桜の花と桜の木、桜の根っこ。【後編】
※ この記事は、「前編」のつづきです。
はーるがき~~た~
はーるがき~~た~
どーこーにーきた~ ♬
やーまにき~~た~
ラーラララ~~ラ~
・・・・・・・・・っきた~~ ♫
いいのよっ!💨💨
こういうのは気分なのよ。
き ・ ぶ ・ ん 🧡
ということで、前回の記事、
では、タヌキさんのアレコレで、速やかな桜観賞レポートが完結しませんでした(笑)
あらためまして、
桜の木を撮影したくて、地元の農業公園 「夢やかた」にて、
" 枝垂桜(シダレザクラ)" を見に、はるばるとやって参りました。
お空は薄曇り、「花曇り」でございます。
毎年この時期になると、お花見客で賑わい、
そりゃぁもぉ、お祭り騒ぎなのですが、
今年は、事情により、やはり閑散としております。
この「夢やかた」周辺では、キャンプ場もありますし、
明神山へ登山される方もいらっしゃいます。
山奥なので、道に迷って、たどり着いてしまったかたもおられます。
ですが、今年は、ガランガラン。
ガランガラン・・・。
あれ??
人、いらっしゃいますね。
って、今まで気づかないわけないですよね(笑)
じつは、まさかの・・・
案山子(かかし)です。
ここにいるのは、タヌキさんと、
大勢? の案山子。
人間である私がここにいるほうが、
場違いな気がしてならないわよ・・・・
今年は仕方がないですね💦💦
来年からは、多くの花見客でにぎわいたいものです。
そう、きれいな桜の花を。
ところで、桜は、
花を咲かせたその姿に、多くの人が関心をよせます。
ところが、春以外の季節だと、誰も関心を寄せたりはしません。
これは、数ヵ月前に、主人が明神山の麓で撮影した写真なのですが、
手前は、桜の木です。
蕾(つぼみ)もつけていない、ただの「木」です(笑)
多くの人は、美しくキレな桜の木であったとしても、
その姿がただの「木」だと、誰もがほぼ、無関心。
真横を通ったとしても、スルーですよね。
道路沿いの桜木も、公園の桜木も、あそこの桜木も、
「木」だけだと、ほとんどその場を通り過ぎるだけではないでしょうか?
いえ、もちろん、木マニアの方に言わせると、
ナチュラルな自然の風合いと、どっしりとした佇まいとかに魅力があふれているのかもしれませんが。
それとですが、春になって、あまり行きつけないところの桜の花が咲いているのを見ると、こんな風に思ったことってありませんか?
「へー、この木って桜の木だったんだー」って。
春の季節になると、桃色の花を咲かせるので明らかに桜だとわかるのですが、春以外の季節は案外桜の木だと気づいていないことってありません?
私だけでしょうか(笑)
毎日見ているはずの木でも、花が咲いているのを見て初めて、
その木が「桜の木だった」ということに気づくの。
・・・・・・・・
ビックリしたー!
何が言いたいのかというとね、
「花」が咲いたら気づくけど「木」だけでは気づかない
ってことをいいたいの。
もっと言えば、「花」が咲いたら立ち止まって見るけど、
「木」だけでは素通りしているってこと。
桜の木なら、もしかしたら「この木は桜の木だ。」と分かるかもしれませんが、桜以外のお花のだと、どうでしょうか?
花を咲かせていない「木」だけだと、やはり何の木なのかわからないのではないでしょうか?
私はそれなりにお花が大好きで、いろんな花や木に関心があるのですが、
専門家ではない、にわかガーデナーでございますので、
さすがに「木」だけだとそこから何が咲くかまでは、わからないことがほとんどです。
むしろ、お花にあまり関心がない人だと、「木」そのものに意識を向ける人は少ないですよね。
「木」だけだと、ほとんど無関心。
(「木マニア」の方は別ですが…)
この度、曇りがちの薄明るい花曇りの日に、
シダレザクラを撮影に来たのですが、人はだれもいらっしゃいませんでした。
事情によるのではありますが、桜の花であったとしても、春以外の季節では「木」だけだと、桜の木に誰も関心をよせません。
この「夢やかた」は春以外でも多くの方が、キャンプにこられたり、登山にこられたり、おいしい「夢乃そば」を召し上がりにこられたりするので、地元だけでなく、県外からもたくさんの方がいらっしゃっております。
たっくさんの方々がいらっしゃてはいるのですが、桃色の花を咲かせいない桜の木には、おそらく誰も関心を寄せずに通り過ぎるだけでしょう。
なんだか、寂しいとはおもいません?
