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習慣化の凄まじさ!どんどん楽になる生活

何をするにも気力が足りない。仕事に追われ消費するエネルギー

家に帰宅するとドッと体にのしかかる疲れ。寒さも相まって、いち早く暖かい部屋でゴロリとしたい。あれこれやらねばと思うがとりあえずスマホをいじる。ストーリー、ショート、面白いコンテンツで心を癒し、ふと気づけば0時をまわる。そうしてまた無駄な時間を過ごしたことを後悔し、「明日からは頑張るぞ!」「これから変わるんだ!」と意気込む。ベッドでギリギリまで通知が来ないか気にしながら頭がギンギンなまま目を瞑る。朝を迎えるが寝むれた気がしない。スタミナは既に底をつきそうだ。そしてバタバタと仕事に向かう。心と体が摩耗し、何もできていない毎日を送る自分に嫌気がさし、何もかもが失敗に終わる、ヘロヘロな日々。

何か変化を・・・!!」と思い色々試してみるも続かず。「またダメか、、、」「そういえばこの前始めたあれ、全然やってないな、、、」と自分を蔑む。ならば新しい知識を得ようとYouTubeを見てみたり本を読んでみたりした。だが、自分を変える為の自己啓発ものなんて数えきれないほどある。本の海のようだ。

だが、その中でピントが合うものがあった。「習慣術」とある。
”人間とは小さな習慣の積み重ねでできた結果である。”といった旨のものだった。
半信半疑であり、けれど藁をもすがる想いでもあり、その本を手に取る。

書いてあることは、体育会系出身の私にとっては「そんなバカな」と言わざるを得ない内容のものばかり。
①とにかくハードルを低く
②失敗しても全く気に留める必要はない
③継続できてなくてもOK。

そんなところであった。

本当に効果があるのか?とほぼ疑念に変わる。だが、次の内容が目に留まり、思わず「う〜ん。。。」と声が出る。

『今のあなたを形作ったのは、今までのあなたである。それを信じていたから今のあなたがいる。その結果が今のあなたである。それを変えたいというなら、
自分の感覚、感性、プライドは一度捨て、大成している人、偉大な人が行なっている習慣を模倣せよ

そんな内容のものだった。これ以上ない真っ当な意見である。

まずは朝の散歩から。すると・・・

まずは、大成している人はほとんどの人が行っている(らしい)散歩から始めてみることにした。

今までの私なら、、、

「ウォーキングを効果的に行うためには、筋トレを行った後に限る。40分ほど、かなりの早歩きで行うことで初めて効果が出る。それより軽負荷、短時間だと、やる意味がない」

「トレーニングとは修練であるから、ウォーキングなんてぬるい。ランニングができて当たり前だ」

といった考えが頭に蔓延りついていた。言っていることは強気だが、それに縛られしんどくなり、腰が重くなり、遂には何もやらなくなってしまう。

これがいつもの流れであった。

そんな中、習慣化の第一歩は、、、
「1分でいいからとにかく外に出る」
「ジャージを履くだけでもOK」
「近所のコンビニに歩いて行けばトレーニングしたこととする」

くらいのもの。

私からすれば、腰が砕けてしまうというか、拍子抜けというか、失笑もののレベルである。

だが、今の自分を信じてはいけない。プライドが今にも泣き出しそうなところをグッと腰を入れ(本当に泣き声に似て非なる声が出た)自宅の周りを1周するところから散歩を始めてみる。

当然あっさり終わる。物足りない、赤子の相手をしているようだ。次に、カレンダーに”散歩をしましたよ”というのがわかるように印を入れる。

これを数日行っていく。カレンダーに散歩を毎日しているのがわかるようになっていく。

こういった考え方、設定の仕方等を、散歩だけではなく様々な習慣に応用する。
昔から大の苦手である部屋の片付け、心や脳にも良いと言われているが3日と続いたことのない瞑想、筋トレ、趣味の作曲業、読書など。様々なことのハードルを小豆のように小さくし続ける。

大切な点として、
①とにかくハードルを低く
②失敗しても全く気に留める必要はない
③継続できてなくてもOK

これらの点を大切に、カレンダーに印をつけていく。


すると、ここらで少しずつ変化が起きてくる。


毎朝の散歩は、2日か3日経たないうちに自宅の周り1周なんかでは物足りなくなり、2周、3周、コースを変えて公園まで、公園内の階段を使うように。日に日にそのグレードが上がる。朝起きて着替えたらすぐに出発することに抵抗がどんどんなくなっていく。すると、だんだんと「朝は散歩が当たり前」「散歩しないとなんだか気持ち悪い」という風に感じてくるようになる。

部屋の片付けは、筋トレが終わったら鞄を棚にしまうだけ、から始めた。それが、筋トレが終わったら5分部屋の整理整頓をするように。整理整頓タイムが5分から10分、10分から15分に。「部屋の掃除だけでは利己的すぎる。」という想いがよぎり(以前は絶対に考えられない想い)皿洗い程度ではあるが、家事に手を出すように。15分というのはあっという間でいて、しかし程よい運動になり、何より「やらなきゃな〜」と思っていたものがいともあっさりと終了することにたまらない快感を覚える。皿洗いをしたことで妻から感謝もされる。同時に普段家事をしてくれている妻に感謝するようになる。

