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「死ねない死者は夜に生きる」第9話(全14話)

 黒いミニドレスの少女が外へ飛び出していったのを確認すると、かなめはすぐさま硝子格子戸を閉めた。捻締り錠もきつく締め、カーテンも隙間なく引いた。そうして、ようやく安堵した。

 目が合った瞬間は、体の芯が凍るように冷えたのに汗が噴き出した。まさか自室に死せる者が入り込んでいるなど思いもしなかった。動揺を悟られないように、とっさにタオルを被り、髪を拭くふりをしたおかげで誤魔化せたらしい。

 部屋には死せる者の匂いが残っている。静電気が起きた時のような、プールの消毒用塩素のような。たしか祖父は、この死せる者の匂いをオゾン臭と言っていた。実際にオゾンを発生させているのかどうかはわからない。だが、死せる者はもれなくオゾン臭、もしくはオゾンに似た臭いをまとっている。

 戸を開けたせいで濡れたままの髪が冷え、思わず身震いをした。急いで押入れの下段からドライヤーを取り出して髪を乾かし始める。

 こんな季節にわざわざ冷たい夜風を浴びたいわけがない。室内に紛れ込んだ虫を外へ逃がすように、死せる者を追い払っただけだ。あの少女はほかの死せる者より知性があるようだから、要の不自然な挙動に気づくかと思ったが、大丈夫だったみたいだ。部屋に入ってすぐ、目が合った時はあせったものの、すぐに髪を拭いて誤魔化したおかげで、要が視えることには気づかなかったのも助かった。

 髪を乾かし終えた要は、机の前の椅子に腰かけた。それから机の一番上の引き出しから紙の束を取り出し、目の高さに掲げた。表紙の題字を眺める。

『ヒガン考』

 祖父の書き付けだ。亡くなる直前に譲り受けた。このことを両親はもちろんのこと、祖母も知らない。それどころか、要が死せる者が視えることも知らない。そもそも死せる者などいないと思っているに違いない。

 要は『ヒガン考』のページをぱらぱらとめくり、目に飛び込んできた文字を読み上げる。

「……蘭子」

 あの少女の名前だ。といっても、少女なのは姿だけだ。生年はおそらく、昭和の初めか大正の頃。祖父が昭和二十年代の生まれだから、それよりも前に命が尽きたとすればそんなところだろう。
 祖父によれば、死せる者の中で意思疎通をはかれるのは蘭子だけだ。

 祖父のいない今では、ヒガンの存在を知る生ける者は自分一人だ。
 シガンで生きていく上で、ヒガンなど知らなくても支障ない。むしろ知らない方が幸せに決まっている。わかってはいるが、その事実を誰とも共有できないのは耐え難い孤独感だった。

 祖父は、要をかわいがった。孫というだけでなく、同士だからだろう。要の方も、自分と同じ世界を視ている祖父の存在に救われていた。

 祖父が亡くなって七年になる。いまだ要は、自分が「視える」ことを誰にも言えずにいた。祖父に対する周囲の態度を見てきたのだから当然だ。妻である祖母も、子である要の父も、叔父も叔母も、親戚一同、近所の人さえ祖父を変人扱いしていた。変人扱いならまだマシな方で、歯に衣着せぬ言い方をするならば胡散臭い危険人物と見做していた節がある。

 それも致し方ないとも思う。要も小学生の頃は、周囲の祖父に対する視線を敏感に感じ取り、その理不尽さに怒りと悲しみが溢れていたが、祖父が亡くなって周囲が落ち着きを取り戻し、また、要自身が十五歳という年齢になって、世間から見た「視える人」がいかに怪しいか理解できるようになった。

 それはたぶん、視えないのに視えているふりをする人がいたり、本当に視えていてもそれを証明し納得させるだけの証拠がなかったりするからだ。人は、知らないものを警戒する。理解できないものを排除したがる。それもわかる。生存本能のひとつなのだろう。

 十五歳の要にわかるのだ、祖父にわからなかったわけはないだろう。それでも視えることを隠さずにいたのは、祖父の強さなのだと要は思う。要にはとても真似できない。祖父は体が弱かったが、心は強かった。

 あるいは、祖父は生ける者のことなど気にしていなかった可能性もある。シガンとヒガンが重なり合う世界を知ってしまったら、親戚や知人の視線などちっぽけで、棘ほどの痛みにすらならなかったのかもしれない。そうでなければ拝み屋のようなことまでするはずがない。

 要が物心ついた頃には、すでに祖父は除霊や心霊相談をする拝み屋として知られていた。とはいえ、自ら看板を出したわけではないという。それは本当だろう。祖父は視えるというだけで、なにかができるわけではない。霊媒師でもなんでもないのだ。視えることを隠さなかったために、周りが勝手に祖父を拝み屋に仕立て上げたのだ。

 だが、家族や親戚にはそれがわからなかった。ただひたすらに困った身内として扱っていたように思う。祖父の死は、天寿を全うしたというには早すぎたが、要の目には、親族の誰もがどこか安堵していたように見えた。