これまた、私だけでしょうか?
じつは、これって「人」も同じなのではないでしょうか。
ちょっと、桜の撮影レポートはここで終わらせていただいて、
私が今日、桜に気づかせられたことを聞いてやってもらえるでしょうか。
あなたが、仮に桜の木になったとしましょう。
桜の木になってください。
幼稚園や保育園での劇の発表会で「木」の役になったつもりで(笑)
季節は真冬。
あなたは「木」のみの姿で立っているだけなので、通りすがる人に素通りされてしまうでしょう。
つまり、「花」がないと振り向いてもらえない。ということです。
あなたは、「木」です。
何もしゃべらないで、心の中で思っているだけでただその場で立っているだけの「木」です。
つまり、「木」とは人にたとえると、
「想い」です。「木 = 想い」
「想い(= 木)」だけを心にしまったままでは、誰も気づいてはくれないということです。
そして、「花」を人にたとえるならば、
「言葉」です。「花 = 自分の言葉」
ただ立っている木ではなくて、「私は〇〇の木です」と、
「自分の言葉( = 花)」で主張する。
「自分の言葉( = 花)」の存在によって初めて「想い(= 木)」そのものを認識してもらえるのです。
人に気軽に質問したり、頼み事を相談したり、誰かを頼ることが出来ない。
他人に相談した方がいいとは分かっていても、なかなか人を頼れないと辛いですよね。
一人で抱え込みやすい性格だと、どうしても「自分を守る」ことが出来なくなりがちです。
人はストレスから逃げるという選択肢をなくした時、精神的に追い詰められます。
どれだけ「木=想い」があっても、それが「花=自分の言葉」になっていなかったら相手には伝わらない。
「木=想い」だけでは伝わらないから、「花=自分の言葉」が必要。
「想い」は「言葉」にしなければ伝わらないのです。
なので、あなたの想いを自分の言葉で発することは、桜の花のように、だれもが関心を寄せてくれます。
わかる? タヌキさん。
ですが、勘違いをしてはいけないことがあります。
自分の想いを伝えるには、言葉にすればいいというのなら、初めから言葉にすればいいのでは?
って思いますよね。
ですが、桜の木が生成される順番は、
根っこ → 芽 → 幹 → 枝 → 葉 → 花
そう、「花」は一番最後に咲くのです。
あなたがもし、「花=言葉」だけを先に放つとどうでしょうか?
そうですね。口先だけ、見栄えだけの人になってしまいますね。
「花」から作ろうとすると、「見栄え」ばかり気にしてしまったり、
その場しのぎの「デマカセ」しか話せなくなってしまうわけです。
なので、最も大事なのは、「木」。
特に、根っこ。
たとえ誰も気づいてもらえない「木=想い」の姿であったとしても、
根っこの「信念」がしっかりしていないと、自分の言葉に「ブレ」が生じてしまいます。
春に咲く「桜の花」はホントにキレイ。
どうしてあんなにも、整然として美しい花を咲かせ、わたしたちの心を平穏にしてくれるのだろうか。
それは、開花期意外の季節で、木の根っこ、芽、幹、枝、葉によって、じっと守り続けてきたからですね。
あなたは、花を咲かせることができるはず。
あなたはあなたの言葉を誰かに伝えることができるのです。
あなたは、まだ、誰にも気づいていない「木」なのかもしれない。
あなたは、まだ、何者でもないのかもしれない。
だけどそれは、今から何でもできるということ。
あなたの根っこは、あなたが思っているよりも弱くはない。
とまぁ、こんなことを教わった気がするの。
不思議なものね。
いつも桜の前では、素直な気持ちになれる。
あなたもそうじゃないですか??
いい、ひとりで、抱えれば悩み。話せば笑い話なのよ。
今回も、最後までお付き合いいただき
本当に、ありがとうございました。
行こう。 前向きで、いこう ─── 。
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