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新型コロナ対応でも大失態 厚生労働省「ブラック官庁」の研究


統計不正問題で国民の信頼を失ったのは、ちょうど1年前の今頃だった。2020年も、年明けから世の中を騒がせた厚生労働省。新型コロナウイルスをめぐる杜撰な対応にも、女性エリート官僚による〝コネクティングルーム出張〟にも、国民はあきれ返っている。なぜ、1つの官庁から〈不信の連鎖〉は続くのか――。登場人物は、安倍晋三、加藤勝信、橋本岳、秋葉賢也、舛添要一、江田憲司、小泉進次郎ら。〝強制労働省〟の謎を解く。 (文中敬称略、約1万字)

※この記事は、月刊誌「文藝春秋」2019年3月号に掲載されたレポートに少しだけ加筆を施しました。人物の年齢や肩書き、政治的立場、組織名などは、特に記載がない限り、「19年2月時点」のものです。ご了承ください。

◆三か月遅れの「スクープ」

ずは、時計の針を二〇一八年に戻したい。

同年十二月二十八日は、西日本新聞東京支社の記者、永松英一郎(39)にとって「御用納め」のはずだった。

取材先への挨拶回りをほどほどに切り上げ、明るいうちから同僚と飲みに歓楽街へ繰り出すつもりが、昼過ぎに出た朝日新聞夕刊の一面記事のおかげで年末気分は吹き飛んだ。

勤労統計 全数調査怠る/厚労省都内は約三分の一を抽出

記事は、厚生労働省が全国の事業所の賃金や労働時間などを調べ、月例で公表している「毎月勤労統計(通称・マイキン)」が、不正な調査手法で行われていたことを伝えていた。永松は迷わず厚労省が入る東京・霞が関の高層ビルに走った。

だが、ようやく省内でつかまえた高級官僚たちはみんな何食わぬ顔をしていた。身内の不祥事に対して感想めいた持論を説いては、他人事のように振る舞う。

「まあまあ、この件が落ち着いたら一緒に飲みに行きましょうよ」

そう言ってにやける幹部職員さえいた。

結局、厚労相(当時)の根本匠が問題を認めたのは、松が明けた一月八日。後日、誤った統計によって失業給付などが過少支給された「被害者」はのべ二千十五万人、その対応に要する費用は約八百億円と弾き出された。

「以前から取材してきて、厚労省の当事者意識の薄さには釈然としないものを感じてきましたが、今回、朝日の記事を読んで、『なるほど、そういうことだったのか!』と腑に落ちました」

そう話す永松は数々の特ダネをモノにしてきた敏腕経済記者。今回のマイキン問題でも、すでに昨年(※二〇一八年)秋の時点で疑義を唱え、朝日よりもかなり早い段階で第一報を打っていた。厚労省が二〇一八年一月時点で密かに調査手法を変更した事実をすっぱ抜き、九月十二日の西日本新聞の朝刊一面で、数値が過大に上振れしていることを報じていたのだ。

永松のスクープは、経済のプロの間で話題になり、政府統計を監督する総務省の機関も事態を重く見て、厚労省に改善を促した。そして後追い取材に奔走した朝日が約三か月後に辿り着いた不正の核心こそが、冒頭の報道(〈勤労統計 全数調査怠る/厚労省都内は約三分の一を抽出〉)だった。

◆「問題はない」の一点張り

務省を担当している永松が守備範囲外である厚労省の不穏な動きをつかんだのは、二〇一八年夏。あるエコノミストからこう言われた。

「最近、マイキン統計がヘンなんです」

複数の専門家にも訊いたところ、「たしかに数値が高すぎる」と一様に首を傾げた。同じ頃、厚労省が発表した同年六月のマイキンでは、現金給与総額が前年同月比で三・三%増えていた。全国紙は一斉に「二十一年五カ月ぶりの高い伸び」と騒いだ。

安倍政権はアベノミクスの効果を計る指標としてマイキンを重視してきたが、経済分野に疎い厚労省担当の記者たちにとって、あの手の記事は発表資料をなぞるような退屈なものに過ぎない。当然、「急上昇」に疑問を抱き、その要因まで突っ込んだ報道はない。だが、永松はひとり疑いの目を向けていた。彼は「財務省担当だったから」と語る。

「普通は国の基幹統計なんて疑いませんが、私の場合、財務省で半年近く森友問題を間近で見てきて、今の役所は何をしてもおかしくないと思っていますから」

結局、西日本新聞に非難されても厚労省の担当者はお咎めなし。しかもその第一報が出る前には、永松が追及しようとした事柄に反論するような説明文をこっそり同省ホームページに掲載していた。狡猾なスクープ潰しだった。