 思い出しても悔しさがこみあげてくる。思わず拳を握る。紙の折れる音がして、はっと我に返り、握りしめた手の力を緩めた。手の中の『ヒガン考』に絞ったようなしわがついている。

 そうか、と思い至る。
 蘭子がいたからだ。祖父には蘭子という理解者がいたから、ほかの誰にも理解されなくても強くいられたんだ。

 要もそうだった。祖父という理解者がいた頃は、ほかの人とは異なる光景を目にしているとわかってからも不安や疎外感を感じなかったのだ。幼かったために、多少周囲が理解できないことを口走ったとしても、子供の戯言だと思われて色眼鏡で見られずに済んでいた部分もあるだろう。実際、小学校では「霊感があるやつ」として同級生から一目置かれていた。だから隠すこともなかったのだが。

 中学では一転した周囲の反応を思い出して、要は下唇を噛んだ。強く噛みすぎたのか、口の中に鉄臭い血の味がじわりとにじみ出た。

 要の心に、祖父に対する新たな感情が生まれていた。羨望だ。
 僕もほしい。自分を残して逝ってしまうことのない理解者が。
 蘭子と親しくなりたい。
 自分の心と素直に向き合って出た答えは、今初めて生まれた感情ではないことにも気づいた。

 そうだ。僕はずっと蘭子に興味があった。今に始まったことではない。祖父の存命中から興味はあった。

 祖母や両親は、要が祖父のいる離れに近づくことを快く思っていなかった。それは幼いながらに要も感じていた。だが要は、まだ他人の感情を推し量れない子供のふりをして、無邪気なおじいちゃんっ子を演じていた。
 祖父のことは好きだったから、完全に演技というわけでもない。どちらかといえば、子供らしい演技をしていたというべきだろう。
 いずれにせよ、祖母も両親も、孫が祖父を慕うのを干渉することには迷いがあったとみえる。ただ、この家を訪れた際は、要が離れに入り浸るのを禁じられたことはなかったと思う。
 そうやって離れに出入りしていた際に、祖父から話を聞いていた。親しくしている死せる者がいるということを。

 とても信じられなかった。生ける者と変わらない知性がある者がいることも、祖父が死せる者と交流を持っていることも。
 要も自宅周辺の死せる者を見かけるのは珍しいことではなかった。けれども祖父の家の辺りの死せる者と遭遇することはなかったから、当然蘭子の姿を視る機会もなかった。死せる者は夜しか現れないのだから、当然のことだ。要の家はここから随分離れていて、たまに訪れても泊まったりはしなかったから。

 当時はまだ蘭子の姿を見たこともなかったにもかかわらず、要にとっても妙に気にかかる存在だった。蘭子は祖父と交流があるからとか、特別な死せる者だからとか、そういう理由だけではない。不思議なものだ。

 そしてその興味は、この半年ほどで更に強くなった。

 半年前といえば、要がこの家で暮らし始めた頃だ。
 要は中学一年の途中から学校には行っていない。霊感少年と揶揄されたのが不愉快で数日休んだら、どういうわけだか学校に向かおうとすると頭痛や腹痛を起こすようになり、行くに行けなくなった。気分転換にしばらくおばあちゃんちにでも行ってみたら、と両親に勧められて来たのだった。

 ここには知り合いもいないから気楽に外を歩くことができた。夜にそっと抜け出して、国道沿いのコンビニや浜辺に行くこともある。満月の夜ほどではないが、死せる者がちらほらと徘徊していた。
 死せる者は巻き肩で猫背、両腕は脱力して揺れている。腰を釣り上げられているかのような姿勢で、かつて服だったものの名残の布切れが体に引っかかったままという有り様だ。

 その中で、黒いミニドレスに身を包んだ少女は目を引いた。服装のせいだけではない。薄い肌の色、茶色の強い瞳、明るい茶色の髪、その容姿は、黒くフリルがふんだんについたワンピースドレスと相まって、西洋人形のようだった。

 ひと目でわかった。それが、蘭子なのだと。

 いずれ学校には行かなくてはならないと思っている。ヒガンや死せる者の話さえしなければいいのだとわかっている。

 死せる者は日中に活動することはないし、日が暮れるまでは彼らの存在を意識することもない。日中、要の目に映る世界は、ほかの生ける者とまったく同じ世界だ。視えないふりなどする必要もない。自分に嘘をつく必要もない。ただ話題にしなければ済むこと。簡単なことだ。

 死せる者は、闇に潜み、通りかかった人から必要な養分を得る、やぶ蚊みたいなものだ。一度に大量に食われることがなければ命はもとより健康にも影響はない。死せる者などいてもいなくても構わないし、その存在を多くの人が知るべきだなどとは微塵も思わないから、他人に触れ回るつもりはない。

 だけど。

 自分にとってあたりまえの日常が誰とも共有できていないのは、まるで自分だけ異なる世界に存在している気分になるのだった。視えているかいないかだけの違いで、ヒガンが存在していることに変わりはないのに。

