映画クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記 ネタバレ感想と改善案の妄想

 ラストの展開はもう少しどうにかできたはず。

※この記事は現在公開中の「映画クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記」及びその他「映画クレヨンしんちゃん」シリーズのネタバレを含む感想になります。まだ見ていない人はご注意ください。

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※始めます。


個人的にこれはアカン

 映画31作目。恐竜とシロを絡めた、夏休みの絆の物語というわけで結構期待していた自分。シロがメインとか「歌うケツだけ爆弾」以来ではあるまいか? あの映画は後半はよく覚えていないけど途中までは凄くしんちゃんの必死さで泣いた記憶がある。なので今回の映画も、ハンカチを用意して臨んだわけですが……使う所はなかったです。

 いや、確かに。最後の方であるんですよ。あるんですけどねえ……なんかこう「ほらここ! 泣き所です! さぁ、泣いて、泣いてください!」と、催促されているようで凄く押し付けがましいから涙が引っ込んでしまったんですよ。その後は最後の最後でどうなるかと期待していたのに特に何のフォローもなしで終わるから……「何だったんだこの映画」って感じ。

 まあ、前作「シン次元」より展開やキャラに不快感が湧く要素ないだけまだマシか? 恐竜のナナとの交流も素晴らしい出来だったから、それだけにこの映画、凡作以上に出来たはずなのに最後の最後で虚無になった感じが否めません。多分2度と見る事はないでしょう。



しんちゃん映画の「別れ」

 そもそも映画クレヨンしんちゃんは、日常コメディの大御所。そこに奇抜なゲストキャラや世界観が日常を脅かしに来て、何とか解決して日常に戻るというのがいつもの流れです。

 基本的にその映画限りの登場キャラは以後の作品に出てこないし、本編に流用されることもほぼない。全部の作品で一期一会。

 その中でも「死別」による永遠の別れで有名なのは「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦」。あのラスト、あれは子供の時は全く納得できなかったけど、大人になってから見ると「歴史のつじつま合わせ」のためには絶対に避けて通れないお別れだと理解できます。

「映画 クレヨンしんちゃん ガチンコ! 逆襲のロボとーちゃん」もそう。映画館で号泣する程悲しかったけれども必要な展開だったと分かるから、何一つ文句はなかった。

 それでも、しんちゃん映画で死別によるラストはあまりないんです。別々の世界に行きましたとか、別の場所で平和に暮らしていますとか、ラスボスみたいな奴らとバカやってます、平和なジャングルになった等、割と全員に救いがあったりするエンディングもあったりします。必要でないなら死別には至らないのです。



ナナの扱いで評価もだいぶ違った

 結果的に最後ああなったナナですが、良いんですよ、必要だったらそういう展開もよかった。でもあれ、絶対に「観客を感動させてやる」ために敢えて仰々しくやったでしょ、展開上必要ではなく制作陣営が必要だと思ったから盛り込んだでしょうと思わざるを得ない。あんなに全員瞳をウルウルさせまくって。何が酷いってしんちゃん含め子供たち(観客含める)に「夏休みの思い出に深いトラウマ刻んだ」罪深さよ。

 その過程も不自然なビルの倒壊に始まり、どう考えてもその体でこれは防げんだろうって突っ込みどころ満載の解決方法、なんか知らんけど「君と一緒に居られて楽しかった」雰囲気醸し出すあの時間、そして潰れたわけじゃないけど息をひきとる。……何なのだ? 煮え切らん。煮え切らない。中途半端すぎる。



現実的に〇〇は可能だったか?

 共存。これは絶対に無理だ。作中で生まれた本物の恐竜がナナだけで、ビリーの研究だって長年の月日が必用ですぐには別の恐竜も出来ない。更に成長するごとに馬鹿でかくなり、危険度も増す恐竜と住むのは現実的ではない。それが例え心を通わせることが出来たとしても、環境を整えることが出来ない。安易に生存ルートに行っても、以後恐竜であることが理由で狙われてしまうので死別に踏み切ったのは、選択肢の1つとしてはアリだと思います。



改善案

 本作のテーマは作中にしんちゃんが言っていた「やりたい事をやる」「ひと夏の成長」もある。でもあの最期では、ナナにそういった選択肢はない。だったら

「不完全な復活で長く生きられない」という寿命要素を盛り込む。そして作中、それを示唆するようなセリフや暗喩を所々盛り込む。

例:解析をするため早くそいつを渡せ、どうせそいつはーーー

 そうしてラストの大騒動の後に、暴走などで肉体を酷使したナナの寿命が近い事を察知するビリー。子供達には「これだけの騒動を起こしてしまったら僕らはここにはいられない」と言ってナナを連れて何処かに去ろうとする。そこでナナが離れたくないとか何とかで、最後に皆でお泊り会をして、翌朝に出航。手を振ってお別れしてしばらく後に、安らかに眠ったナナに

ビリー「いっぱい遊んで疲れたよね。君の事を僕も、彼らも忘れないよ」

 と言って幕を引く。エンディングで日記を捲っていく。

大事なのはしんちゃんや観客の子供に「安易な死別」を与えない事。
残された時間でナナがやりたいことを望むこと。
しっかりと観客には死別的な要素を与えて泣かせること。
そして観客は全員ナナを覚えて帰る事。

 寿命という要素でだいたい解決できるんです……どうしてあんな無理矢理なラストにしたのか本当に謎。



ラスボスがラスボスっぽくない

 メカ恐竜たちを「本物」と偽るのはまだいいとして、それらは雨に弱いし、AIも貧弱。更にはシャッターの締め忘れ(意図的だったら面白かった)で露見するし、その後に周辺住民捕らえて自分の凄さを伝えるとかいちいち行動も杜撰で思考も幼稚過ぎて…ビビる。

 ラストに出てきたバリバリのロボット恐竜は外見折角カッコいいのにあっさりやられる。もっとメカらしく戦ってほしかった感は否めない。何だよリラックスモードって……。



アンジェラ姉さん可愛いけど

 でもバスガイドをやりたかったってどこかに伏線あったっけ……ツアーガイド役した時は確かにぼーちゃんにお株奪われそうになって焦っていたシーンあったけど。なんか唐突過ぎてどう解釈したらいいかわからなかった。



総評

 クレしん映画の中でも相当下。ギャグとか割と盛り込んでいたし、途中までは普通に見れたが、ラブマシーン歌うシーンとかリラックスモードとかの「ここでそういう要素捻じ込むの??」と困惑する場面が多くて失速気味。挙句の果てにあのラスト。最悪。後味悪いし、席を立つ足が重いし、虚無に近い感情を抱いた。

 クレヨンしんちゃんはこうあるべきとかは言わないけど、なんかクレヨンしんちゃんに求められている要素と製作陣がやりたい要素がかみ合っていないのでは?? 天かす学園の途轍もないエモさ爆発のラストは別に死別じゃないのにアホほど泣いたぞ私は。泣かせたいなら悲しいではなくああいうので泣かせてほしいんだって気持ちがあります。

 以上、オラたちの恐竜日記感想でした。次回はどうか普通に面白い作品でありますように。

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