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あらゆる分野を、オルタナティブな視点で切り開く!

「ライティング」と一言で表現しても、いろんなタイプの人がいる。

豊富なボキャブラリーを巧みに使う人もいれば、暗喩を得意とする人、徹底したセールスマーケティングに特化する人など、得意不得意混ぜ合わせて、ライターの個性の分ほどにライティングのタイプはあるといってもいいかもしれない。

「正直言って、自分に文章力があるとは思っていないので、構成力で勝負します」

「ライティングのこだわりはどこですか?」という質問に、川崎さんはスパッと間髪入れずそう答えた。

ふつう、自分の特技や得意技を尋ねられたら、ちょっと考え込んだり、言葉を選んだりと少しばかり間が開くもの。

それを即答。

自分のスタイルに常に意識を持ち臨まれていることと、自分の軸にブレがないようにうかがえる。


環境・地域活性の道を歩み続けて

2021年4月。

川崎さんは、それまで勤めていた環境団体事務局を辞めてフリーライターとなった。

その前は、環境コンサルティング会社に勤務。大学を卒業してから、環境・地域活性化、サスティナビリティ、SDGsといった環境に関わる分野に一貫して歩んできた。

環境に関するアンケートの実施とその分析とまとめ、地方自治体の環境計画書作成とその案内、環境事業に関するPRパンフレットの文章作成。多岐にわたる仕事を一から最後まで一人でこなすことが多かった。

地方自治体の環境計画書の作成などは、相手側の自治体担当者が数年単位で入れかわっていくため、おのずと川崎さんの主導となる。住民の方に自治体の環境計画を伝えていく大切な役割だ。担当者からヒアリングした環境計画の要点をわかりやすく整理し、誰でも理解できる文章にまとめ上げていく。

まさに、ここでの経験が「構成力で勝負」という今の川崎さんのライティングの原点となっている。

「仕事では文章を書くことは確かに多かったですね。でも、だからといって、特に好きだったとか、得意だ、なんていう意識はしていませんでした」

仕事として文章を書く機会が多かったものの、「好き」「得意」といった感情はあまりなかった。また、環境・地域活性という仕事は、やりたい分野であったが、自分のなかでは「これだ!」という決定的なものに欠けているような気がして、仕事に対する気持ちのどこかに物足りなさも感じていた。

そんなことを感じつつあるなか、川崎さんにある興味が湧き起こる。

「マーケティング」だ。


人に伝えていくことへの目覚め

長女を出産後 、その関心ごとを膨らませる出来事に触れる。

それが、スタイリング写真を学ぶ講座だった。

「環境や地域活性化に携わる仕事に携っていて、今後地域産品なんかも紹介できたらいいな、というのがこの講座に参加したきっかけでした」

と、参加の動機は仕事への思いから。

スタイリング写真の数々
インスタ投稿した写真が編集者の目に留まり、ムック本に掲載されるまでに。


このとき、講座にたまたま「ブログ講座」も併設されており、せっかくだから、との思いでこの講座にも参加しブログの展開方法を学び、この講座をきっかけにブログ発信を始める。

子供が産まれてから興味を持つようになった家事の時短、仕事と家事育児の両立など、自分と同じような立場に立つママさんたちへの情報発信。それを続けていくうちに、「文章を書くこと」「人に伝えること」への楽しさ、面白さを感じていくようになる。

ブログ講座に通い出したのは、娘さんが七五三の頃。


自分の想いが、伝わったときの喜び。

わかってもらえたときの喜び。

さらに多くの人に伝えるにはどうしたらいいか?

いかに「魅せる」か。

「仕事に役立てば」という動機は、いつしか自分ごととなる。

スタイリング写真講座での学び、ブログの発信、そこで得た伝えることの楽しさ、やりがいの感情が、それまで淡々としていた仕事に加わっていく。

環境・地域活性化といった分野は、2015年に提唱された「SDGs」を通じて、近年になってようやく一般的な拡がりをみせている。しかし、この当時はまだ表舞台に躍り出てくるような分野ではない。それだけに、マーケティングやスタイリング写真の視点、そして文章で、目立たせるか、いかに表舞台に押し上げ出すことができるのか、川崎さんの熱量がそこに注ぎ込まれていく。

