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「死ねない死者は夜に生きる」第13話(全14話)

 要はコンビニの駐車場の車止めに腰かけて、買ったばかりの肉まんに齧りついた。
 暖を取るならホットドリンクにするべきだったな、などと思いつつも、夜に食べる肉まんのおいしさにどうでもよくなった。

 ちらほらとコンビニを出入りする客に紛れて死せる者が徘徊している。満月にはまだ間があるせいか、誰も襲われる気配がない。要は死せる者と目を合わせないようにして、ランコが通りかかるのを待った。

 コンに残された前の世の記憶に気付いてしまったらじっとしていられなかった。数日はランコがまた離れに現れるかもしれないと思い、鍵を開け、『ヒガン考』を机上に出して待っていたが、どうやら一度の遭遇で懲りてしまったとみえる。
 それで以前も見かけたことのあるコンビニの前で待ち伏せているのだった。
 だが一向に現れる様子もない。

 肉まんを食べ終え、包み紙をごみ箱に捨てた時、一人の死せる者が目に留まった。姿勢を正し、身なりも小綺麗な女だ。そんな死せる者はまずいない。以前浜辺で蘭子と一緒にいたやつだとすぐにわかった。

 女はコンビニの横の薄暗い路地に入っていく。要は充分な距離をとって後をつけた。話が通じそうなら、蘭子に繋いでもらおうと思ったのだ。

 女は通いなれた道なのか、迷う様子もなくいくつかの角を折れ、一棟のマンションの前で立ち止まった。それから両膝を曲げて体を引き絞り、一気に五階まで飛び上がった。

「すげ……」

 死せる者の身体能力の高さは知っていたが、目の当たりにすると想像以上だった。
 要は少し道を戻り、五階のベランダが少しでも覗けないかとつま先立ちになってささやかな努力をしてみた。ベランダの様子を見ることはできなかったが、女の肩から上は見えている。どうやらサッシ硝子越しに室内を覗いてるようだ。

「なにをしてるんだ?」

 狩りではなさそうだし、あの部屋を真っ直ぐ目指してきたようなのに入るつもりはないらしい。かなり死せる者の生態を理解しているつもりだが、あの女の目的がなんなのかさっぱりわからない。

 ふいに女の肩がぴくりと上がった。そしてすぐさま振り返り、手すりに手をかけ、その手を跨ぐように両足も手すりに乗せた。カエルみたいなポーズで幅の狭い手すりの上で静止したまま、背後に首を回した。サッシ戸が開く。と同時に、女は五階から飛び降りた。

「うわっ!」

 思わず声が出た。
 確実に視えていることが露見した瞬間だったが、女は要のことなど見向きもせずにコンビニの方へと走り去った。

「咲! 待ってくれ、咲!」

 静かな夜の路地に響く声に振り向くと、先ほどのマンションの五階のベランダで男が身を乗り出していた。

「なんだあいつ。知り合いか? いや、だけど、あの男は生ける者だよな?」

 目を凝らし、男の姿を見て、ギョッとした。
 生ける者らしからぬ風貌だった。頬はこけ、眼窩はくぼみ、まるで死せる者のような。

 なにひとつ状況が把握できないにもかかわらず、なぜかいやな予感がして、要は来た道を走って戻った。
 コンビニを通り過ぎ、国道を渡り、浜辺に降りた。

 今のはなんだったんだ……。

 息が乱れているのは走ったせいだけではなかった。恐怖と不安と好奇心で動悸も止まらない。
 息を整えるため、ゆっくりと砂浜を歩く。凍てつく風に吹かれて、昂っていた気持ちがたちまち冷えていく。

 気付けば普段なら行かないほど浜辺の端の方まで来ていた。陸地側に国道はなく、崖が切り立っていた。崖の上には古めかしい洋館が建っている。洋館の海側は庭になっているらしく、腰の高さの柵が張り巡らされていた。そこに、黒いミニドレスの少女がいた。

 要は足を止めた。

「蘭子……」

 無意識に口をついて出た小さな独り言なのに、崖の上の蘭子の耳に届いたのか、しっかりと目が合った。

 夜の遠目なのに、蘭子が大きな目をさらに大きく見開くのがわかった。視線がからまってほどけない。その繋がったままの視線を辿り、蘭子がこちらへ向かってくる。岩山を上り下りする鹿のような身軽さだ。

 蘭子が要の目の前にやってくる直前、ザバーンとひと際大きな波音が響いた。波打ち際からは充分な距離があり、濡れることはないのに、頭から大量の冷水を被った気がした。ひらめきに似た鋭さで新たな記憶が蘇った。崖下での蘭子との対峙という状況が埋もれていた記憶と重なったのだろう。