永松は一連の問題を追う中で、厚労省の体質を見せつけられた。

統計部門の担当者は永松の取材に丁寧に応じ、統計のイロハまで教えてくれた。一方で「見直し」の事実は認めたものの、「問題はない」の一点張り。数値を補正する必要性を質しても、「必要ない」。取材の網を広げていくと、上層部に行くほど現場の実情を知らず、要領を得ない説明になる。

現場は長年同じ職場にいるノンキャリア組が中心のプロ軍団が仕切り、数年で入れ替わるキャリア組の上司は専門的なことには疎い。彼らはメンツにかけて組織防衛を試みようとしていたが、吹聴する言い訳は、永松が森友問題取材で聴き慣れた財務官僚のそれと比べれば、お世辞にもうまいとは言えなかった。

今回の不祥事は、先進国のエリート集団があまりに幼稚な愚行を平然と繰り返している日常を白日の下に晒した。

不正を働き、国民に迷惑をかけたのは厚労省のはず。だが、自分たちに疑念の目が向けられているにもかかわらず、官僚たちは悪びれもせず、保身に走り、ウソの上塗りを続け、責任を棚上げ。お得意の「第三者委員会」はお手盛り。

幹部たちは減給に付き合うのがせいぜいで、彼らが矢面に立つことはない。特殊な階級構造がもたらす複雑怪奇な人間模様を見て見ぬふりをする。

平成の厚労省は世間の風を読み誤り、向かい風に晒され続けた。それでも背徳の連鎖を自ら止められない。

◆ブラック化させたあの標語

労省最高幹部の定塚由美子官房長(※記事掲載後にこの問題で更迭)が「自民党厚労族の重鎮」の元を訪れたのは、発覚からだいぶ過ぎた年明けのことだった。向かった先は永田町にある参院議員会館の五階。小泉政権で厚労相を務めた尾辻秀久(78)の事務所だった。

「なんでこんなことが起きたんだ?」

尾辻が訊くと官房長は俯いた。

「只今、調べてはいるんですが……」

尾辻の大臣就任は不正統計が密かに始まった二〇〇四年である。だが、官房長の「ご説明」から初めて知ることばかり。何を訊いてもしどろもどろで、渡されたメモを見ても何が起きたのか、さっぱりわからなかった。

今年(二〇一九年)で議員勤続三十年。厚労族一筋の尾辻は役人たちをこう慮る。

「今の厚労省という役所は『日本最大のブラック企業』と言っていい。一般会計予算の三〇%が集中しているのに、職員数は全省庁の一〇%。つまり、小さな職場に膨大な仕事が課せられている。それがすべての元凶です。大臣でさえ、平均睡眠時間は五時間以下。職員はもっと働いて四苦八苦していますよ。だから次々とわけのわからない問題が出てくる」

厚労省には国の一般会計約九十八兆円のうちの約三十一兆円(一八年度)という莫大な血税が注がれている。これはロシアの国家予算に匹敵する。

職員は約三万一千人。全四十一府省庁の中で四番目の規模を誇るが、残業時間も一位。労働組合などの調査によると、月平均の残業時間(二〇一七年)は厚生部門が五十三時間超、労働部門が四十九時間。昨年(一八年)からの働き方改革で禁じられた「四十五時間」をゆうに超えている。過労死リスクが強まる「百時間超え」は四十二人(同年)もいたという。

理由はシンプルだ。

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少子高齢化で予算は、この二十年間で二倍に膨み、職員が背負う仕事量は右肩上がりで増えた。一方でIT化、スリム化、「官から民へ」など、いろんな口実で人員は削られ、十年間で六千人も減った。
 
人呼んで、「強制労働省」

霞が関にそびえる地上二十六階建ての庁舎の地下一階には大食堂やそば屋が並んでいるが、昼は混雑する。外食する暇も許されず、「毎日コンビニ飯」の職員も少なくない。不祥事が相次げば、雪だるま式に仕事は増える。「自殺防止のためにすべての窓枠を補強した」という噂さえ流れる。

それほどの過酷な環境なのだ。

民主党政権で大臣を務めた細川律夫(75)は在任中、庁舎内のすべての施設を巡回したことがある。職員向けの診療所を訪れた際、想定外の混雑ぶりを目の当たりにして戦慄が走った。

