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Self Portrait. (私の肯定)

昨年の10月下旬に23歳になりました。

一つ年齢を重ねたことを機に、コンプレックスだった
自分の身体について話してみようと思います。

自分の弱いところを他人に見せるのはすごく怖くて、自ら進んでしなくてもいい行為。でも、こうして心の中から出してあげた方が私は強くいられるので、撮影した写真と共に話してみます。







わたしは自分の細くて、薄くて、痕のある身体を
ずっと好きになれなかった。








でも今では愛している。
私の身体のこの薄くて、細くて、散りばめられた痕も
まるごと含めて愛している。








2.写真での肯定

今年の5月、言葉や感情で随分と肯定できるようになってきた自分自身を写真でも肯定しようと思い、セルフポートレートを撮影した。自ら撮った写真を通して私の身体を肯定することで、過去の気持ちも本当の意味で昇華されると思ったからだ。そして、もう一つ目的があった。それは「私が撮る写真を写る側から覗きたい。」というもの。意図を持ってシャッターを押している時、それはどう被写体に伝わり、どのような形で写真に写るのか等を自分の感覚を持ってして知りたいと思ったのだ。

実際にセルフポートレートを撮影をしながら、私は自分の身体をどんどん魅力的に感じていった。私が撮った写真を通して、過去のわたしを抱きしめている気持ち。レンズを通した私の身体は痕もキュートに見えて、細い線で描かれたような身体は特別に見えた。

自ら撮影した写真を通して、自分の身体を肯定することができた。そして、自分の身体を魅力的に写せた自分の写真までも肯定することができた。

コンプレックスは反転するとその人特有の魅力なのだと思う。自分の中に在る、人と違うところにコンプレックスと名付けてしまうけれど、よく考えてみれば貴方にしかないとてもステキで特別な魅力なんだ。今では過去のわたしにそう声をかけたくなる。
"好き"はただただ対象を肯定する気持ちだと思っている。だから、好きは難しい。私が身体を"愛している"と敢えて表現する理由は、愛しているは欠けている部分も受け入れて抱きしめる気持ちだと思っているから。
これを読んでいる人たちもどうか、自分を好きになれなくても愛していてくれたらと思う。

今でも会う人や状況によっては、痕をコンシーラーで隠すことがある。そう簡単に今までの悩みを無かったことみたいにするのは難しいから、きっとこれからもたま〜にくよくよしたり、自信たっぷりになったりを繰り返すのだろう。
でももう私は昔のぐるぐる悩んでいただけのわたしではない。自愛という名の盾を手に入れて、前に進む強さを持っている。言葉と、感情と、写真によってよりタフになった盾を私は持っている。

22歳のわたしに積み重なっていた過去は渡して、
23歳の私は盾を磨きながら前を向いて行こうと思う。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
正直この写真も文章も、公開するか否か最後まで悩みました。ゴツゴツの(笑)強い盾を持っている今の私も、コンプレックスだったことを曝け出すのはとても勇気のいる行為で、弱々しくなってしまう程でした。
第何稿かもう分からないくらい書いては消して、書いては消して。変な例えだけど内臓をぐちゃぐちゃにかき乱されているような妙な恐怖感というか違和感を抱きながら書いていました。きっとこれを読んだ私の友達は皆驚いたと思います。私が身体のことで悩んでいたことにも、悩みの重さにも。(両親でさえこの文章を読んで驚いていたくらいだったから。) 本当のコンプレックスだったからこそ周りに話せなかったのと、段々と短い丈を履けるようになっていくにつれて、私の中での悩みも少しずつ薄くなっていました。でも、傷が塞がると瘡蓋ができるように、じゅくじゅくに膿んだ傷は治っても、もう痛くも痒くもない瘡蓋が心のあちこちにあって、それらを見ないようにすることが難しいのも事実でした。だからこそ私自身の為に、これらの写真と撮影をした意図を文字に起こして公開する必要があったんです。心の瘡蓋は自然には剥がれ落ちないから。

果たしてこの文章や写真が、他の人の手元に渡った後の解釈や受け取り方がどうなるかは分かりません。分からないけれど、写真にも文章にも自分の弱かったところを曝け出せた今の私はすごくスッキリしています。これで私の中でしっかりと完結することができました。

後書きなのにすごく長くなってしまいました(笑)。
新年が始まり早2日が経とうとしていますね。みなさまにとって2023年が良い一年となりますように。


Photo/Text: 陣内時雨

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