メモ的に:自分で自分の面倒を見ること。

自分で自分の面倒をみる技術|週末セルフケア入門|鎌塚 亮 @ryokmtk

今日まさにこういったことを考えながら帰ってきたので、こういったこと、というのは、男性のセルフケア、ということなのですが、あまりにもタイムリーなのでフォローさせていただきました。

この頃まとまった内容のことを書く余力がなくて、今も目だの頭だの痛みが激しくてしかも吐き気、という状態なのでメモ的な短さに留めますけど、今日帰りながらつらつらと考えていたことは、セルフケアを怠ってきた、というか、当然のように周囲の女性たち(妻かもしれませんし娘かもしれませんし部下だったのかもしれません)の役目と思って疑わずにここまで=人生の晩年まで来てしまった男性の、末路、みたいなことです。

ここでわたしが言うセルフケアとは、自分で自分の面倒をみる生活能力、および周囲の人たちに気持ちを伝えたり話を聞いたり意見の調整をしたりといったコミュニケーション能力を指します。というか、そのように考えながら帰って来ましたが、もっと多くのものを含むのかもしれません。

ともあれ、そういった能力を訓練することなくむしろスポイルさせてここまできた高齢男性たち、彼らはそういった部分を甘やかしてケアして汲み取って引き取ってくれる女性がいないと(具体的に言うと、妻を欠いた男性たちだったのですが)本当にかなしいことになっちゃうんだなと、寒々しく痛感するような例を聞くことが続きました。

どういうことになっちゃうかというと、自己のケアもできず、それでも当然自分はケアされて当たり前だという常識から抜け出せず、怒りと苛立ちと不機嫌で一杯になって、でもそれをコミュニケーションによって解決することもできず、むしろ自分の存在感を示すために余計嫌われるような言動をし続ける、そんな感じです。そんな感じなんだな、とわたしは思いました。(こういうふうに考えられるのは距離を置いた第三者だからで、身近な人たちからはほんとに嫌われます)

じゃあ当然にケアしてもらえればそれで解決なのか、というとそうは思わなくて、わたしは、人生80年近くを費やしてきて、集大成がそれなのかと、何をせずとも何を言わずとも自分の身体も感情もすべて女にいい具合に整えてもらうこと、それが人生のゴールであっていいわけないでしょう、と、それが人生の総決算であるとしたら、とてもかなしく切なく思うのです。

大人、というのは、他人に適切に頼ることも含め、自立して生きることのできる人のことだと思うのですが、わたしたちは子供時代からずっと、大人になろうと頑張ってきただろうと思うからです。たとえ、うまくできずに葛藤したとしても。

誰のために、と言えばわたしが見ているのは、その怒りや苛立ちや不機嫌を受ける立場の女性たちなのかもしれませんが、それでも男性たち自身のために、と言っても、あながち嘘や偽善心でもないと思う。これからの男性方は、誰でもないご自身のために、自分で自分の面倒をみる力を、育てていって欲しいと切に願います。というか、願いながら帰って来たところでした。

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※男性のことを取り立てて言うのは、女性は社会からずっと「ケアする側」の役目を負わされてきたからです。女性も自分で自分の面倒をみられなくなることはありますけど、男性のそれはちょっと違う。男性のそれが引き起こすコンフリクトには必ず、「当然自分の面倒をみるべき存在=女がそれをしない」という怒りが含まれていると感じます。そして「面倒をみる」にはコミュニケーションを取ることも含まれているため、男性側からのコミュニケーションが期待できず、余計解決が難しいです。

※最近、仕事が終わったら頭もオフにしなきゃダメだなあ、と感じているのですが、なかなかできません。難しいね。難しいなあ。

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