「職員は疲れている」

細川は見るに見かねて、職員の有給休暇の取得を徹底させる制度を直ちに導入した。幹部たちに一切根回しせず、大勢の職員を前にしたスピーチで、その方針をぶち上げた。

弁護士出身で、社会党時代から労働族の道を歩んだ細川は、ブラック化の要因としてあの標語を挙げる。

「民主党が『政治主導』と言い続けてきたから、野党相手の国会答弁はすべて大臣がやることになったわけです。厚労省は巨大官庁で所管事項が多い。野党から百五十問も質問が飛んでくる日もある。職員たちは徹夜で想定問答集を作って、私は当日の朝五時から国会内でレクを受けるんだけど、一問当たり三分で打ち合わせても九時の開会までに終わらない。昼の休憩時間におにぎりを食べながら続きのレクをやる。その後、夕方五時まで委員会が続く。あんな日々はもう二度と送りたくないね」

戦後、天下国家を語る、大蔵省や通産省、自治省、警察庁で働くトップエリートが、公務員志望の学生にとって憧れの的だった。厚労省は「ブランド」という面では今でも名門官庁の後塵を拝しているが、意識の高さでは引けを取らない。

しかし、社会正義に燃えて入省してきた若者を待ち構える現実は、パワーポイントとエクセルと睨めっこし、コピー機から出てきた資料を延々と封筒に詰める毎日を過ごす。

また、衆参にある厚労委員会の審議時間も他の委員会と比べて長い。二〇一五年の審議時間は三〇六時間、答弁数は三五八四件。経済産業省や農林水産省の二倍を超える。

職員は委員会の前日までに議員から質問内容を聞き取る。それが夕方以降にずれ込めば、残業が決定。担当部課に割り振られ、係長たちが作った答弁の原案に四~五人の上司が回し読みして朱を入れる。何度も直しては確認する作業を明け方まで繰り返す。その間、各党で連日行われる勉強会の資料も並行して作らねばならない職員もいる。

ここまでは他省も似たり寄ったり。

ところが、厚労省の場合、国会対応に加え、専門家や業界団体の代表が参加する審議会や協議会も省内で頻繁に開かれる。診療報酬の改定を決める「中央社会保険医療協議会」など、その数、十八。中央省庁で最も多い。

それは、前出の統計のプロや医師・歯科医の免許を持つ医系技官を始め、省内に専門職員が多いという内情も反映している。分野も多種多様で、専門性の高さゆえに部課ごとの壁は高く、閉鎖的になりがち。それが隠蔽体質の温床だという見方もある。

◆ムラが違えば他人事

弊する厚労省。
転機は、これまで三度あった。

まずは、二〇〇一年の中央省庁再編。戦後直後に分離した厚生省と労働省が再統合され、予算規模十八兆円、職員十万人の厚労省が発足した。

一九九〇年代、行政改革を進めた橋本龍太郎政権で首相秘書官を担っていた衆院議員の江田憲司(62)は言う。

「人生の大半を過ごす『家庭』と『職場』のセーフティーネットを一元的に見ることで、縦割り行政の弊害をなくし、穴や隙間のないトータルな人生設計を助ける。社会的弱者救済の視点から、厚生省と労働省の統合によって『国民生活省』を作ろうとする構想に反対はなく、実にスムーズに進みました。もめたのは、名称くらいですかね」

雇用福祉省、労働福祉省、社会省……。最終的には両省のメンツが立つという理由で今の名称に決まった。。厚生相経験者の小泉純一郎は当時、「長い。二文字がいい」と主張したが、最終的には聞き入れられなかった。

ゆりかごから墓場まで――。皇室も労働組合もカバーする。「マトリ」と呼ばれる麻薬取締官も、「ハローワーク」にいる労働基準監督官も厚労省の職員として働いている。守備範囲の広さは、厚生労働省設置法を読めば一目瞭然だ。

〈社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進並びに労働条件その他の労働者の働く環境の整備及び職業の確保を図ることを任務とする。(中略)前項のほか、引揚援護、戦傷病者、戦没者遺族、未帰還者留守家族等の援護及び旧陸海軍の残務の整理を行う〉(第三条)

これに続く第四条では、百一もの担当業務が羅列してある。

一億人の「命」の課題をたった三千人の本省職員と五人の政務三役(大臣、副大臣、政務官)が手分けして解決に取り組む。それが厚労省という役所なのだ。
 
統合から十八年(※執筆時点)。省庁再編以前のセクショナリズムも色濃く残る。

地方には厚生局(全国八カ所)と労働局(都道府県ごと)が併存し、人事も縦割りで、管理職ポストはいまだ旧厚生系と旧労働系に分かれている。また事務次官が旧厚生省出身の時はナンバー2の厚労審議官を旧労働省出身者から選ぶという「たすきがけ」も慣例化している。