伝えることの面白さ、楽しさが、日々も増していくなか、さらに表現力を極めたいという思いから、あるライティング講座に再び参加する。

息子さんのお宮参りにて


ここで大きな転機となる出逢いが訪れる。

ともにスバキリ一味でも活躍している石原智子さんや、ライティング講座の仲間たちとの出逢いだ。


これが、川崎さんに新たなる想いを芽生え始めさせる。

「ライター」という職業への意識だ。

さらに、当時勤めていた職場の環境が、その意識を後押しする。


あらたに環境団体事務局へ転職していたが、いざ転職してみたものの、仕事内容と環境は、川崎さんの思いとはかけ離れていた。しばらく働き続けてみたものの、仕事に対する思いの距離は縮まることはなかった。それどころか、その距離を感じるほどに「ライター」という職業への想いが募っていく。

ついに、川崎さんは会社勤めから離れて「フリーライター」への道を選択する。

ほぼ同時期、石原さんからスバキリ一味へのお誘いの声がかかる。

2020年2月のことだった。

いま川崎さんのライティングは、スバキリ一味の他に、WEBコラムの仕事、HP文章、プレスリリース、そして、最近になって環境分野の設備メーカーのHPやメルマガ、と幅広い。さらにライターの立場として、環境分野のライティングも手がけ始めた。

↑直近では、ルポルタージュにもチャレンジ

「やはり、環境系のお仕事は嬉しいですね。やっていても楽しいです」と、素直に心境を語ってくれた川崎さんの声音から、環境・地域活性に寄せる想いが伝わってくる。

これほどまでに環境・地域活性に思いを寄せるルーツはどこからくるのか? 実は、ここに川崎さんの気質が窺えるものがあった。


ちょっとレジスタンス気味な気質だからこそ

「小さいときは、世の中の『主流』というものに疑問を持つ子どもでした(笑)」

周りが当たり前とする意見に「なんで?」という疑問が必ずつきまとう。大勢の意見が必ずしも正しいとは限らない、という視点。これが子供の頃から常に自分のなかにあったという。

「思春期の頃になると、『主流』というものに対して、本当に居心地が悪くて……」

だから、学校の先生の言うことが本当に気に入らなかったと、と笑いながら語る。

この「主流」に反してしまう気質が、「海外での開発支援」ということに興味を向かわせ、それを学べる大学に進学していく。

「オルタナティブ」

この言葉の代表的な意味は、「代案・既存のものに取ってかわる新しいもの」。

まだメジャーではない分野、いわゆるマイナーやニッチと呼ばれる分野だ。これが、学問もさることながら、仲間との繋がり、サークル活動、と川崎さんの学生生活の基盤となっていく。

2002年、大学を1年間休学してNGOインターシップ参加しタイへ。
このときにステイしていた農村の家(高床式の住居)。


先進国のことよりも開発途上国、そこでの開発支援。これを表舞台に立たせていくことが自分にしっくりくる。ところが、あるとき海外にむけていた視点が自国内に向く。そこで日本にあるオルタナティブな課題があることに気がつく。環境開発支援、地方創生、地域活性、という分野だ。

クラウドファンディングという言葉の認知度は拡がりつつも、お金を集める「寄付」という理解でいる人たちはまだ多く、まだ「主流」とは言い切れない世界。もちろん、そのプロジェクトも、当然まだ世に広まっていないものがほとんどだ。

マイナーなもの、ニッチなもの、知られていないもの。

そういったものをより一人でも多くの人に伝えていくことは、まさに川崎さんの気質にドンピシャなところかもしれない。

「今まで、全部一人でこなす仕事が多かったので、チーム戦というのはスバキリが初めて。でも、みんな支え合っているチームなので、気づかされることも多く、新鮮でものすごく楽しい。全く知らない人と取材できることは、すごく勉強になるし、とても贅沢なことだと思う」

自分のやりたいこと、性格的なところ以外にも、周りの仕事環境、人間関係と全てにおいて自分の風向きと合致しつつある「今」にいる川崎さん。

自分の軸にブレもなく、その表現力の切れ味はますます磨きがかかりそう。

「いまのこだわりはなんですか?」

しばらくしてから同じような質問したとき、スパッと一刀両断するかのように、新しいこだわりをにこやかに即答してくれそうな予感がする。

取材・執筆:白銀肇

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