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差別について役に立った考え方

相模原のやまゆり園での殺傷事件から今年で7年になります。
何を書こう、と思ったんですが、最近、差別について向き合いやすくなった考え方があるので、描いてみることにしました。
かなりぬるい&大雑把な話ですが、大事なことかなと思っています。

差別について思う事。最近、自分と違う考え方や属性を持つ人のことを「認めない」とか「逆差別だ」という声をよく耳にします。私は「酷い」「差別許すまじ」と思いますが、差別心自体は私にもたくさんあると思う…ので…
私が、知った&気づいたら楽になったことを書きます。その1「差別心はある」。これはでかい!自分の知らない人、わからないものは誰だって不安だし、怖い。仕方ない!でも、差別心を持つこと(猫を疑いの目で見ている犬のイラスト)と差別をすること(猫に吠えている犬のイラスト)は違う。
でも、差別心でもなんでも、不安なものは不安だ。(犬のイラスト。「猫が超増えたらどうしよう」「噛みついてくるかも」と怯えている)そこで役に立つのが、歴史とか勉強。それが出来るのが人間のすごいところよ。(「私は犬ですが」と言っている犬のイラスト)本人と話せたらベストかもなんだが、時と場合かなとも思う…
その2「差別心がある人=悪人ではない!」他人から「それは差別ですよ」と指摘されると「何それ?私が間違えてるとか言いたいわけ?」と思ってしまうことは多いけど、咄嗟にそういう気持ちになる、心理の仕組みっていうのがあるんだって。怒って、その後で考えたり向き合って、理解や需要につながる…みたいな。
だから、その怒りとか嫌な気持ちに身を任せずに「今この反応が稼働したなー」と思うと少し楽になるかも。(「私が悪いってことではない」と考えている犬のイラスト)この気持ちの正体は何かな、不安?心配?偏見?とか、正体が少しでもわかれば、次が見える。
以上です!でも、個人の差別心と社会の差別は違う問題なのでアレですが。ひとつの安心な関係(傘の中に入っている犬と猫のイラスト)が、たくさんになっていったらいいと思うんだよね〜!(たくさんの傘の中に、犬や猫や鳥などたくさんの動物が入っているイラスト)

酷いヘイターや、ガチガチの差別主義者の人の場合は、こういうレベルじゃないと思うんですが、日常の中で差別についてモヤっとした時、この考え方があると割と素直に、目の前にある差別の構造に向き合える気がします。考えるスタート地点として…。

あなたは差別された経験がありますか?した経験は?指摘されたり、気がついた経験は?
私は全部あります。思い出すと悲しいのと恥ずかしいのと罪悪感とかでとても嫌な気持ちになります。でも「嫌な気持ちになったな」と思い続けるのが必要なのかなと思っています。

生きる資格なんていうのは、誰かがジャッジするものではありません。社会は多数決で決まっていくものではありません。小さいことなら我慢せよというのも、みんな我慢してるんだからというのもおかしいと思います。

皆が生きやすい社会…というのはただのキレイごとかもしれません。でも、そこに向かって社会を動かす努力をし続ける事は、絶対に必要だと思います。

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