しかし、ここ数年は三代続けて旧厚生が就いたため、旧労働官僚の間には不満が渦巻いている。最近の不祥事も旧労働系の事案が目立つ。

「今回のマイキン不正を始めた旧統計情報部も、旧労働から歴代の部長を出してきた部署なんです」(元統計担当者)

身内の不祥事とはいえ、「ムラ」が違えば他人事に過ぎない。シビアな格差も存在する。年金、医療、福祉を扱う旧厚生系は新規のビジネス参入や施設の建設などの許認可権も手中に収め、与党の族議員や業界団体とのつながりが深いことから、省の内外に「援軍」が少なくない。一方、旧労働の所管はそうした「うまみ」とは縁遠く、いざという時には孤立無援を強いられがちだ。

二回目の転機は、二〇〇七年に発覚した「消えた年金問題」だった。

厚労省といえば、

①薬害(サリドマイド、エイズ、肝炎)やハンセン病などの医療過誤や人権問題、

②原爆症や中国残留孤児を始めとする戦後補償問題、

③現職事務次官が逮捕された岡光事件や「グリーンピア」に代表される年金流用問題、

など汚職や天下りの体質が槍玉に上げられてきた。いずれも戦後日本の宿唖を反映しており、巨悪の実像は暴きやすかった。

だが、不祥事は変質している。

厚労省 不祥事一覧_page-0001

表を見てもわかるように、職員個人の怠慢や保身、能力不足から来るような破廉恥な問題が並ぶ。「大きな物語」とは程遠く、内部関係者でない限り、病根は見えにくい。

近年、こうした問題が国政選挙の結果をも左右するようになった。エポックになったのは「消えた年金問題」だ。

民主党がその問題を追及した二〇〇七年、安倍晋三が率いた自民党は参院選で惨敗し、「ねじれ国会」が生まれた。続く〇九年の衆院選では後期高齢者医療制度が民主党によって徹底的に批判され、厚労族の重鎮が軒並み落選すると自民党はついに下野した。

◆「安倍官邸の下請け機関」

労省のミスが与野党対決型の政局につながり、国会ではプロレス紛いの劇場型政治が行われる。国民が怒り出せば、業界団体までも離反し、政権の屋台骨を揺るがすーー。

こうした流れの予兆を、安倍晋三は早くから気づいていたようだ。

二〇〇七年の参院選直後、首相だった安倍は起死回生を賭けた内閣改造で「人気者」を厚労相に抜擢した。参院比例区で党内最多の票を得たばかりの舛添要一である。

昨年(二〇一八年)、古希を迎えた舛添が述懐する。

「年金問題で民主党から記者出身の長妻昭君が出てきて、野党とマスコミの連合軍が攻めれば政権を倒れそうな状況になった。ボロクソに叩かれるわけですから、従来のように族議員に厚労相を任せても太刀打ちできません。安倍さんは切羽詰まって、『舛添はテレビ討論によく出ているから、国会論戦にもマスコミ対応にも長けている』と思ったのでしょう。電話で入閣要請され、『今すぐ決めてくれ!』と急かされました。結局、安倍さんは腹を壊して私が就任した一か月後に退陣しましたが、福田康夫内閣で厚労相の職を留任して以来の衆院予算委員会では、安倍さんの目論見通り、『舛添vs.長妻』という図式がマスコミの関心を呼んだ。それ以降、私が動けば、どこまでも記者たちが付いてくるようになりました」

新型インフルエンザ、薬害肝炎訴訟、中国産餃子事件、年越し派遣村……。二年間の在任中、厚労行政の話が新聞に載らない日はなかった。百ページのスクラップブックは二週間ほどで一杯になったという。

厚労省に対する国民の目線が厳しくなるにつれ、大臣は役人との対決姿勢を強め、自らの指導力を誇示しようとする。野党議員も厚労省を批判すれば喝采を浴びる。地味な存在だった厚労委員会は、次第に「永田町の花形」へと変貌を遂げた。

一方で、与野党の激突で委員会が空転することもしばしば。急を要する法案でも審議が滞り、「決められない政治」の温床に。役人たちは終わりの見えない仕事に苛まれるようになった。

三つ目の転機は、安倍一強体制だ。

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