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「束縛コミュニケーション」の背景にあるもの

前回のnoteでは「子供自身に考えさせるコミュニケーション」について述べました。続いて、親子間のコミュニケーションがないがしろにされたまま大人になった場合に起こりうる事例について、述べてみたいと思います。

弊社で携わる患者さんたちは、その時点で、家族以外との接点がない状況がほとんどです。そして家族とも、暴力や暴言、束縛、依存による関係になっているため、とても健全とはいえません。

家族が暴力を振るわれて身の危険を感じていたり、金銭の無心など経済的負担が限界という、のっぴきならないご相談もあります。しかしそれ以外で親御さんが困窮し、「もう本人のサポートはできない」とおっしゃる要因に、「思考や行動の切り替えができず、依存的もしくは強迫的に同じことを家族に訴える(行動する)」ことがあります。ここでは「束縛コミュニケーション」と名付けてみます。

束縛コミュニケーションは家族を疲弊させる

「束縛コミュニケーション」について、親御さんの言葉を借りると、「同じ話を何度もする」「要求が通るまで執拗に絡んでくる」「仕事中や就寝中など、時と場所をわきまえずに用事を言いつけられる」「常識的な話が通じない」……などがあり、家族の生活も脅かされています。

そこに、発達障害や強迫性障害といった病気が隠れていることもあります。しかし適切な治療につながっていなければ親も対応がとれず、単に「しつこくされてウンザリする」→「ウンザリしているのを子供に見抜かれ、ますますしつこくされる」→「断るのも面倒になり、何でも言うことを聞くようになる」→「要求が激しくなる」という負のループを辿ることになります。

ところが、弊社が介入して本人から話を聞くと、家族が感じていたこととは裏腹に、「親に話を聞いてもらえなかった」「やりたいことをさせてもらえなかった」「自分だけが我慢してきた」などと言うことがあります。

親御さんにしてみれば驚かれることでしょう。しかし本人からよく話を聞いてみると、あながち嘘をついているわけでもありません。本気で、「自分は言いたいこともやりたいことも我慢している」と思っているのです。

これは私たちに対しても同様で、本人の言葉通りに受け止めているのに、あとから「そんなことは言ってない」「そういう意味で言ったんじゃない」などと言われることがあります。

社会経験がない(少ない)方も多く、30歳を過ぎても、「どうして」「なんで」「わかんない」などと単語だけで会話をする方もいます。それでいて、「あれをしたい」「これをしたい」という主張はとめどないので、このバランスの悪さもまた、支援者など第三者から敬遠されてしまう理由です。

こういったコミュニケーションの背景に何があるのでしょうか。

束縛コミュニケーションを生む家庭環境

「束縛コミュニケーション」が起きてしまう主な要因として、以下の二つが大きいように思います。

① 言いたいことがうまく言語化できず、本心が伝えられていない
② 言葉による心のやりとりを知らず、物のやりとり(要求)がコミュニケーションの要だと思っている

そして、病気などが原因で言葉の発達が遅れている場合を除き、いずれも幼少期に親子間のコミュニケーションが少なかったことがうかがえます。以下に、具体的な例を挙げてみます。

・「言いたいことを言える」環境ではなかった
親が子供を抑圧している家庭で起こりがちです(詳しくはnote「♯035 子供を追い込む親たち」もお読みください)。また、夫婦仲が悪いなど親自身がさまざまな不満を抱えており、家庭内に会話がない、親が子供に愚痴ばかり聞かせている、ということもあります。子供は常に親の顔色を伺い、本音を言うことができないのです。

・親自身が気持ちを言葉にするのが苦手で、第三者との関わりを好まない
弊社への相談では、親御さん自身が気持ちを言葉にするのが苦手……ということも多くみられました。仕事や最低限の近所付き合いなどはこなせるため一見すると分かりにくいですが、実は、本音で話せる友人もおらず、悩みをずっと抱え込んでいた、ということもありました。子供が外部との関わり(習い事や子供会への参加など)を求めても、親が億劫に思い、制限してしまうようなこともあります。

・言葉ではなく物のやりとりが中心
子供の喜怒哀楽を表出させるきっかけが、対話ではなく、「物を与える」ことが中心になってしまっています。たとえば、子供を喜ばせたり、楽しませたりするために物を与える。逆に怒りや悲しみを鎮めるために物を与える、という構図です。最近はとくに、「スマホ」や「ゲーム」をあてがうことで、無自覚のうちに対話を省略している親御さんも多いです。

・親が先回りして、子供の気持ちを代弁している
「この子はこうだろう」「こうしたほうがいいだろう」という推測で、子供自身に確認することもなく先回りして会話を進めてしまい、子供が自分で考えたり、決断したりする機会を奪っています。30歳にもなる我が子に対して「○○ちゃんはこうだもんね」と、赤ん坊をあやすようなコミュニケーションをとっていた親御さんもいました。親離れ・子離れができない典型と言えます。

感情的過ぎてもいけない
「会話が絶えない」から大丈夫かと言えば、そうでもありません。ある家庭では、親も子もおしゃべりで常に会話はしているのですが、それぞれが言いたいことを感情的に話しているだけで、互いの話に耳を傾ける、じっくり話し合うという雰囲気は皆無でした。結局、騒々しいほどのコミュニケーションがありながら、子供は本音を話す機会を奪われ、「いつも私だけ我慢をしている」という不満を抱えながら生きていました。

こういった家庭全般に言えることは、子供が幼いうちから、親が「育てにくい」「落ち着きがない」「頭が悪い」などと決めつけていることです。逆に、「しっかりしているから」「大人しい子だから」(大丈夫)と思っているケースもありました。子供の話に耳を傾け、成長による変化に目を向けることもなく、「あなたはこうだから」という頭ごなしのコミュニケーションをとっているのです。

とくに知的障害や発達障害にまつわるご相談で顕著なのが、本人に関わる大事なことを、「この子にはわからないから」と、説明を省いたり、理解してもらうための努力をせずに決めてしまったりしていることです。本人の意見を聞かずに、好きなもの、欲しいものを買い与えることで、「我が子のことは理解している」と、本気で思っている親御さんもいました。

子供は「本音を言葉にする」機会を奪われ、さらには、本来なら本人の適性を見てじっくり関わることで解決できるはずの些細な問題も、親のほうが待てずに、肥大化させてしまっています。

仮に子供が何らかの障害や病気を抱えていたとしても、生きていくために最低限のコミュニケーション能力は不可欠です。自分の考えていることを正確に伝えられるようになるためにも、早い段階で「できること」と「これから身につけるべきこと」を理解させ、課題として取り組む必要があります。

親御さん自身が第三者との交流が苦手な場合、他者への相談すらも億劫になりがちです。しかし、課題を放置したまま年月を経てしまえば、子供にも同じ苦労をさせることになります。子育ては親だけでできるものではないのですから、学校の先生や行政の支援者に家庭に関わってもらいましょう。場合によっては、医療機関を利用するなどし、家族教育を受けることをお勧めします。

次は、大人になっても家族とだけ過ごしてきた人たちと、弊社がどのように人間関係を育んできたかについて、お話したいと思います。

★ノンフィクション漫画『「子供を殺してください」という親たち』には、子育てのさまざまなケースが登場します。ぜひお読みください。


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