 古い記録映画のように早いコマ送りで情景が流れていく。

 自分の躰からツンとした薬品みたいな臭いがしている。腰を曲げ、両腕をだらりと垂らし、血気を欲している。潮の香りを割って、ふわっと芳しい香りが鼻先をかすめた。極上の獲物だと直感した。香りに導かれ、浜辺の崖下に辿り着いた。目の前には横たわった少女がいた。白く柔らかな首筋に歯を立てる。が、期待したさわやかな甘さとは程遠い、すえた臭いと、酸味と苦みの強い、ひどい味がした。
「不味い。死んでやがる」
 死せる者だった自分は、新たな獲物を求めて少女を置き去りにしたのだった。


 要は砂の上に腰をついた。

 たしか『ヒガン考』によれば、還りし者になれない死せる者が生まれるのは、生と死の狭間で死せる者に襲われた場合。

 蘭子を襲った死せる者は自分だったのだ。永遠の死に閉じ込めたのは兄だった自分なのだ。
 急死した蘭子の兄。身内の血の匂いに誘われて襲ったのだと思うが、知性が失われていたため言語を持たず、ゆえに思考が整理されていない。だが、映像と味が蘇る。

 蘭子に告げるか?
 けど、それを知ってどうする? 余計に苦しめるのではないか?
 いや、蘭子のためを思っているふりをして、告白することで自分が恨まれるのを避けたいだけなんじゃないのか?

 わからない。わからない。

「お前、誰だ?」

 崖を駆け下りてきた蘭子が要の顔を覗き込んでいた。

「ぼ、ぼくは」

 言葉に詰まると、蘭子がふっと笑った。

「やっぱりな。お前、井口の家にいたやつだろう? あの時も私のことが視えていたな?」
「うん……あ、いや……」

 もはや視えることを隠すつもりはなかった。だが、伝えるべきことが多すぎて、その順序や取捨択一が追いつかない。

「まあいい。お前を狩るつもりはないから安心しろ。武雄の所縁のものだからか、他人という気がしないからな」
「あ、ありがとう」
「いや、もしかしたら礼を言うのは私かもしれない。お前は孤独を知らないだろう。今の私は唯一の仲間というべき者を失いそうになっている。やっと出会えたというのにだ。だから、生ける者でもかかわることができて嬉しいのだよ」
「僕だって孤独だ。君たちのことが視えるせいで社会に馴染めない」

 つい、誰にも言ったことのない恨み言を吐いてしまった。

「視えることくらいなんだ。言わなきゃわからないだろう。人と交わるすべがありながら孤立を選ぶのではなく、選ぶ余地もなく独りであることを強いられる。独りであることを好む者でも、それが自ら選んだものか押し付けられたものかで心境は変わる。独りであることが問題ではないのだ。選択したかどうかが問題なのだ……ん? どうした?」
「え?」
「泣いてるぞ」

 手のひらを頬にあてると濡れていた。涙のわけに思い当たる節があった。

「じいちゃんの口調だ」
「私か? ああ。武雄と出会うまでは、長年、誰とも口をきいていなかったからな。武雄の話し方で言葉を覚え直したせいだろう」
「蘭子の中にじいちゃんは生きているんだな」
「ふんっ、詭弁だな。そんなわけあるか。けどまあ、お前がどう思おうと勝手だ。そうやって自分が心地いいように思い込みたいのもわかる」

 これが前の世で大切に思っていた妹。自分のせいで永遠に死に続けることになってしまった妹。

 蘭子は気づいていないようだった。兄だった頃とは姿も年齢も異なるのだから無理もない。

 今、かつての繋がりを明らかにしたところで、要はいつかまたこの生を終える日が来る。また蘭子を置いていくことになる。
 僕は、僕と蘭子の繋がりを告げないことを選ぼう。僕の過ちで苦しむのは僕だけでいい。贖罪として、生ある限り、ランコと咲に尽くそう。要は、そう心に決めた。

 今の蘭子には同じ時間を共有できる者がいる。二人を見守ることが贖罪になればいいのだが。

「蘭子。君の相棒が面倒なことになっているかもしれない。そして、たぶんもう時間がない」
「なんのことだ。詳しく話せ」

 蘭子が顔を近づけてきた。生ける者と変わらぬ姿だと思っていた蘭子に、小さな牙が生えていることに初めて気づいた。オゾン臭の向こうに懐かしい匂いを感じながら、要は見てきたことから推察される事柄を話した。


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