筋トレは帰宅したら着替えずにそのまま準備運動を始めてしまうこととした。準備運動、整理運動も含めて計15分で終えるようにした。メニューも「〇〇を1セットやれば万歳!よくやった!」くらいに自分を褒めてやる。時間がない日はストレッチを3分で「今日はトレーニングを終えたぞ!」と思い込む。短期集中でやらなければならないため、高負荷、インターバル20秒と攻めの姿勢で挑むトレーニングは、以前よりも質が高い。それをほぼ毎日継続できるようになってくる。

読書も、「〇〇をする前に1行だけ読む。」というルールを生活全般に反映させた。トイレ行く前に1行、上の階に行く前に1行。当然、1行だけではキリが悪く、1ページ、2ページと増えていく。気づけば、全く周りが気にならないほどの集中力で、数十分間ぶっ通しで読めるようになってくる。それを自覚できる。


そう言った感じで、瞑想、ストレッチ、作曲業など、あらゆることを小豆サイズのハードルから実践し続ける。すると、それらが少しずつできるようになってくる。それに伴いグレードも上がる

さらに、並行して脳科学や勉強の科学で知識を得た。人間の集中力は30分が限界だという事実。生産性を高く、密度の濃い1日を送るには、30分おきに5分休憩を取るべきらしい。それを3セット行ったら15分しっかり休憩を取るべきだという。

らしいだらけなので試してみると、なるほどキレよく活動ができる。30分とはあっという間だ。いかに短時間で生産性をあげるか、自分と勝負している感が生まれる。

1分から始めたあれやこれやも気づけば30分ほぼ毎日欠かさずできるようになった。その30分は脳科学的にも合理的な長さだというからなんとも気持ちがいい。



3分だけでも、1分だけでも実践する。この積み上げが、明らかに行動に、生活に、肉体に、心に、良い影響を与えているのがわかる。

たった3分、1分でも、できたことには変わりない。どんどん実績が積み重なる。その感覚が研ぎ澄まされ、体感1分が3分に。体感5分が10分に。

そうして30分などあっという間に過ぎるほど、高い密度の活動ができるようになっている。全く苦なくできる

そうして振り返れば、少し前までの自分では考えられないほどの活動実績が残っている。

あらゆる活動をこなして、時計を見ればまだ半日以上残っている

かつて都度都度吐いていた「もうこんな時間だ。。。」というセリフが
まだこんな時間か!」に替わる。

あちこちで見かける『時間こそが資産だ』『時間は皆に平等に与えられている』という文言。

人生30年生きてきて、初めてこの言葉が理解できた気がした。


みるみる自信がつく。もっとやりたい欲にまみれる。妻も巻き込む。

さらに共に戦う仲間を作る。(とは言っても”戦う”というほどのしんどさは、もはや皆無なのだが)最も身近な存在。妻である。

これは友達でも、同僚でも、子供とでも良いと感じる。とにかく誰かと一緒にやる。フォローしあうとか、鼓舞しあうというようなアツい感じではなく、もっと気楽に、ラフに、適当に、小豆レベルの実績を共に積んでいく。

戦友がいるという状態がこうも心強いとは。一人では「しんど、、」と思う瞬間があっても、「誰かと散歩ついでに会話しよう。」という発想が生まれてくる。とにかく前向きなフィールに溢れてくる。

誰かと協力している時は、どんな活動であろうとも3分や1分では終わらないと思う。会話したり助言しあったり切磋琢磨したり。健全な会話が生まれ、その気力は1分なんかで収まるエネルギーではない。そのエネルギー欲しさにまた頑張れる。この容易さ・お得さを前に「時間がないから」「帰宅したらしんどいから」と言い訳をして実践しないのは、男が廃るというものである。何せ全然しんどいものではないのだから。

以前より飯が美味く感じる。妻への感謝も大きくなる。景色がより鮮やかに感じる。ペットが愛しくてたまらなくなる。

小豆レベルのハードルを超え続ける。これで人生がここまで充実するのなら、
やらないのは嘘である。

コツはとにかく簡単に。

『千里の道も一歩から』
この一歩が最も崇高で最も大切で最も簡単なものである。これはやはり真実なのだ。とにかく、どんな規模でも量をこなす。自然とレベルアップしていくものなのだ。

苦手であった読書を小豆ハードルにした結果、毎日読書することができている。
そこで目にした格言がある。

困難だから手を出せないのではない。手を出さないから困難なのだ。

もう気になるものにはなんでも手を出していこう。実践し続けよう。1分から。小豆を乗り越えるところから。

2025年を迎える頃、自分はどうなっているのか。

振り返る日が楽しみでしょうがない。



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