 ヒガンだけではない。要にも視えないところにだって世界はある。ヒガンに棲むのは死せる者だけではない。還りし者もいる。

 生ける者のほとんどは、死の迎え方によって死せる者と還りし者に分かれる。死せる者は魂魄こんぱくのコンとハクの両方を備えており、還りし者はコンしか持たない。『ヒガン考』によれば、コンとは魂魄の魂で精神を支える気、ハクとは魂魄の魄で、肉体を支える気、とあるから、還りし者とは実態を持たないのだろう。少なくとも、要は視たことがないし、祖父からも還りし者について聞かされた覚えがない。

 おそらくヒガンには、還りし者の方が圧倒的に多い。いわゆる輪廻転生の流れに乗った者たちだ。死を迎えて一定期間をヒガンで過ごすと新たな生を得て、生ける者としてシガンに送られる。自分もそうやって幾度となくシガンの岸に流れ着いたコンなのかと思うと不思議な気分になる。

 シガンに棲みながらヒガンの一部を視ている要でも、視えないものは多い。だから、自分の視ている世界の存在を認めてほしいなどと思っているわけではない。そこに在る、ただそれだけの現象なのだとわかっている。

 どうしたいわけでもない。どうなるものでもない。わかっているのに、次の一歩を踏み出す地面が見えなくて、片足を上げたまま下ろす場所をずっと探している。

 そして日が落ちるとヒガンの光景を眺め、今立っている場所を確かめずにはいられない。

 ただし、満月の夜はコンビニには近づかないことにしている。誘蛾灯に集まる虫たちのように、死せる者がコンビニの明かりに吸い寄せられてくるからだ。正確にいうならば、コンビニに吸い寄せられる生ける者に吸い寄せられる死せる者、なのだが。

 襲われたところで害はないとわかってはいても気分のいいものではない。襲われないに越したことはない。

 だから満月の夜は死せる者の群れから離れた場所から眺める。それでも蘭子の姿はすぐに見つけられる。

 そういえば、と初秋のできごとを思い出した。初秋の、薄月夜のことを。
 あの溺れた人はどうなったのだろう。助かっただろうか。
 雲が多い晩で、そのせいか狩りをする者も少なかった。たしか、要は国道のガードレールに腰かけて浜辺を見下ろしていた。
 目を閉じ、あの夜の光景を瞼の裏に映し出す。すると案外詳細に覚えていた。

 薄雲に覆われた月が朧げに灯っていた。その淡い月光のもと、蘭子が浜辺を歩いていた。目的があるわけではなさそうで、飲み込まれそうな波の轟音の中をゆっくりと散歩しているようだった。
 蘭子は歩みを止め、薄雲に覆われた星々の代わりのように瞬いている、湾の対岸の明かりを眺めたりした。
 それから、すいと伸びた手が宙に浮かぶなにかを捕まえるかのように握られた。何が見えていたのかはわからない。だけどそこに存在するものではなかったらしく、開いた手のひらには何も握られていなかった。

 風が鳴る。雲が流れ、月があらわになり、波頭が白く光る。
 間を置かずして、単調だった波音に乱れが生じた。
 蘭子は、音につられて岩場に顔を向けた。

 砂浜の一端は磯になっており、その岩場の先で波を乱す水音が聞こえたのだった。波音に紛れるかすかな音ではあったが、空耳ではない。車の通行が途絶えていたこともあって、要の耳にも届いた。

 岩の影になって月の光が届かない場所があった。遠目にも、その黒い波間から光る杭のようなものが突き出しているのが見える。光るように見えるのは、薄月の明かりに照らされているだけで、それ自体が発光しているのではないのかもしれない。
 光るものの正体を近くで見極めるべく、蘭子はゆらりと磯へ向かって歩み始める。
 杭は波が打ち寄せるたびに揺れ、浮沈を繰り返し、やがて消えた。とぷんと音が聞こえそうな沈み方だった。
 蘭子は疾風のように夜を走り、光る杭を追って波間に身を沈めた。

 寸刻の後、蘭子が浮上した。人の形をしたものを抱えている。光る杭と見えたものは人の腕だったようだ。
 蘭子の腕の中で、おもてと腕が月光に白く浮かぶ。ガクリと折れた首筋は一段と映えている。その白い首筋に、蘭子が覆い被さる。抱き締めているのか、耳元で声をかけているのか、要のところからではよく見えない。

 風が吹く。流れてきた厚い雲が月にかかると、夜の海は再び闇に飲み込まれる。二つの人影も闇に紛れ、後には荒ぶる波音だけが残された。

 あの人は助かったのだろうか。それにしても、蘭子が人助けをするとは意外だった。しかも生ける者を。祖父の言う通り、生ける者のハクを持った死せる者なのだと思った。

 やはり、蘭子と話してみたい。そのような機会がまた訪れるだろうか。

 要は『ヒガン考』をそっと机の引き出しにしまった。


次話↓


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