていないので、書くほどの事ではないと、思っていたかもしれません。
その出来事の何を書いたらいいのかがわからないのかもしれません。

noteをはじめて2週間たちました。
まだドキドキしている自分がいます。

昔の自分の文章を読みながら、恩師のコメントを読みながら、皆さんのnoteを読みながら、自分のできる範囲で、今年は書くというトレーニングしてみたいと思います。

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