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2021年、新年のご挨拶

遅ればせながら、新年あけましておめでとうごいます。

2021年も早々に、各地で大雪が続いています。首都圏ではコロナによる緊急事態宣言も出ました。昨年にひきつづき、健康と安全は可能な限り自分で守るしかない。そのように思います。

コロナ禍をきっかけに世界中でさまざまな変化が起き、ともすると心が不安に浸食されそうになります。弊社で携わっている方々も、昨年は、心身の調子を崩してしまう方が少なくありませんでした。

また、疎遠になったはずの「家族」の話を持ち出す患者さんも増えました。過去の経緯(家族への暴言や暴力など)を理由に家族から関係を拒絶されており、患者さんももう何年も連絡をとっていなかったのに、急に「親はどうしているのか」「きょうだいに連絡をとりたい」と言うのです。漠然とした社会・将来への不安の現れではないかと感じました。

当然、家族からすると「何を今さら」という話です。どの家族からもシビアな拒絶の回答がありました。肉親といえども、良好な関係を結べるか否かは双方の気持ちがあっての話ですから、致し方ありません。しかしご本人は、「家族なんだから」「家族なのに」という思いが手放せないようです。

これから先、社会情勢が不安定になるほど、家族に限らず歪んだ形での人への依存も強まっていくのではないかと思います。

なぜ歪んだ形で人に依存してしまうのか。理由の一つに「幻想」があります。「家族なんだから」という言葉はそれを端的に表しています。家族なんだから、助けてくれてあたりまえ。親なんだから、金銭面も含めて子供の面倒をみるのはあたりまえ……。親もきょうだいも年齢を重ね、今までとは状況も変わってきているのに、いつまでも「守ってもらえる」と思っているのです(もちろん子供にそう思わせてしまう、親のあやまった対応があったことも事実です)。

これは、他人に対しても同じです。恋人に過度な期待を抱いたり、力のある人、影響力のある人に対して「○○さんなら、これくらいやってくれるに違いない」と思い込んだり。その当てが外れると、責任転嫁や逆ギレに走り、最悪の場合、ストーカー行為に及ぶこともあります。

コロナ禍により、ソーシャルディスタンスを保ちつつも、孤立しないための「ゆるやかなつながり」が注目を浴びていますが、ゆるやかなつながりこそ、実は「ギブ&テイク」の精神が重要視されています。中でも気持ちのやりとりこそが、一番のポイントではないでしょうか。たとえ相手が肉親や近しい人であっても、感謝の気持ちや謙虚さをもつこと。それがなくて、いつまでも「やってもらえて当たり前」精神の人は、ゆるやかなつながりの輪の中からも、容易にはじき出されてしまうでしょう。

誰もがシビアにならざるを得ない時代に、家族の問題とどう向き合うか。今までとは考え方・捉え方を変えていかなければならないと、弊社もつくづく感じています。

本noteでも、できる限り発信を続けていきますので、今年もどうぞお付き合いください。

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