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なぜ泊まれる文化財を扱うのか

単なる興味と趣味だけならば、とっくの昔に飽きているかもしれない。
今も続ける理屈をひとことにまとめれば、自分の将来のためである。

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この頃国際的に「豊かな国 日本」という幻想が崩れ落ちていくのを感じる。
ほとんどは政治に対する失望でもあるのだが、この国は今後どうやって続いていくのか、そんな展望すら持てない。

そんな中で、文化に関してはまだ未活用の領域が多いように感じる。
古来民族の入れ替わりもなく島国として存続し続けている日本は、あるものすべてがそのまま観光資源になりうる。国家や民族ではなく地理的に「日本」と認識されているのも大きな強みである。

観光業で特徴を出していくならば、日本文化を活かしたサービスが求められる。そのうえで、観光に携わる様々な分野の中で最も文化を反映しやすいのは、宿泊ではないだろうか。滞在時間が長いうえに、接待から食事、そして場が揃うところはそう多くないのだ。

さて、そもそも文化とは何か、と訊かれることも多いが、実態が掴めないことこそが「文化」だと認識している。グローバル化以前から地理的背景、歴史的背景があって必然的に存在し続けているもの全て。
つまり、何気なく昔のまま残り続けているものである。逆に、変に「日本文化」を解釈して手を加えているところは、その背景が薄いために持続性があまり期待できない。

変に解釈が加わっていない、そのまま残されている宿泊施設。
これこそが「ときやど」の、限りなく曖昧な定義である。

変に「日本文化」とか言って手を加えすぎるのではなく、そのままの姿の文化を伝えていくことが、本当の文化継承であると思う。昨今は文化を雑に消費しすぎで、そして長期的にみれば破壊している。地球温暖化と同じで、文化にも変化はあって当然だが、その速度が大きすぎるのだ。

「泊まれる文化財」を自発的に存続させることで、必然的で安定的な観光業の軸を作り出し、将来の日本を少しでも潤していきたい。
その思いのもと、ながらく活動している。


勿論はじめは興味が入り口だったので、この理屈は結果論だと言われればその通りである。周囲の人々の共感と協力によって今の状態が作り出されたことに、常に感謝しなければならないと思う。


泊まれる文化財情報サイト「ときやど」

情報発信の場「建築学生の呟き」
https://twitter.com/rninopon

著書『お宿図鑑』

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